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万聖

  3


声が聞こえた。

その声は随分と硬く、およそ人の声とは思えないものであった。



「……誰だ」



ハルトは声を出したつもりだったが、声にはならなかった。

しかし人の声ではないなにかがハルトに反応し、ゆっくりと傍に寄った。



『ハルト』



声が、ハルトの名を呼んだ。

聞き覚えのない声であったが、それが誰の声であるか、ハルトにはすぐに分かった。



「ルーファウス」


『そうとも』



ルーファウスが頷いた。

見ると、ルーファウスの姿は人間の形をしていた。

魔人になったことなど、夢か幻だったのではないかと思わせてくる。

しかし見れば見るほどに、今がただの夢で、これまでのことが現実だったのだと思い知らされた。


ハルトに近寄ってきたルーファウスが、ハルトの顔をじっと覗く。



「もう戻れないのか」


『戻れない。私も、きみも』


「ボクも?」


『そうとも。この生きづらい世界を、前を向いて生きなくてはならない。私たちには過去がないのだから』



そう言ったルーファウスの身体が、ぶるりと揺れた。

水面を打って、波紋が立つように揺れ、崩れていく。



『答えを待つ。ハルト。いずれ、また』


「待って! ルーファウス!」



波紋の中へ消えていくルーファウスに、ハルトは手を伸ばした。

しかしルーファウスが振り返ることはなく、ゆっくりと、溶けるように消えていった。


答えとはなんだ。


ハルトは薄い意識の中で頭を抱えた。

生きづらい世界を生きるための答えなのか。

それとも、そもそもここへ来たことに対する答えなのか。


前を向くための答えがなにかを、探すべきなのか。

力か、知恵か。

善か、悪か。

負か、正か。

数え尽くせない問題を押し付けられた気がして、眩暈を覚える。

意識がじわじわと消え、思考力が失われていく。



「ルー……ファウ……ス……」



見えなくなったルーファウスに手を伸ばす。

すると、伸ばした手のひらがじわりと温かくなった。

同時になにかへ引き寄せられていく。

その力は強かったが、不快ではなかった。

ハルトは引き寄せられるままに腕を伸ばす。


ゆっくりと、上がっていく。


ゆっくりと。



「……て……」



声が聞こえた。



「……ト、……ぇ……」



その声は柔らかく、温もりがあった。

ハルトの手を引くなにかと、温かさが似ている。



「……ハル……ト……!」



声が、ハルトの名を呼んだ。

聞き覚えのある声だ。

ハルトは目を開け、声の主を探してみた。

すると目の前に、ふたつの白い影があった。

ひとつは大きく、ひとつは小さかった。

声の主はどうやら、大きいほうの白い影のようであった。



「ハルト! 目が覚めたの!?」



柔らかい声がハルトを包む。

ハルトは白い影に頷いてみせると、ふたつの白い影が何度か震え、泣きだした。


泣いているふたつの白い影をしばらく見ていると、ハルトは自身の左手に違和感を覚えた。

なにかを握っているらしい。

もしかしてロープを切ったナイフだろうか。

そう思って何度か握り直したが、どうやら違う。

手のひらより小さい、丸いなにかを握っているようであった。

指の腹で表面を撫でてみると、丸いなにかはゴツゴツとしていた。



――石、かな。



視線を向ける。

瞬間、ぼやりとしていた視界がはっきりと見えるようになった。



「ああ、ハルト! 良かった……! 本当に……!」



アリアが、ハルトの身体を抱きしめて泣いていた。

綺麗な顔だというのに、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

非常に勿体ないし、珍しい。

もしかしたら今後二度と見れない姿かもしれないと、ハルトはぐしゃぐしゃになったアリアの顔をしばらく見つめておいた。


アリアが泣いている間、隣にいたマリーがこれまでのことを簡単に説明してくれた。

その内容は大雑把であったが、信じがたい内容が凝縮されていた。



「飛んだって、ボクが??」


「そうよ。鳥みたいに飛んで戻って来たわ」



マリーの目が、珍しいものを見るようにハルトを捉えている。

それもそのはずで、谷から飛んでもどってきたハルトは、全身が輝いていたというのだ。

今は欠片も輝いていないが、その時は直視できないほどに光っていたのだという。

マリーの目に、畏敬の色が宿っているのが分かった。

これまで魔人や獣をたくさん見つづけてきたために、光を放つ人間を神々しく感じたのだろう。

ハルトは逆に畏れ多い気持ちでいっぱいになり、マリーから目を逸らした。



「ボクの怪我は……どうなったの?」


「怪我? ハルトお兄ちゃんはどこも怪我をしてなかったよ。服はボロボロだけど」


「……本当だ。これはひどいな」



自身が纏っている衣服を見て、ハルトは大きくため息を吐いた。

ボロボロになっていた衣服は、服と呼べる部分などほとんど残っていなかった。

破れた布が全身に絡まっていると言ったほうがいいほどである。

獣に切り裂かれた部分などは、糸一本すら残っていなかった。


