39粒目「夢見る勇気を示して」
夕刻、葉月商店街に入ると、早くも店仕舞いをする人々の姿が見えた。
真昼間ですら人が来ない方が当たり前の店が多く、夕方以降に至っては基本来ないため、夕焼けが見えたら店仕舞いをすることも珍しくない。衰退している地方都市の特徴でもある。
ここに来た理由は他でもない。うちの親に生き方の確認をするためだ。
うちの親はどちらかと言えば過干渉だが、お兄ちゃんは一度打破している。大人たちの言うことをよく聞いて育った子供は自分の意見を失い、やがて自分の人生の責任を大人や社会に押しつけるようになるわけだが、これは無理もない話だ。本来自分の意思で判断しなければならないことを、良かれと思って干渉され、大人たちの選択に慣れてしまうと、選択の責任は大人たちに生じる。
責任とは選択権である。自分の意思を尊重されてこなかった子供が、すぐ人のせいにする大人になるのは至極当然なのだ。そのためにも、一度親と話し合い、自分が思い描いている道筋と親が子供に対して持っている道筋を照合し、合わない部分については従う意思がないことを表明する必要がある。
お父さんもお母さんも私とお兄ちゃんが心配なのか、週1回程度うちを訪れている。
またしてもあれこれ言われないかと心配になるほどだ。
多くの親は無意識に子供をコントロールしている。
子供は未熟だから何もできない。だから自分が管理してやらねばという上から目線だ。私は揉め事の経験が圧倒的に不足している。うちの親は問題が起こることを良しとしていない。まともに解決しようとするどころか、なかったことにしてしまう。問題を起こさずに暮らしていくなら引きこもりしかないわけだが、私としては今すぐにでも引きこもりになりたい。
しかし、それでは世の中の多くの問題に目を瞑ってきた人と、何ら変わりないのではないかと思う自分もいる。私自身、自分がどうあるべきかを確認したくなった。
実家の扉を開け、キッチンにいた赤いエプロン姿のお母さんが私に気づく。
「あっ、おかえり。ご飯食べてく?」
「いらない。ちょっと聞きたいことがあるの」
「なあに? 改まって。あず君と喧嘩でもした?」
何かを察したようにお母さんが言った。玄関には余り物の花束がある。
花屋のバイトはまだ続いているようだ。味噌汁に使われている豆腐が小さくなっている。近所の豆腐屋もピンチらしい。最近買ったばかりの安いコップがいくつかある。これはサイバーモール内の百均にしか売っていない。商店街の外にも赴くようになっているようだ。
物価は変わってないが、生活は確実に貧しくなっている。
より安い商品を求め、スーパーやコンビニへと赴くようになっている。
それで商店街の商品を買わなくなることで、商店街がより貧しくなる。負の連鎖が家にある物に反映されていることを知る者はほとんどいない。
「喧嘩なんてしたことないよ。そもそも同じレベルじゃないし、私が聞きたいのは、お父さんとお母さんは私にどうなってほしいかってこと」
「どうなってほしいって言われても、私は璃子が幸せになってくれたら、それで充分だよ」
「そう言う割には、進学とか就職とかを執拗に勧めてくるでしょ。引っ越した後、社会の実態をたくさん見たの。学校で学んできた知識がまるで通用しなかった。上の言う通りにしていればそれでいいっていう土壌がないどころか、自分で考えないといけないことが凄く多かった。もし私が学校に行き続けていたら、社会の実態に気づかないまま、大人になっていたかもしれない」
「進学した方が、選択肢が広がると思うけど」
何かの1つ覚えのように、選択肢と口にする。
それで選択肢が広がったところで、結局はOLの道に引き摺り込まれることは分かっている。
幸せになってほしいのは本音だろうが、同時に安定した生活をしてほしいことが窺える。安定した生活と幸せな生活を両立しなければ、決して認めてはくれないのだ。しかしながら、安定と幸福は必ずしも一致しない。幸せになることを第一に考えるならば、安定した仕事よりも、好きな仕事を優先する場合が多いのだ。つまりどっちを選んだとしても、何かしら指摘をされるのだ。
安定した仕事で幸せになるのが最適解となるが、本当にやりたいことや好きなことは全て趣味の範囲に留まる。趣味を仕事にするのは、売れっ子にならない限り不安定だ。
「……璃子も高校には行きたくないの?」
「分からない。でも……行くにしても、行かないにしても、ちゃんと自分で決めたいの。行く場合はお兄ちゃんに学費を調達してもらうから、お父さんとお母さんは出さなくても大丈夫だよ。ただでさえ親戚からの借金があるんだから、無理する必要はないよ。」
「それだと助かるけど、あず君のカフェ、本当に大丈夫なのかなー」
