白塔のアリアの伝説
5
光が、揺れ、流れている。
流れていく先を見ると、小さな光が幾つか生まれていた。
これはなんだろうと、生まれた光に手を伸ばそうとした瞬間、ハルトの身体は大きく揺さぶられた。
「起きて! ハルトお兄ちゃん!」
マリーの声がハルトを揺さぶりつづけている。
ハルトは夢現の狭間を漂いながら、ゆっくりと身体を起こした。
「……どうしたの、マリー」
「もう陽が高いよ? 寝過ぎだと思うの」
「え、あれ……本当? しまったな」
「アリアお姉ちゃんはもう手伝いに行っているよ」
「……そうか。マリーはボクを起こしに来てくれたの?」
「そうなの。アリアお姉ちゃんがそうしてって」
マリーの言葉を受け、アリアの呆れ顔が目に浮かんだ。
ハルトは困り顔を見せてから立ち上がり、マリーの頭を撫でる。
その小さな顔が、赤く腫れていた。
泣きに泣き、母親を送ってきたのだ。そして健気にも乗り越え、進んでいこうとしている。
ハルトはマリーの表情を見て、力を受けた気持ちになった。
大きく息を吸い、へその下に力を込める。
自らも進まねばと、決意が固まっていく。
「マリー。ボクらは今日、村を出るよ」
「……そう、なの」
「村のみんなはきっと、ボクを怖がっている。ルーファウスみたいにならないか、とね」
「そんなことないよ」
「もし今はそうじゃなくても、必ずそうなるよ。あれだけのことがあったんだ」
黒い石から次々に獣を生みだしていくルーファウスを思い出す。
ハルトは自らが持つ白い石でも同じようなことが出来るのか、気になっていた。
しかし気になっても、実行しようとはしなかった。
一匹でも獣が生み出されたら、その瞬間ハルトは追い立てられることになる。
アリアもまた、そうなるだろう。
ハルトは寂しそうな顔をするマリーに寄り、感謝の言葉を伝えた。
きっと、村人の中で寂しいと思ってくれるのはマリーだけだ。
この少女だけが、ハルトとアリアにとって救いであった。
もしかするとルーファウスも、マリーと過ごす機会が多ければ、あんなことにはならなかったかもしれない。
複雑な思いを抱えたまま、ハルトは外に出る。
少し離れたところに、アリアの姿があった。
ハルトを見て、大きく手を振っている。
「アリアお姉ちゃんも行くんだね」
「……ああ」
「……そう」
マリーが声をこぼした。
もしかして泣かせてしまっただろうかと、ハルトは慌ててマリーの顔を覗き込んだ。
ところがマリーの目に涙はなかった。
代わりに複雑そうな表情を浮かべ、「大丈夫よ」と応えてきた。
その後ハルトはアリアに声をかけ、今日村を発とうと伝えた。
「……そうね」
アリアが短く応える。
驚いた表情を見せてはいたが、そうすべきだと分かっているようでもあった。
一瞬だけ、遠いところにいる村人たちを見て、もう一度「そうね」とこぼす。
アリアはアリアで、なにか思うことがあったらしい。
ハルトはアリアと共に村人たちの元へ行き、深く礼をした。
「ボクたちは今日、ここを発ちます」
ハルトが言うと、月人種の村人が驚いた表情をした。
しかしすぐに頷き、申し訳なさそうに頭を垂れる。
「私たちからはなにも言うことはない。言う資格もないだろう」
「それはお互い様です」
「過去を水に流そうなどと、安いことを言うつもりもない。だが、これ以上苦しみ合うつもりもない」
「ええ。ボクもそう思います」
「もしまた近くへ来ることがあれば、遠慮なく村へ寄ってくれ」
月人種の村人が、ゆっくりと手を差しだす。
ハルトは一瞬躊躇ったが、その手を掴み、深く頷いた。
別れ際、月人種の村人は、村の外のことを教えてくれた。
近くにある街や村の場所だけでなく、避けるべき危険な地域のことも。
そして世界のことも少し。
「この村だけでなく、多くの地域で稀人種は迫害されている」
そう言った月人種の村人の声は、少し冷たかった。
「知っています」
「この先の道はきっと困難が多いだろう」
「分かっています。だからこそ、ボクは行きたいんです。第二、第三のルーファウスが現れないように。そしていつか、ルーファウスを救うために」
「……そうか。そこまで覚悟があるならば、もうひとつ、教えておくことがある」
「……なんです?」
「ここより遥か北。黒い森の狭間に、稀人種が集まっている地域があるらしい」
「らしい、ということは、噂という程度のことですか?」
