弱小高にだって青春をかけた「最後の夏」は確かにある
最後の夏にのぞむ弱小県立高校野球部の女子マネと部員たちの青春ストーリー。
相手校の悪役エリートバッターもやっぱり男前で、蒼い時ってのはどこまでも真っ直ぐなんだよな。ってな物語です。
どう足掻いても届かない打球に、セカンドの山本君はいつも飛びつく。
無理だとわかっていても、ノッカーの意図がどうであろうと山本君は常にダイブだ。
「あの気持ちを持てないとダメなのよね」
右肘にテーピングをした腕でノックをする、キャプテンの大河内浩太にボールを手渡しながら神代真希は呟いた。
一歩でも、届かないとわかっていても少しでも前へ。
そういう思いを練習からぶつけていないと、試合では実力を発揮できない。小さな頃からコーチに何度も言われ、中学最後の試合でも思い知らされたアドバイスだ。
その試合に勝てば県大会に進むことができる。真希がエースを務めたそのチームでは、十数年振りとなる市大会突破の掛った大切な試合で実感させられた言葉だった。
「センターもっと追え。もっと走るんだっ」
深々と左中間にフライを打ち上げた浩太が、苛立つ表情を隠しもしないでそう叫んだ。
打球を見ていただけのレフトもとばっちりを受けた。中継に入るのが遅れたショートもサードも同罪だ。浩太は真希からの次のボールを断ると、大きく両手を広げて、守備についていた全選手を呼び集めた。
「オマエらやる気あんのかよ。明後日はもう本番なんだぞ」
「んなこと言ったってよぉ、勝てるわけねえじゃん。相手は智阪だぞ。わかるだろ?チバンガクイン」
サードの上村がそう口を尖らせた。
智阪学院といえば県内では常に優勝候補、それも、甲子園では二度も春夏連覇を記録した過去を持つ、全国的にも名の知れた強豪校だ。
「だから何なんだよ。勝てねぇかもしんねえけど、やるだけやらないでオマエら納得できんのかよ。試合する前から気持ちで負けてていいのかよ」
わかる。浩太の苛立ちは十二分に理解できる。
だけど、このチームにそんな気迫を期待するのは無理があるんじゃないだろうか。そう思いながら真希は、ホームベースに集まったチームメイト全員を見渡した。
エースで四番の浩太とセカンドの山本、そして、さっきは怒鳴られこそしたが、懸命に走っていたセンターの前崎以外に、このチームには野球経験者はいない。センターライン以外の全員が高校に入ってから野球を始めた素人部員ばかりだというのに、本気で強豪に勝とうとして団結するなんて、とてもではないが考えられない。
「頼むぞ。試合までもう時間がない。とにかく全力だ。気持ちだけは智阪にだって負けないとこ見せてやろうぜ」
励ましているのか怒っているのか。どちらなのかよくわからない浩太の掛け声を合図に、ナインは再び守備位置に散った。
部員不足のせいで真希は、マネージャーだけでなく捕手役も務めている。その真希からのトスを受けて、浩太はノックを再開した。
サードからショート、そしてセカンドにファーストとシートノックが続く。だが、セカンドの山本以外はやはり覇気はない。だらだらとただノックを受け、山なりのボールをファーストの永川に投げ返すばかりだった。
「おいおい頼むよ、オマエらよぉ。最後くらいマジになってくれよ。今度の試合で終わっちゃうんだぞ。高校野球ともオサラバなんだぞ」
砂ぼこりとともに跳ねる白球の音が転がっていく。ホームベース上で響いた金属音が、グラウンド全体にこだまする。
だが、セカンドの山本以外はもう、掛け声のひとつも出さなかった。
(本当にもう終わりなんだ………)
ジメジメとした熱風が、真希の髪を頬にまとわりつかせた。
首を揺らして髪を振り落した真希は、そのまま夏の空を仰ぎ見た。真っ白な雲が流れていく。高く、どこまでも澄んだ高い空に、浩太の叫び声だけがむなしく溶けていく。
「あ~あ、私が男だったらなぁ」
翌朝、朝練に向かう駅からの道すがら、真希はボソっと呟いた。
中学までは女子選手であっても男子と同等にプレーできたが、高校ではさすがに体力的に難しい。高校に入学してすぐの部活見学でそう感じた真希は、選手の道をあきらめ、マネージャーとして野球部に入部したのだった。
「オゥ、神代。おはよう」
背越しにそう声を掛けてきた浩太が、小走りに真希を抜き去って校門に消えていった。
真希たちの滑の川高校にソフトボール部がなかったことも選手断念を決断した一因だったが、一年生のときの同じクラスに浩太を見つけたのも、マネージャーでもいいから野球に関わっていたいと考えた大きな原因だった。
女子部のない野球部に女子専用の部室はない。隣の陸上部の部屋を借りて着替えを終えた真希は、グランドに出ると、珍しく部員全員が揃っているのを見て驚いた。
(あ、そっか。今日はバッティングの日か)
守備練習や筋トレは嫌いでも、打撃練習だけは集まりがいい。打つのは楽しいもんね、みんなホントに現金なんだから。そんなことを思いながらランニングとストレッチで体を慣らし、練習用のユニフォームに身を包んだ真希はマウンドに上がった。そして、キャッチャーを務める浩太を相手にウォーミングアップを始めた。
真希がバッティングピッチャーをするようになったのは二年の春からだ。練習から試合までずっと一人で投げ抜いてきた浩太が肘を故障してしまい、部員の中で唯一中学野球で投手経験のある真希が、打撃練習の相手をすることになったのだ。
「よーし、気合い入れてけよ~」
そう叫んだ一番バッターの山本からシートバッティングが始った。次打者の前崎以外は守備についている。センター方向に振り向いた真希は「しまっていくよー」と守備陣に声を掛け、初球から全力で直球を投げ込んでいった。