ハルトは、獣が切り裂いた自身の肩と胸をそっと撫でる。

傷跡はどこにもない。

噴きだした血も残っていなかった。

破れた衣服にも血が付いていない。

まるであの痛みも夢であったかのように綺麗さっぱり治っていた。



「あと、変な石を持っていたよ。今も少し光っているけど、それはなーに?」


「石って?」



マリーが指差す方向へ目を向ける。

そこには、ハルトの左手があった。

左手の内にはたしかになにか握られていて、そのなにかはかすかに光を放っていた。



「これか……」



左手を広げ、握っていた石を見る。

石は真っ白で、手のひらよりも小さく、ごつごつとしていた。

光を放っていなければ、そこらにある石となんら変わりない。



「ホシの光を貯めている石みたい。どこで拾ったの?」


「いや……分からない。今、気付いたら握っていた」



目の前に近付け、観察する。

やはり光っている以外はただの石であった。

宝石のように透き通っているわけでもない。



「ねえ、ハルト。……それって、ルーファウスが持っていたものと同じじゃない?」



いつの間にか泣き止んでいたアリアが言った。



「これが?」


「そうよ。ルーファウスの石は黒かったけど、似ている気がするわ。それにあの言葉、覚えているでしょ……?」




≪ 人を殺せば、黒を生み、万魔を得る ≫


≪ 人を救えば、白を生み、万聖を得る ≫



アリアが言った瞬間、脳裏に焼き付いていた言葉が蘇る。

人の声とは思えない声が、延々と刷り込んできていた言葉だ。



「……白い石……万聖の……?」


「そこまでは分からないけど、谷から戻ってきたハルトは……まるで神様かなにかのようだったわ」


「ボクはその時のことを覚えてないんだ」


「そうでしょうね。飛んで戻ってきたけれど、あなた自身は眠っているようだったもの」


「……もしかしてボクも、ルーファウスみたいになっちゃうのかな……そうだとしたら……」


「きっとならないわ。ルーファウスと違って、嫌な感じがしないから。それにマリーの目を見たら分かるでしょ。こんなに目を輝かせているのよ」



アリアの手がマリーの頭を撫でる。

その優しさの下から覗いているふたつの瞳が、ハルトをずっと捉えていた。

ハルトの身体が光っている時のことを思い出し、再び光りだすのを期待しているのだろう。

しかしハルトは自身が光っていた時の記憶がなかったので、マリーの期待に応えてあげられる気がせず、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



「……って、あれ?」



マリーの頭を撫でるアリアの手を見て、ハルトは首を傾げた。

透き通るように綺麗だったアリアの手が、血で汚れていたからである。



「怪我をしたの? アリア?」


「……え? あ、ああ。これ、ね。……ちょっとね」



言いづらそうにするアリア。

血で汚れた手のひらを隠し、もじもじとしている。

それを見かねたのか、マリーがハルトに寄ってきた。



「もう! ハルトお兄ちゃんが橋から落ちていったから、こうなったのよ?」


「……どういうこと?」


「アリアお姉ちゃん、切れたロープを掴んで谷へ飛び込もうとしたの。ハルトお兄ちゃんを助けようとして」


「あ、危ないな……落ちたらどうするんだよ」


「ほ、本当に落ちたハルトがそれを言うの?? 許さないって、言ったのに!!」



先ほどまでもじもじとしていたアリアが、突然怒り出した。

顔を真っ赤にして手を振りあげる。

ハルトは咄嗟に両手をあげ、アリアの手を防ごうとした。


瞬間。

強い光が溢れた。

見ると、ハルトの左手が光を放っていた。その手の内にある白い石も強い光を放っている。


驚いたアリアが、ぐらりとよろめいた。

ハルトは慌ててアリアの身体を受け止め、支える。

するとハルトから放たれていた光が徐々にアリアの身体へ移っていった。

血で汚れていたアリアの手に光が集まっていく。



「え、え?? なに、これ??」


「ボクにも分からない! アリア、大丈夫??」


「大丈夫よ。びっくりしたけど、嫌な気分じゃないわ。というより、温かくて気持ちいい……かも」



光る手を見て、アリアの目が大きく見開かれる。

傍にいたマリーも目を大きく開き、輝くような表情を作りだした。

どうやら期待していたことが再び起こったと、歓喜しているらしい。


三人が見守る中、アリアの手に移っていった光は、傷付いていた手のひらをゆっくりと修復していった。

傷口だけでなない。

血も汚れも、すべて洗い流していった。

そしてついには、怪我など最初から無かったように綺麗な手へと変えた。



「これって、星月の光の力……?」


「違うわ、ハルトお兄ちゃん。ホシの光ではこんなことできないもの!」


「じゃ、じゃあ……これって……なに??」



三人同時に首を傾げる。

怪我が治ったアリアの手。

ハルトの身体を治したのも、きっと同じ力だろう。


なにがどうして、こうなったのか。

三人は驚き、悩み、また首を傾げるのだった。

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