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万魔


「次は、ハルトだ。その次にアリア。残りは手あたり次第」



ルーファウスの涼しげな声が通り抜けた。

直後、アリアの手がハルトの腕を掴んだ。後ろへ強く引いてくる。



「ハルト!」



ハルトの腕を引きながら、アリアが叫んだ。

泣き叫ぶような声のようだと、ハルトは思った。

しかし泣いてはいなかった。代わりに歯を食いしばり、小刻みに身体を震わせていた。



「逃げるのよ、ハルト!」


「だ、だけど」


「マリーもいるの! マリーのお母さんを助けに行かないと!」



アリアの目が、傍にいたマリーに向けられた。

顔面蒼白のマリーが、虚ろな瞳で周囲を見ている。

誰も彼もが泣き叫び、苦しみながら消えていく世界。血の匂いに満ちた地獄。

それらを見て、聞いて、マリーの思考が止まっていた。



「……わかった! 先に行ってくれ、アリア。すぐに追いかける!」


「本当に追ってきてよね。死んだら許さないから」


「分かっているよ。さあ、行って!」



ハルトは腕を振る。

それを合図に、アリアとマリーが駆け、逃げ出した。

幸いというべきか、ルーファウスも、大きな獣も、周囲にいる数百の獣たちも、アリアたちを追おうとはしなかった。


去り行くアリアたちの後ろ姿が小さくなるのを見て、ハルトはルーファウスに向き直った。

ルーファウスの表情に、変化はない。

逃げていくアリアに、まったく興味を示していないようであった。



「これでいいのか? ルーファウス」



ハルトの言葉に、ルーファウスの眉が小さく上がった。



「アリアのことかい? 君はアリアと私の関係を応援してくれると、そう言っていたからね」


「……そうだよ」


「分かっていたことだった。アリアが私を選ぶことはないと」


「どうして?」


「……はは。君には分かるまい。だからこそ、私を未だに救えると思っているのだろうがね」



涼しい声が、大きくゆがんだ。

怒りを含めているのか。

それとも悲しみに沈んでいるのか。



「どうすれば、救えるんだ。ルーファウスも、村人も」



問答している最中も、周囲から村人の断末魔が聞こえてきていた。

ひとり。またひとり。人が死んでいく。



「ひとつだけ方法がある」



嘲笑うような声でルーファウスが言った。

そして静かに右腕を上げる。直後、殺戮を続けていた獣たちがぴたりと動きを止めた。

地獄のような騒音が消える。

その状況はハルトが望んでいたことであったのに、異様に不気味で非現実的に思えた。

むしろ殺戮の宴が続いていた時の方が良いように思えるほどだ。



「どんな方法?」



息を飲む。

ルーファウスの魔に満ちた顔が、笑い、歪んだ。



「アリアと、マリーを殺すんだ」


「……なんだって」


「ハルトの手で、アリアとマリーを殺す。そうすればハルトも万魔の力を得ることが出来る」


「馬鹿なことを言うな!」


「そうかい? だが、約束しよう。あの二人を殺せば、私はこれ以上村人を殺さない」



歪んだ笑顔の奥に、涼しげな瞳が揺れた。

まるで別の世界の住人になったようだと、ハルトは感じた。


奥歯が震える。

手足が冷え、内臓が委縮し、筋肉が硬直していく。



「緊張しているのかい。ハルト」



ルーファウスの声が、涼やかに鳴った。



「怯えているんだよ」


「そうか。じゃあ、ハルト。ひとつ、良いものをあげよう」



静まりかえった地獄の中、ルーファウスがハルトへ寄った。

黒の紋様で飾られた腕が、ハルトへ伸びる。

見ると、魔人となったルーファウスの手に、小さなナイフがあった。

血に濡れた刃。月人種の男を刺した、あの凶器。



「……どうしてこれを?」


「これを使いたくなる時が来る。私のようにね」


「……使うはずがない」


「使うさ。そして、思うだろう。『もっと早く、こうするべきだった』と」


「そんなこと思ったりしない!」


「なら、その決意を見せてくれ。そのためにこのナイフを持っておくんだ。ハルトがそのナイフを使おうとする瞬間まで、ハルトとアリア、そしてマリーを殺さないでおいてあげよう」