「OK、ナイスボール」
真ん中低めのストレートをすくい上げた浩太が、気持ちよさそうにそう叫びながらボールを返す。
そう、アンタの高校野球を見届けたかったんだよ。と、ボールを受けた真希はまた力一杯に、だけど今度は変化球を投げ込んだ。
「あっ」
バットの芯を捉えた乾いた打撃音と同時に、真希は外野に振り返った。余計な考え事をしていたからだろうか。甘く入ったカーブを山本は見逃さなかった。右中間を深く割ったその打球は、センター後方にラインの引かれた陸上部のトラックをも超えていった。
打球へと走る外野手を目で追いながら真希は、カバーのためにセカンドまで走った。
中学最後のあの試合でも繰り返された光景だ。その試合でエースとしてマウンドに立っていた真希は、終盤になって打ち込まれたのだった。変化球とそのコントロールが自慢だったがまるで通用しない。相手のタイミングが合わなかった試合序盤こそ凡打の山を築くことができたが、二回り目からは相手チームの猛打が爆発し、真希たちのチームはコールドゲームで敗退したのだった。
「OKOK、どんどん真っ直ぐ投げ込んでこい」
アウトコース低めの直球に次打者の前崎が空振りをすると、立ち上がった浩太が力のこもったボールを投げ返してきた。
そう、この球だったんだよ。と、回転と伸びのある生きたストレートを受けると真希は、キャッチャーミットを構える浩太をじっと見つめた。
体格で劣る女子選手だからと、ストレートを捨て変化球と制球に磨きをかけた中学時代。それが間違いだったと、チャレンジもせずに直球を捨てたのは本末転倒だったと、そう気づかせてくれたのは中学最後の試合の相手ピッチャー、大河内浩太その人だった。
その試合でストレート一本やりだった浩太は、これでもかとばかりに力一杯のボールでバッターに立ち向かっていた。浩太とは小学校の頃にリトルリーグでも対戦したことがあったが、そのときはボールの速さ、制球ともに大きな差はなかった。
それがどうだろう。中学の三年間でふたりの投げる球は全く別物となっていた。その違いは男女の体格差だけに起因するものではなかった。生きた球を投げるために全力を尽くした者と変化球に逃げた者、その違いが、ボールの回転や伸びどころか、球に乗り移る気迫にまでに影響を及ぼしているように当時の真希には思えたのだった。
だから高校に入学したその日に、同じクラスに浩太を見つけたときは心底驚いた。自分をコテンパンに打ち込み、投手としての格の違いまでをも見せつけた浩太が公立の進学校にいるとは思いもしなかった。浩太の中学の4番の堂島とともに、甲子園を目指して智阪学院に進むものだと思い込んでいたからだ。
県下でも有名だった投手と同じチームで野球ができる、一緒に夢を見られると真希は、マネージャーになる決心をした。だが、進学校の滑高に野球に打ち込む生徒など集まるわけがない。一年生の最初から浩太と真希は部員集めに奔走し、ようやく揃えたのが今の9人だったのだ。
だから浩太を除くと、セカンド山本とセンター前崎以外に野球経験者はいない。そのせいで投手の浩太が怪我で投げられないとなると、バッティングピッチャーは真希だったのだ。
だがもちろん、センターラインの3人以外はまともにキャッチボールすらしたことのない連中なのだから、中学レベルの真希の投げるボールですらかすりもしない。
それでも真希は毎日、懸命にストレートを投げ込んだ。
浩太が怪我をした二年の春以来、来る日も来る日も、中学での後悔を断ち切ろうとするかのように、気迫のこもった真っ直ぐをキャッチャーミットに向け投げ続けたのだ。
「よーし、それじゃあ集合」
シートバッティングを終え短い守備練習も終わらすと、浩太はサード側のグラウンドの端にあるベンチの前にチーム全員を集めた。監督のいない滑高野球部では毎年の儀式だ。大会に備え試合用のユニフォームが、その代のキャプテンから配られる。
浩太は本来のキャッチャーの上原から順に、ポジションと背番号を読み上げながらユニフォームを手渡していった。そして最後に「ピッチャー、俺」と自分をコールすると、続いてベンチに置かれた段ボール箱の中から、ビニール袋でラッピングされたままの真新しいユニフォームを取り出した。
「それから10番、記録員として神代。マネージャーとして11番、榊」
まさか。まさかそんな馬鹿な。と、目を丸くして真希は浩太を見た。
女子部員のベンチ入りは認められているが、選手登録までは許されていない。だからベンチのマネージャーは制服姿だ。ユニフォームを着た女子のベンチ入りなんて、聞いたことも見たことも無い。
「神代はほとんど同じ練習をしてきたからな。せめてユニフォームくらい着てベンチに入ってくれ。榊も球拾いから雑用までよく頑張ってくれた。だからさ、俺らの代の最後に試合のスコアブック、きっちり付けてくれよな」
照れくさそうに横を向いた浩太が無性におかしかった。言っていることも支離滅裂だ。2年生マネージャーの榊澄香と顔を見合わせて、真希は思わず吹き出してしまった。
泥だらけの練習用ユニフォームを着るのもそれが最後だった。真希たちは、三塁側の白線に一列に並んで帽子を取った。そして、浩太の掛け声を合図に一礼をした。
「ありがとうございましたっ」
と、三年間の想いを込めて、汗の染み込んだグランドに別れを告げたのだった。
お読みいただき、誠にありがとうございます。三回連載の初回なので、このダラダラストーリーはあと二回続きます。よろしかったらお付き合い下さいませ。