30粒目「審判の日」
これにてショコラティエの第1章終了となります。
次回からは学校に行かなくなった璃子が将来の道を模索する展開となっていきます。
自分なりに周りに合わせていた時の心境を反映させてました。
5月下旬、お兄ちゃんの心境にまたしても変化が生じた。
何でもない時に涙を流し、迷彩戦略に苦心する私を困惑させた。
一方で私は平穏な学生生活を送っていた。静乃は相変わらず不登校のままで、みんなから存在を忘れられつつあった。あの時見捨てていなかったら、ずっと登校し続けてくれたのだろうか。
一番悪いのはいじめっ子だ。だが傍観者も同じくらい悪い。
口には出さなかったが、助けてほしいと目で訴えていた。静乃の不登校が長引けば長引くほど、私が最悪の意気地なしであることを思い知らされる。静乃が座るはずだった空席を見るだけで、どうにも気分が悪い。荒井君は気にも留めていないばかりか、最上位グループの人たちとのうのうと談笑する。
荒井君が席を立つと、私の席にまで迫ってくる。
「葉月、ちょっといいか?」
ライオンのように見下ろしてくる荒井君。
「……どうかしたの?」
「いいから来い」
荒井君が教室の外を出た。夏芽も冬美も私を心配しながらも見送った。
ここは様子見で従ってみよう。呼び出すということは、恐らく悪いことではない。
廊下の端にまでついていくと、荒井君が私の隣に並んだ。対面はしたくはないか。私だってそうだ。この世紀末のような威圧感、近づくだけで肌がピリピリする。静乃はこんな思いで耐えていたんだ。
「なあ、俺とつき合ってくれねえか?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「つき合うって……どういうこと?」
「そのまんまの意味だってー。俺さー、前々からお前のこと気に入ってたんだよ。小さくて可愛いし、いつも女子に囲まれて、なかなか話しかけ辛いし、男子に興味ねえのか?」
「特に興味はないかな。だから……友達ってことでいいかな?」
友達という言葉は、全能とも言える利便性を誇る。
この国では、友達だからが理由になってしまう。
荒井君は夏芽に告白して振られたと聞くし、振られてからは夏芽に対して厳しい態度だ。運動会で負けても諦めなかったのに、何で急に私に切り替えたんだろうか。どう考えても荒井君の態度に一貫性がない。何か裏がある。同時に2人を好きになる人もいるにはいるが、この国でそれは御法度だ。
友達とは何かに協力させるだけでなく、告白された時の妥協案としても使える。
無論、女子が男子に向かって言う友達とは、あなたは恋愛対象ではないという意味だ。
荒井君が乙女心を理解している可能性は限りなくゼロに近い。というかない。断言してもいい。
「じゃあ友達としてさ、今度一緒にデート行こうぜ」
やれやれ、どうやら友達という言葉の意味を理解していないようだ。
友達になるのは、交際OKって意味じゃないんだけど、ここまで読解力が低いと、どう説明すればいいんだと困惑してしまう。お兄ちゃんの苦労がちょっとだけ分かった気がする。
「璃子、話は終わった?」
丁度良いタイミングで、夏芽が声をかけてくれた。
ふぅ、助かった。ここは撤退あるのみ。
「うん、終わったよ」
「おい、デートの返事貰ってないぞ」
「あのさー、正式に交際もしてないのに、デートとかマジあり得ないんだけど」
「ちぇっ、面白くねえ!」
教室へと戻っていく荒井君を夏芽が見送ると、私の手をそっと握りしめた。
「……ありがとう」
「大事な友達なんだから、当たり前でしょ」
ニコッと笑いながら夏芽が言った。今の私には眩しすぎる。
「私は大事な友達なのに……助けてやれなかった」
「静乃のこと?」
「……うん」
「じゃあ一度会って確かめてみたら?」
「そんなの無理だよ。冷めた目で見られたら、一生ものの傷になりそうだし」
「静乃はあたしたちが見捨てたせいで、一生ものの傷を負ったかもしれないんだよ」
「!」
「だから、あたしはもう逃げない。それにもう弱みとかないし」
「……」
何も言い返せなかった。静乃のことなんて何も考えてなかった。
心の負債が積み上がっているような気がする。夏芽は立派に行動してみせたが、ずっと迷彩戦略を続けてきた私には到底できない。迷彩戦略とは、自分を守るための戦略だ。自らを危機に晒してまで行動するのはお兄ちゃんの生き方だ。ボロボロになってまで自分を貫く勇気などない。
――でも、そんな生き方を羨ましいと思っている自分がいるのはどうして?