ルーファウスの手から、ナイフが渡される。

生温かい。ルーファウスの体温なのか、血の温もりなのか。

どちらにせよ、ハルトの背筋に更なる冷気と痛みが加わった。


ナイフを握りしめる。

一度だけルーファウスの顔を覗いた。

涼やかな目が、ハルトをじっと見ていた。



「見ていればいい。ルーファウス」


「そうしよう。ハルト」



ルーファウスの声を受け、ハルトは翻った。


アリアが向かった先を探し、駆ける。

しばらく行くと、静かになっていた獣たちが再び騒ぎはじめた。

同時に村人たちの叫び声が聞こえだす。

ハルトは駆けながら、自らの筋肉と骨が恐怖によって硬直していくのを感じた。

より深い地獄へ落ちてしまっただと、本能が叫んでいる。


前後左右からひびく断末魔。

駆けつづけるハルトを呪っているようにも聞こえてきた。


それでもハルトは、まだ獣に襲われていない村人を見つけると、すぐさま駆け寄り、逃げるよう促した。



「出来るだけ遠くへ! 早く!」


「うるさい! 稀人種が!! お前たちが獣を連れてきたくせに!!」



罵詈雑言を返し、村人が家屋の中へ逃げ込む。

直後、空を飛ぶ獣と、地を這う獣が村人を追って家屋に入りこんだ。

間を置いて家屋の中から悲痛な叫び声がひびく。助けを求める歪んだ声。

やがて言葉にならない苦痛を訴える声が鳴り、じわりと消えた。


ハルトは苦い顔でうつむき、立ち尽くす。

その間も、周囲で村人が殺されていった。

村人を襲う獣は、ハルトだけを襲わなかった。

ルーファウスがそうするように獣へ命じているのだろう。

しかしそれが仇となり、村人すべてがハルトを不審な目で見た。「稀人種が獣を呼び込んだのだ」と。


村に、いや世界に伝わっている言葉と、おとぎ話が現実となっている。



≪ 黒は、万魔を生んで人を殺す ≫ 



黒というのは、ルーファウスが持っていた黒い石に間違いない。

そして黒い石から獣が生まれ、人々を殺しつづけている。

それはきっと、はるか昔にも同じようなことがあったのだ。

だからこそ言葉が伝えられ、稀人種が災いを生むというおとぎ話が作られたのだろう。


 

「くそ! おい、そこの稀人種! てめぇ! こいつらをどうにかしろ!!」



横から大声。見ると、小人種の男が獣に追い詰められていた。

ハルトは咄嗟に駆け寄り、獣と小人種の男の間に割って入る。



「どうにかしろ! 俺たちになんの恨みがあるってんだ!」



小人種の男が喚く。

恨みがあるかないかと言えば、あると言いたかった。

あるからこそ、ルーファウスが暴走したのだから。



「ボクにはなにもできません。でも、こいつはボクが抑えておきます。今のうちに逃げて!」


「なにもできないだって!? てめぇら稀人種が連れてきたんだろう!!」


「ボクたちじゃない!」


「うるせぇ! 災いしか呼ばねぇ稀人種が! てめぇらなんぞ、この村へ案内しなけりゃ良かった!!」



後ろで喚く小人種の男。ハルトは驚き、振り返った。

たしかにこの小人種の男は、森をさまよっていた時に初めて会った男であった。

あの日と違って、怒りと恐怖に顔を歪ませている。

そしてさらに強く歪ませると、悲痛な叫び声をあげ、逃げ出した。



「ま、待って!」


「う、うるせぇ! 逃げろって言ったのは、てめぇだ!」



手足をばたつかせながら逃げ出す、小人種の男。

あまりに慌てているため、走っているのか這っているのか分からない。

ハルトは見かねて、手を貸そうとした。

しかし直後に、相対していた獣が吠えた。

小人種の男に飛び掛かり、一瞬で首を食い千切る。


小人種の首から、血が噴きでた。

獣と、助けようとして近付いたハルトに、血が浴びせられる。



「……ど、どうして、だ」



ハルトは膝をついた。

目の前に獣の息遣い。ハルトの様子を窺っているのが分かる。

しかし殺意を発してはいなかった。

小人種の男が絶命したのを確認したのち、獣がゆっくりと去っていく。



「どうして……」



声が地面に落ちる。

視線の先。

ハルトの手の内に、赤く塗られたナイフがあった。



「……アリア……マリー……」



ナイフを握る。

どろりとした血が、ハルトの手の内で不快な感触を発した。



――行かなくては。



立ち上がり、走りだす。

マリーの家はそれほど離れてはいない。すぐに二人と合流しなくては。



――合流して、どうする。



ハルトの口元が歪む。



――逃げるのか。


――どこへ?