「成功すればそれで良し、失敗すれば知り合いのカフェでお父さんと一緒に働くんじゃない?」
「実はお父さんねー、大手コーヒー会社の社長さんと同級生なんだって。それでコネ入社させてもらおうと考えてるみたいなの。自営業ってほとんどは5年以内に閉まっていくみたいだし、その頃にはあず君もいい年になってるはずだし、大手コーヒー会社に入れてもらえば、それで安定した生活ができるようになるでしょ。あず君は納得しないだろうけど」
「お兄ちゃんが聞いたら、余計なお世話だって言うだろうね」
大手コーヒー会社とコネがあるのは助かる。
流石は3代にわたってコーヒー好きなだけのことはある。
アフターケアが万全であることを確認した私は、ある重大な決意をする。
言ってしまえば後には引けない。お兄ちゃんが助かるなら、残るは私の将来のみ。だがお兄ちゃんは組織人の対極に位置する存在、仮に大手コーヒー会社にコネ入社できたとしても、そこでうまく馴染めるとは到底思えない。また問題を起こして追放されるまでが目に見えている。
だったら無駄に敵を増やしている場合じゃない。
将棋はもう諦めよう。OLになっても同じことの繰り返しだ。
必ずガキ大将みたいなのがいて、嫌われないよう忖度して、神経を擦り減らしながら生きていくなんてしたくない。日本の組織の構造はよく分かった。恐らくどこも似たり寄ったりだ。ならば方法は1つに絞られる。誰にも干渉されず、好きなことをして幸せになるにはこれしかない――。
「お母さん、私、ショコラティエになる。家に引きこもっていても暮らせるようにする」
「ショコラティエって何?」
「チョコレート専門のお菓子職人、いつになるかは分からないけど、必ずなってみせる」
「それだったら、お菓子を作ってる会社に就職するとかでいいんじゃない?」
「お母さん、就職なんてしたら、組織に馴染むことに労力と時間を割くことになるんだよ。そんなことをしている間に年だけ取って、気づいたら何のスキルもない中年おばさんになるのが目に見えてるし、お父さんとお母さんの言う通りにして、それで人生がうまくいかなかったとしても、責任は取ってくれないんでしょ? だったら自分の人生の方針くらい、私に決めさせてほしい。じゃないと……多分、10年後の私は、人生がうまくいかないことを親と社会のせいにしてると思う。それでも安定した生活とやらに誘導するつもり? 勝手にしろって言うのは簡単だけど、本当にその覚悟はある?」
「……璃子もやっぱり……あず君にそっくり」
諦めたような笑みを浮かべながらお母さんが言った。
何も考えてないふりをして、実はしっかりと観察しているのは、うちの親も同じだった。
夢を叶えるだけであれば、親の了承を得る必要はない。だが味方がいれば、夢を叶えられる確率は大幅に上がる。私は身内に造反者がいないことを確認したかっただけなのかもしれない。
「自分を抑えているように見えて、内心では納得してない。でもね、どうしても駄目な時は、ちゃんと反対してもいいんだよ。学校にいた時の璃子を担任の先生から聞いたけど、まるでいないように感じる時があるって、みんな口を揃えて言ってた。存在感を出すのがそんなに怖い?」
「怖いも何も、目立つなって教えてきたのは大人たちでしょ。正直、息が詰まる思いだった。最初は平気だって思ってたけど、何もしていないはずなのに、周囲の人たちがいじめられる光景に耐えられなかった。私は自分がいじめられるのも嫌だけど、大事な人がいじめられるのも嫌なの。だから高校には行かない。これ以上学校から学ぶことは何もないし、お兄ちゃんほどじゃないけど、絶対病む」
今まで積もりに積もった想いを吐露すると、心に詰まっていた膿が取れたような気がした。
やっと言えたと言わんばかりに、ホッと胸を撫で下ろす。怒られたって構わない。自分の人生は自分で決める。私にとっては大きな一歩だ。正解じゃなくてもいい。後悔するくらいなら……。
どうやってショコラティエになればいいかまでは分からない。
でも何も言わなければきっと後悔するし、親に無意識な妨害をしてほしくない。
自己責任と言ってもいいのは、十分に熟考して決断した場合のみである。
「じゃあ好きにしたら?」
「そうする。お父さんとお母さんの意図には沿わない進路だし、応援はしなくてもいいけど、邪魔だけはしないでほしいの。たとえどんな末路になったとしても」
「分かった分かった。お父さんには私から言っておく。それでいいでしょ?」
「うん。私、お父さんに反対されてもやるから」
念を押すように言った。女性同士の関係は複雑怪奇だ。
内心では納得していないのはお母さんも同じだ。ハッキリと言わなければ邪魔をされる。
