闇
3
ベックたちがいる場所まで戻ると、最初に迎えてくれたのはアリアであった。
「遅いから心配していたのよ。怪我はない?」
言いながらハルトとジャマールの身体を隅々まで覗いていく。
なにやらくすぐったいような気分になったハルトとジャマールは、逃げるようにアリアから離れた。
そうしてベックの元まで駆けていく。
近付いていく二人に気付いたベックが、笑うような大声と共に大きな両腕を左右へ振った。
「どうだった? なにか見つけたか?」
「幾つかは。食べられそうなものもあった」
答えたジャマールが、自身の衣服を裂いて作った袋の中身を見せる。
中には先ほどジャマールが試食した木の実が入っていた。
喜んだベックが袋の中に手を入れる。
するとすぐにジャマールがベックの太い腕を掴んだ。
「悪いが、食べられるものかどうかはまだ分からない。先に俺が試食しておいたから、時間を置いて俺に何事もなかったら食べてくれ」
「そうか……。分かった、ジャマール。危険な目にあわせて済まねえな」
「誰かがやらなきゃいけない。仕方がないさ。だが、出来るだけ早く人の住む集落を探そう。食べ物ひとつ取ってもそうだが、俺たちにはこの世界の知識が足りなすぎる。生きるためにはここに長居など出来ないぞ」
「俺もそう思っていた。休んだらすぐに行こう」
ベックが頷く。
離れたところにいたアリアも聞いていたらしい。
同様に頷いて、休んでいる者たちのところへ走っていった。
体力が回復していそうな者はほとんどいなかったが、移動することに異を唱える者はいなかった。
皆が皆、生きることに必死となっている。
不安や不満を抱く暇などない。
加えて、ハルトたちが拾ってきた木の実が多く生っている場所へ行くと言えば、満場一致で賛成と相成った。
日が暮れるまで、ハルトたちは歩いた。
出発する頃にはすでに陽が傾いていたこともあり、長い距離を歩くことはなかった。
先に木の実を試食していたジャマールに、異変は起きなかった。
腹ぐらいは下すだろうと覚悟を決めていたようだが、ジャマールは念のため、自身の健康を皆に見せて回った。
そうしてから火を熾し、念には念をと、木の実に火を通していった。
「……モサモサだな」
火の通った木の実を食べたハルトとベックが、眉根を寄せる。
お世辞にも美味いとは言えなかった。飲み込むのも一苦労だ。
しかし空腹の時間が長かった者には、そう感じ取れなかったらしい。
涙を流しながらモサモサした食感の木の実を食べつづけていた。
「食べ過ぎるなよ。その木の実が害あるものかどうか、俺たちには何も分からないからな」
ジャマールが忠告すると、がっついていた男の手がぴたりと止まる。
どうやらある程度腹を満たし、理性が働きはじめたらしい。
その男以外の者もほどほどに食べ、残った木の実を袋へ戻していった。
「アリアは食べた?」
体力のない者を看てくれているアリアに、ハルトは声をかけた。
「食べたわ。一口だけ」
「それで足りた?」
「足りてはいないけど、私は元々目が覚めるのが遅かったもの。他の皆に比べて、そんなにお腹が空いていないから」
「ボクもだ。でも無理はしないでよ」
「分かっているわ。ハルトもね」
「ああ」
ハルトは頷き、立ち上がる。
するとアリアがハルトを見上げ、首を傾げた。
次いで小さく笑う。なぜ笑ったかは分からなかったが、その笑顔はやはり柔らかかった。
理不尽を押し付けてくるこの世界で唯一、安らぎを与えてくれる存在に思えた。
やがて深まる夜。
木の実を調理するために熾した火も消え、闇が森へ降りていく。
さすがに全員で眠るわけにはいかないと、見張りを交代で行うことになった。
ベックとジャマール、そしてハルトが見張りを引き受ける。
アリアも名乗り出てくれたが、ベックが断った。
気丈に振舞ってはいるが明らかに疲労を隠しきれていなかったからだ。
それでも食い下がるアリアをハルトが宥め、見張り以外の十人はその場で眠っていった。
ハルトも交代の時間まで身体を横たえ、目を瞑った。
そうした瞬間、ひどい疲労感がハルトに襲いかかった。
目が回り、朦朧とし、多少の吐き気も覚えた。
しかし本当に吐く直前、ハルトの意識は暗闇に落ちた。
眠っている間、ハルトは奇妙な夢を見た。
というより、誰かが延々と語りかけてきている気がした。
その声と言葉は正しく聞き取れなかったが、少なくとも人間の声ではないとハルトは思った。
金属を擦り合わせるような声であったからだ。
とはいえ悪夢だとも思わなかった。むしろ受け入れやすい。
なぜ受け入れようとしているのだろう?
ハルトは夢の中で首を傾げた。
そしてついに聞き取りにくい声が近付いてきた頃、ハルトは目を覚ました。
目を覚ました瞬間、ハルトの前にベックがいた。
見張りの交代時間であるらしい。
「少しは眠れたか?」
「……ちょっとは。でも大丈夫」
ハルトは頭を何度か横に振り、奇妙な夢の残滓を振り払う。
ベックが心配そうな表情を浮かべたが、ハルトは問題ないことを示して見張りを交代した。
森の闇はまだ深い。
まだ夢の中なのではないかと、錯覚させてくる。
耳を澄ませばまた、あの人ならざる声が聞こえてくるのではないか。
そんな気がして、ハルトはぞくりとした。
しかし間を置いて聞こえてきたのは、柔らかい声であった。
「あれ? 眠れなかったの? アリア」
「ううん、ちょっと目が覚めただけ」
アリアの声がふわりと揺れる。
どことなく、アリアと自分とでは生きている時間の流れが違う気がした。
「明日のために眠ったほうがいいよ」
「分かっているけど……私だって見張りをしたかったのよ」
「明日の夜はお願いするかもしれないよ。ベックだって疲れた顔をしていたから」
「そうね。代わりができるように今は寝ることに勤めるわ」
アリアが笑う。
暗くてよく見えなかったが、アリアの青い瞳だけは美しく映えていた。
ハルトはアリアに手を振って見せると、彼女もまた手を振り返し、二人の女性が寝ている場所へゆっくりと戻っていった。
しかし戻りきる前になにかを思い出したのか、アリアが翻ってハルトを覗いた。
「……ねえ、ハルト」
「どうしたの?」
「……夢の中の声、聞こえてくる?」
恐れるようにアリアが尋ねてきた。
ハルトは間を置いて頷く。
アリアも夢の中で人ならざる声を聞いたのだろう。
目が覚めて間が開くと、理性がその奇妙さを勝手に分析しはじめ、恐ろしくなっていくのだ。
「……聞こえてたよ。でも、今は平気だ。運良くアリアが話しかけてくれたからね」
「ふふ。私もよ。じゃあ、おやすみ」
再びアリアの声がふわりと揺れた。
ハルトは「おやすみ」と短く返事してから、暗闇へ視線を移す。
暗闇の先には、わずかに白い靄が現れていた。
もう夢から覚める時間だと囁いているようで、ハルトは思わずため息をこぼした。