表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

おはようの時間

 雨が降っていた。

 しとしとという擬音を見事に表したような雨。

 癖毛の彼は、起きた瞬間から不機嫌顔。薄目を開けて見ていた私は、やっぱり、といつも通りの反応に少しだけ頬を緩ませる。

 本当はもう一時間も前から目を覚まして雨を眺めていた。けれど、彼が憂鬱になるのだろうと思うと、起こす気にならなかったのだ。

 それを知っている彼は、起こすと言うより構って欲しいというように私を揺すった。今日はサボろうと誘惑するために。


「まゆこさん、雨だよ」

「そうだね」


 窓際に頭を向けたベッドからは、数え切れない雫の筋が見える。

 もう10月。さすがに素っ裸で寝るには肌寒い季節になった。特に、こんな雨の日は。


「陽治くん、着るものとって」

「えー。もうちょっとこうして居ようよ」

「甘ったれないの」


 じゃれつく犬のような仕草で、私の肩口に鼻を擦りつけてくる。くすぐったくて身を捩ると、ぎゅうと腕を回された。

 かぎ慣れた香水が香らない陽治君は、なぜか私のしらない男の子の匂いがする。


「まったく」

「へへ」


 怒ったようなポーズをとると、フザケタ笑いを耳の後ろで漏らす。朝から、まるで『ラブラブなカップル』のようなやり取り。

 急に気恥ずかしくなった私は、もう一度まったく、と呟いてから肩を強めに押した。

 ごろん、と転がった陽治くんを乗り越えてベッドの下を見ると、紺色のスポーツジャージが脱ぎ捨てたままになっていた。大きすぎるジャージは、着る私を嫌がるように着心地の悪さを伝えてくる。


「コーヒー飲む?」

「うん」


 最近砂糖無しで飲めるようになったと自慢してきたことを思い出しながら、だぶ付くジャージの袖を引っ張って指先を隠す。

 キッチンに続くフローリングは裸足の足には冷たすぎる。スリッパをはかなかったことを後悔しつつ、爪先立ちでケトルを火にかけた。


「今日の講義なに入ってたっけな」

「3限だけでしょー」

「そっかー」

「そうだよー」


 扉の向こうから、私の予定が聞こえてくる。就職先も決まった4年生の私は、ゼミと適当に取った講義だけ。卒論も前々から準備していたために、そんなに切羽詰った感情もわかない。

 バイトをして、卒論のために大学に行って、陽治くんが居て。

 私の居場所はこんなにたくさんある。


―ピー


 かちと火を止める音がすると思ったら、いつのまにか陽治くんが隣にいた。

 20センチの身長差のせいで、私は見上げるようにしないと彼と顔を合わせることができない。


「お湯沸いてるよ」

「分ってる」

「ぼーっとしてた」


 私の目を覗き込むように、屈んだ陽治くんの顔が近づく。

 彼の一重瞼は、伏せると長い睫を覗かせる。

 セクシーで、私の凄く好きな表情だ。


「疲れてるの」

「ううん、そうじゃないんだけど」


 本当に? と訝しげな眼差しを避けるために、触れる位の温度になったケトルの取っ手を握った。


「ほら、カップ取って?」

「はーい」


 後ろの小さな食器入れに入れてある色違いのカップが手渡される。

 渋めのオレンジが陽治くん、薄い水色が私。普通のものより大きいのだから、私の手にはちょっと余るほど。

 白い内側が隠れるようにさらさらとインスタントの粉を入れ、お湯を注ぐ。

 湯気に紛れ込んだコーヒーの香りが、じわりじわりと広がっていく。

 私は、キチンと挽いた本物のコーヒーよりもインスタントの薄っぺらい味が好きだ。なぜか安心する。


「牛乳」

「ありがと」


 ミルクの粉はウチにない。陽治くんも私も、あの匂いが苦手なのだ。 

 お湯を沸かしている間、コップに移しておいた牛乳を陽治くんは零さないように慎重にマグに移す。

 真剣になると薄く開く癖のある唇を、コーヒーに口をつけながらさり気無く見つめる。


「…あ、零した」

「だって、まゆこさんが見つめるからー!」

「人のせいにしないの」


 ばれていたのを誤魔化すように眉を寄せて、ティッシュを一枚渡す。


「平気だよ」


 ぺろりと舌を出して、コップと自分の手の甲を舐める。

 いやらしくみえても可笑しくない動作のはずなのに、なぜかみえない。そんな陽治くんの清廉さを、大抵の場合私は好ましく思う。


「陽治くんは?」

「え?」

「部活あるの」

「あー…、る?」

「なにそれ」

「忘れちゃった」


 はははと困ったように笑って、思い出そうと唸る。

 人の予定を確り覚えているのに、自分の予定があやふやなんて。

 すぐに自力を諦めた彼は、ポケットに入れていた携帯を開く。かちりという音と共に、電気をつけていない薄暗いキッチンに青白い光。

 携帯の灯りは以外と明るい。眩しく感じて、コーヒーに目を落とした。

 ブラックのコーヒーの上に、褐色の泡がうろうろして、カップの淵に落ち着いた。


「ある」

「そっか、何時?」

「5時に終わるから、6時には帰る」

「ご飯、どうする?」

「ここで食べる」


 無音で頷くと、隣でおなじくシンクを向いていた陽治くんが私の正面に回る。

 私とシンクの間に挟まり、半分になったコーヒーを脇に置いた。


「まゆこさん」

「なに」

「なんでもなーい」


 甘えた声を出す陽治くんの胸をぽんぽんと叩く。


「ぎゅってしていい?」

「どうぞ」


 陽治くんは嬉しそうにカップを取り上げて、オレンジ色の横に置いた。

 私の手首を長い腕が掴んで、引っ張られる。


「まゆこさん、髪の毛伸びたね」

「うん」


 さっき叩いた場所に額を当てて、髪の毛を梳く手を許す。

 陽治くんと付き合いだした頃は、肩よりちょっと長いくらいだったのが、今では胸までの長さになった。

 無言が続いて、髪を梳く一定の速さが眠気を誘う。ぼんやりとした気分に負けそうになって、ふと我に返る。


「やだ、今何時?」

「10時ちょっとすぎ」

「そろそろ支度しないと」

「なんだー、作戦失敗」

「何が?」

「このまま眠くなっちゃうかと思ったのに」

「はは、残念でした」


 尖った口をつまんで、潔く背を向けた。

 洋服を用意しながら、シャワー浴びて化粧してと外出するまでを頭の中でざっと計算する。

 キッチンにあるぬくもりを名残惜しいと感じてしまわない方法。恋に疎い私でも十分に知っているのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