駆けながら、周囲を見渡す。

怨嗟の叫び。助けようとしても拒絶してくる目。



――逃げ延びたとして、そもそもこの世界で生きていけるのか?



生きるなら、ハルトたちを憎む世界と距離を保つ他ない。

死ぬまで、息を潜めて。

そうしなければ、第二第三のルーファウスが生まれてしまう。



――殺せば、自由になるのか。



一瞬、アリアとマリーの顔が脳裏に過ぎった。

ルーファウスの言う通りにすれば、これ以上誰も死ぬことはない。

少なくとも自分は楽になれるだろう。



――そんなこと、出来るはずがない……!



駆ける先に、アリアとマリーの姿を見つけた。

二人はマリーの家の前で立ち尽くしていた。

家に入ろうとする様子はない。



「アリア! マリー!」



ハルトは呼びかける。アリアだけが振り返った。



「……ハルト」


「どうしたんだ。マリーのお母さんは?」


「……て……いたわ……」



アリアの声が、か細くなっていく。

聞き取れなかったため、ハルトはマリーにも尋ねようとした。

しかしマリーの目がハルトに向くことはなかった。

じっと家の方を凝視している。



「ま、まさか」



ハルトは飛ぶようにしてマリーの家へ駆け寄り、木戸を開いた。

瞬間、異様な空気がハルトの鼻を刺激した。



「……そんな」



無惨な死体を前に、ハルトは崩れ落ちた。

マリーの母親であったはずの身体に、あの優しげな面影はどこにも残っていない。

人の身体と認識できるものは、手足の一部と、頭髪のみであった。

アリアがマリーを家に入れず立ち尽くしていたのも頷ける、悲惨な光景。


マリーの母親であろう手の一部に、小さな石が握られていた。

星月の光を貯める石だ。

ハルトは石をそっと手に取り、家から出た。


家の前には、アリアとマリーがいた。

先ほどより少しだけ、木戸へ寄ってきていた。

ハルトはマリーに近寄りしゃがみ込むと、取ってきた石をマリーに手渡した。



「お母さんが持っていた」


「……お母さんが」


「最後の最後まで、持っていた。きっとマリーにあげるためだ」


「……こんなの……こんなのいらないわ! お母さん! お母さんがいないと!」


「大事なものだよ、マリー。マリーに子供が出来て、その子に受け渡すまで、お母さんの想いが残ているんだ」



言いながらハルトは、偽善のような言葉だと自嘲した。

思いのほか冷静に言っている自分自身も、偽善者のようだなと蔑んだ。

それでもハルトの言葉を受け、マリーの瞳に光が戻っていく。

わずかでも、生き残るべきという意思を宿していく。



「アリア。先にボクたちの家まで逃げて。ベックたちがどうなっているか心配だ」



ハルトが言うと、アリアが無言で頷いた。



「マリーはアリアから離れてはいけないよ」


「ハルトお兄ちゃんは?」


「ボクは生き残っている村人をできるだけ避難させる」


「きっと誰も聞いてくれないよ」


「分かってる。だけどなにもしないわけにはいかないからね」



ハルトはマリーの肩を抱く。

マリーもまた、抱き返してくれた。

小さな手に、優しい温もり。

地獄の中だからこそ、より温かいと感じるのだろうか。


立ち上がり、アリアとマリーを送りだす。

マリーが一度だけ振り返ってくれた。小さな手が振られ、やがて遠く離れる。



「……ルーファウス。すべてお前の思い通りになんてさせないぞ」



ハルトは、アリアとマリーが見えなくなるほど遠くへ行ったあと、翻った。

未だ周囲には、阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れている。

生きている者が、いや助けられる者が多くいるということだ。



――ならば助けなくては。



ハルトは全身に力を込め、駆けた。

駆けながら、村の外の森へ逃げるように叫ぶ。

ついでに声音を何度か変えた。ハルトではない複数人が「森へ逃げるべき」と判断しているように思わせるためだ。

冷静になれば誰か一人が声を変えているように聞き取れるだろうが、今はそうではない。

混乱の最中で稀人種であるハルトの声だと判別できる者などいないだろう。



「森だ! 急げ!」



ハルト以外の声が、どこかから聞こえた。

つづけて別の声が、森へ逃げるように叫びだした。


恐慌状態から抜け出せてはいないものの、徐々に理性の灯が広がっていく。

ハルトは遠巻きに村人の様子を見て、小さく息をついた。

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