お兄ちゃんは何度も妨害を受け、就職レールに乗せられようとしていた。だがお兄ちゃんが欲していたのは安定ではなく、他でもない安心だった。
「但し――」
お母さんが覚悟を試すように言った。
「ショコラティエだっけ? 目指すんだったら、世界一のショコラティエを目指すこと。それくらいのつもりじゃないと、職人の道なんて究められないよ」
「……うん」
小さく頷いた。私は一大決心を決めた。将来を模索する戦いが一区切りついた。
一刻も早くお兄ちゃんに報告したいところだが、お兄ちゃんは起業に集中させたい。事業が成功したら話そうとは思うが、果たしてそんな日は来るのだろうかと疑問に思う自分がいる。
自分の夢に専念できるまでは、お兄ちゃんの店を手伝おう。
私にとってはモラトリアムの延長とも言える決断だが、最終到達点を決めたのは大きい。のんびり平和に暮らすとは、一生分稼いで引きこもりになることだ。社会に揉まれる経験も大事とは言うが、揉まれて耐えられない人間もいる。私のような平和主義者にとって、社会は刺激が強すぎる。
漠然とした夢を抱き、私は家に戻るのであった。
――クリスマス当日――
私、夏芽、冬美、静乃、春香、秋葉の6人が集合し、ガールズトークを繰り広げた。
クリスマスパーティーはご馳走がテーブルの上に並び、曲がり角のある2つの茶色いソファーに腰かけたところから始まった。必要分だけ料理を取り、今までに食べたことのないものまであった。優子さんが言ったように、また胸に栄養が集中したらどうなるのかと心配した。少し考えれば、迷信であることくらい分かるはずだが、心の余裕がなかったのか、判断力を奪われていた。
パーティーを通してみんなの好みを知った。
直接聞いたわけではない。みんなが自分の皿に取った料理と割合を見れば、誰がどんな味を好むのかがよく分かる。バランス良く食べているように見えるが、好きな料理を取る時だけ多めに取っているところを見れば、みんな肉好きであることが見て取れる。
無論、スイーツも好きである確率は高い。
1日前のクリスマスイブ、夏芽に誘われ、プレゼント交換用のチョコレートを作ってから保管してもらっていた。狭山社長は夜中と早朝以外に在宅することがなくなり、夏芽とは疎遠になった。花嫁修業を施す余裕がないあたり、余程経営が厳しいようだ。
私が作ったのは『ボンボンショコラ』だった。
チョコレートの顔とも言える存在である。中に詰め物をした一口サイズのチョコレート。ボンボンは一口サイズの砂糖菓子を指すが、そこから派生して、一口サイズのチョコレートを指すようになった。
世界一のショコラティエになること、それが就職レールから外れ、社会から解放される条件であるならば全力は尽くしたいが、やはり世界でたった1人しかなれない1番を目指すのは簡単ではない。しかもあろうことか、将来の夢をみんなの前で発表することになってしまったのだ。今を生きるので精一杯とは言えない。だが人に聞かれた場合の返答材料はできた。
「じゃあそろそろプレゼント交換しよっか」
「やっとプレゼント交換だねー。楽しみー」
「プレゼントって、手作りとかでも大丈夫かな?」
「えっ、璃子って手作りなの?」
「うん、もしかしたら予算オーバーしちゃってるかも」
「別にいいじゃん。璃子のプレゼント楽しみだなー」
「秋葉、誰に当たるか分からないんだよ」
「あっ、そうだったー」
「「「「「あはははは!」」」」」
談笑しながら、各自袋に包まれたプレゼントを持つ。
プレゼントに番号札を貼り、くじ引きで番号と同じプレゼントが自分の物になる。自身が用意したプレゼントだった場合はやり直しになる。もしお兄ちゃんがこの場にいたら、気に入らないプレゼントに対して、これいらないと言って空気を凍りつかせていただろう。
以前も似たようなことがあり、お兄ちゃんはプレゼント交換出禁となった。
アフターケアとして、お兄ちゃんにはお金を渡し、プレゼントを自分で買いに行く方針となった。
1人ずつくじ引きを行い、全員が番号と同じプレゼントを選んだ。
私のプレゼントは冬美に渡り、私が受け取ったのは夏芽からのプレゼントだった。
「うわー、これサイバーモールに売ってた腕時計じゃん。可愛い~」
「それあたし。気に入ってくれた?」
「うん。丁度欲しいと思ってたー!」
「良かったー。みんな腕時計持ってないから、誰に当たっても大丈夫な物にしたの」
「さっすが秋葉だねー」
和気藹々と楽しむみんなだが、内心では無意識に牽制し合っている。