「そうだ。誰も、稀人種と関わろうとは思っていないから交流もない。噂の出どころは分からないし、いつからある噂かも知らない」
「そうですか……、でも、助かります。目的がひとつ増えましたから」
「途方もない旅にならないことを祈ろう」
月人種の村人が言うと、彼の後ろに控えていた数人が深く頭を下げた。
そのうちのふたりは、ハルトに怪我を治してもらった者であった。
ハルトと目が合うと、そのふたりは再び深く頭を下げた。
村を出る直前、小さな音が鳴った。
鈴の音のような、涼やかなひびき。
ハルトは振り返る。
もう一度、涼やかな音が鳴った。
「だからね。そっちじゃないんだって。アリアお姉ちゃん」
マリーの声が鋭く飛んだ。
アリアが振り返り、がっかりした表情を向けてくる。
どうやらアリアは、地図を読むのが苦手であるらしい。
幼いマリーよりも読めないのは致命的だなと、ハルトは苦笑いした。
先を行く二人が、ハルトに向いて手を振っている。
ハルトは手を振り返し、少しだけ足を速めた。
結局、マリーはハルトたちに付いてきた。
村人たちもそうすべきだと後押ししたらしい。
それがなぜなのかは分からなかったが、ハルトとアリアはマリーを追い返すことが出来なかった。
村に残ったほうがいいことは分かっていても、慕っていくれているマリーが共にいてくれる心地よさに負けてしまった。
『大丈夫よ』
マリーはそう言って、母から受け継いだ星月の光を貯める石を見せてくれた。
少女の母親も後押ししてくれたのだと言いたいのだろう。
ハルトはマリーの言葉に胸を痛めつつも、小さく頷いた。
三人が向かう先は、北であった。
稀人種が集まっているらしい地域を探すためでもあり、別の目的のためでもある。
「本当に途方もない旅ね」
アリアが笑いながら言った。
久しぶりに見た、優しい表情。柔らかい声。
ハルトの左手の内にある白い石よりも神々しい。
「稀人種が世界に受け入れられるようにしたいって、具体的にどうするの?」
つい先ほどまで歩きながら話していたことを、アリアが尋ねてきた。
言いだしたのはもちろんハルトであったが、具体的にどうすればいいのかはまだ考えていない。
自分たちと同じ稀人種が平穏に暮らすことが出来ればと、思っただけだ。
「……わからないよ。これから考えるんだ」
「稀人種のみんなを集めて、村でも作る?」
「はは。それもいいかもね」
笑いながら空を見上げる。
どのようにするにしても、途方もないことであった。
叶えられる保証など、どこにもない。
もし叶えられたとしても、多くの人が集まれば目標も変わっていくだろう。
月人種の村人が言った通り、困難が多い道だ。
「ハルトお兄ちゃん、今日は飛ばないの?」
マリーが目を輝かせながら言った。
ハルトは頭を横に振って答えると、マリーの口が小さく絞られる。「つまらない」と言いたげだ。
「今は歩くほうがいいんだ。多くのことを知りたいし、感じたいからね」
「じゃあ、私のことも教えてあげないと」
「そうさ。マリーのことも知っていく。月人種のことも、小人種のことも。まだ会ったことがない多くの人々のことも知って、受け入れて。世界の隅々を見て、歩いていく。そうしてから、ボクたちのことも世界に受け入れてもらうんだ」
「わあ、世界中を行くの? 冒険みたい!」
「冒険だよ。マリー。今更帰りたいって言っても遅いからね」
「言わないわ! 楽しみにしているもの!」
マリーが跳ねながら走りだす。
手を繋いでいたアリアが引っ張られ、一緒に走っていった。少し遅れて、ハルトも走りだす。
進む先は、森が途切れていた。
広大な草原が波打ち、待ち構えていた。
≪ 黒は、万魔を生んで人を殺す。白は、万聖を生んで人を救う ≫
村の外れに住んでいたフードローブの男が教えてくれた、世界に言い伝わるひとつの言葉。
白い石を持つハルトに、世界はなにを求めるだろうか。人々はどのように接してくるだろうか。
どうやって生き、どのように生かすのか。
白い石を握りしめ、ハルトは駆ける。
その石が、やがて多くの物語を生む。
途方もない冒険と、伝説を。
本作はこれで終わりとなります。
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純ファンタジー「傀儡といしの蜃気楼」なども書いています。
宜しければそちらもお手に取ってください。