丁度欲しいと思ってたは、ほとんどの場合において本当はいらないという意味だ。しばらくは気を使って装着するだろうが、恐らく1ヵ月後には腕時計を外しているだろう。時間を確認するだけなら携帯で十分だ。昔は必須アイテムだったが、子供は時代の過渡期に敏感で、前時代的なものをいらないと思ってしまう。自分では分からなくて不安なのか、親にプレゼントを選んでもらったことが窺える。
誰に当たっても大丈夫な物は、誰に当たっても50点ということだ。
秋葉の無難にやり過ごそうとする思考は私に通じるものがあるが、無難さを大事にしすぎて他を犠牲にしてしまうところが、飛車角を大事にしすぎて玉を詰まされる立ち回りに表れる。春香の当たって砕けろ思考は駒を突撃させる立ち回りを見れば分かる。行動する勇気がある反面、事を起こした後のことを考えていないのだ。恐らくは親の仕事が大きく影響しているものと思われる。
親がサラリーマンか公務員の人は安定思考に走りやすく、起業家の場合は失敗を恐れない性格になりやすいようだ。私の安定思考は親の仕事や性格によるところも大きいが、お兄ちゃんが学校で盛大に失敗したことが最大要因だ。皮肉にも安定とは程遠い道を選んだが、不思議と後悔はない。
「ねえ、夏芽のプレゼントだけど、ちょっと大きくない?」
「ふふっ、いいから開けてみて」
言われるがまま開けてみる。少しばかり大きい袋に黒い箱が入っている。
みんなのプレゼントよりも一際大きくて目立つ。気になっていたが、まさか私が引き当てるとは思わなかった。だがこの大きさからして、大体想像はつく。
何かを折り畳みしたくらいの大きさ、つまり衣服だ。
プレゼントを広げてみると、腰部がコルセット状になっているハイウエスト、暗色の短めなスカートに白いブラウスのメイド服だった。胸部が強調され、胸部と腰回りの境界線がハッキリしている。
「えっ、これもしかしてメイド服?」
「あったりー。一応オーダーメイドで、璃子のサイズピッタリになってるの」
「私以外の人に当たったらどうしてたの?」
「あっ! ……あはは、忘れてた」
「ふふふふふっ! 夏芽って璃子のことしか考えてないじゃん」
どうして私のためだけに作ってくれたのだろうか。
これなら誕生日プレゼントで渡してくれれば――そうだ、あの時は不登校になったばかりだ。
再会する前に誕生日を迎えていた以上、他に渡すタイミングがあるとすれば、クリスマスパーティーくらいしかない。来年の誕生日にはサイズが変わっている可能性もある。
「本当は誕生日プレゼントで渡すはずだったんだよね?」
「――よく分かったね」
「あー、そういうことかー。当たって良かったじゃん」
クリスマスイブでのやり取りを思い出した。
プレゼント交換のやり方を完全ランダムにしようと言ったのも私だし、冬美たちを呼ぼうと言ったのも私だ。結論を言えば、夏芽は最初から私と2人でクリスマスを過ごすつもりだった。
2人であれば必ず私とプレゼント交換ができるし、私のためだけにこのメイド服を作ってくれたのもよく分かる。白黒が好きな友恵さんのデザインであることはすぐに分かった。
「ねえねえ、そのメイド服、着てみてよ」
「恥ずかしいんだけど」
「大丈夫だってー。これでウェイトレスとかやったら、お客さんいっぱい来るかもよー」
「……しょうがないなー」
私だけ部屋を移動し、メイド服に着替えてから恐る恐る姿を見せた。
鏡で私のメイド服を見る。やっぱりちょっと恥ずかしい。胸が強調されてるし、腰回りの黒さとは対照的な白さがあって尚更目立つ。腰回りとの違いが色でハッキリ分かれていて、胸に興味ない人でも胸を見てしまう。あえて比喩的に表現するならば、これは童貞を殺す服だ。
無駄に異性を惹きつけてしまわないか心配になってきた。
ましてや絶対に近づけてはいけない人には見せてはいけない。
世の中にはこういう姿を見て襲った挙句、挑発するような服装をする方が悪いと言う人もいる。だが私は春香が言ったリスキーなアイデアを思いついてしまった。
このメイド服なら、客足を増やせるかもしれない。
周囲にばれず、自然な形で客を引き寄せる方法があるとすれば、この方法しかない。
「すっ、凄い!」
「璃子って、こんなに美人だったんだー」
「普段は地味な格好だから気づきにくいよねー。顔も端正だし、おっぱいも大きいし、男子に言い寄られるし、羨ましい限りだよー」
「地味で悪かったね」
目立たないようにするには、戦場で迷彩柄の服を着るように、町中では地味な服が溶け込める。
モテたいと思う神経がよく分からない。自分からトラブルの火種を蒔くようなものだ。しかし、モテなければ、需要がなければ、ロクに稼ぐことさえできない。
白黒のメイド服は、私の背中を押してくれているような気がした。
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