何もできない状況にではなく、何もしようとしない自分に腹が立つ。
私の弱みと言えば、レールから降ろされる危機だ。
その後、荒井君から何度もデートに誘われた。私はのらりくらりとかわしたが、それは夏芽の助けがあってのことだ。大事な友達とは言っても、ここまでするだろうかと思うくらいに献身的だ。傍から見守っていた冬美でさえ、夏芽の言動を疑問視しているくらいだ。
6月上旬、お兄ちゃんは虎沢君から髪を切ることを要求された。
教師ですらない者が権力を持ち、同級生に事実上の命令を下すのは、状況として不自然だ。
そんな疑問を解決できぬまま、2005年6月3日を迎えた。
私にとっては人生の分岐点となった日、即ち審判の日である。
お兄ちゃんは精神疲労があるにもかかわらず、お母さんに手を掴まれながら登校させられた。まるで強制収容所へと送られる避難民を見ているようで、私は気が気じゃなかった。泣きながら説得すれば、お兄ちゃんは穏便に不登校になっていたのに、何もしてあげられなかった。
「璃子、表情が冴えないけど、何かあったの?」
夏芽が心配そうに私の意図を汲み取ろうと尋ねた。
「何でもないよ。ちょっと調子が悪いだけ」
言い訳をする余裕さえなかった。今日のお兄ちゃんは何かが違った。
「璃子が何かある時に限って何でもないって言うこと、知ってるんだからね」
「……嫌な予感がするの。今日のお兄ちゃんは特に窮屈そうな顔で、常に拳を固く握ってたの。呼びかけてもロクに返事がないし、明らかに判断力が低下してた」
「人一倍感受性が強い璃子が言うなら、間違いないだろうね」
「何で分かるの?」
「分かるよ。だっていつも、璃子を見守ってきたから」
「なんか怖いんだけど」
「別にストーカーしてるわけじゃないよ。友達でいてくれたら……あたしはそれで十分だから」
「?」
恥ずかしそうに後姿を見せる夏芽を前に、私は一筋の違和感を持った。
しかし、いつものように友達のことを考える余裕などなかった。
昼休みの後、5時間目の国語の時間だった。
中学は科目毎に教師が入れ替わり、教え方もルールも全く異なるが、事なかれ主義で権威に弱いところは小学校と変わりない。画一的でみんな一緒に見える。それもそのはず、ただカリキュラムに従っているだけで、子供のことなど何1つ考えてないし、本来であれば、40人いれば40通りのカリキュラムが必要なのだが、1人の教師だけで業務をこなすのは無理ゲーと言える。
予算が足りないのも原因だろう。教室は珍しく平穏を保っている。
黒板を叩いているチョークの音が聞こえてくるほど静かだ。
その時だった――。
薄くて硬い何かがパリンパリンと立て続けに割れ、ボロボロと窓越しに落ちてくるのが見えた。
まさか……お兄ちゃん?
すぐに犯人が分かってしまった。上の階は2年と3年の教室。
心配になった先生は授業を中断し、上の階へと様子を見に行った。クラスメイトたちが授業そっちのけで次々と窓際に集合し、地面に散らばった窓ガラスのかけらをジッと眺めている。
「えっ、なになに! 怖いんだけど!」
「あれ窓ガラスじゃん。何で割れてるの!?」
「誰かが割ったとか?」
「えー、怖っ! 先生行っちゃったけど、大丈夫かなー」
「もしかしてさー、また小学校の連続殺人事件かな」
「じゃあ、逃げた方がいいのかな」
ざわざわと騒ぎ立てるクラスメイトの様子を静かに見守った。
授業時間終了が迫ると、先生が再び戻ってくる。
3年の教室で1人の生徒が教室中の窓ガラスを割り、惨憺たる状況だったという。想像するだけで地獄絵図なのが分かった。クラスメイトがそばにいたなら止めたはずだが、それが可能だったのは体育の時間で、教室が開いていたからであると考えれば説明がつく。
私は記憶を探るように、お兄ちゃんの机にある時間割表を思い出した。
金曜日の5時間目、お兄ちゃんのクラスは体育の時間、運動場でも体育館でも全員が外に出る。
お兄ちゃんは虚弱体質で、体育は休みがちだ。通常は見学だが、簡単に教室に戻れる立場でもある。発想力においてはまるで敵わない。窮地に陥るほどにその力は増していき、時に周囲を驚かせるほどの行動力を併せ持つが、管理する側からすれば、厄介極まりない。
何者にも支配されたくない者にとって、学校や職場は生き辛い場所かもしれない。
限界が遂に迎えてしまったのだと、私は自らを納得させた。
終礼の時間になると、担任の先生が状況を説明してくれた。
1人の生徒が体育の時間に教室内を荒らし回り、生徒たちが戻ってくる前に早退したという。
最悪のタイミングだ。教室中の窓ガラスを割るよう提案したのは私だし、本来であれば、夏休み直前の放課後に実行するはずだった。2ヵ月近くの期間が空けば、誰がやったかなんてみんな忘れてるし、名前まで明かすほど学校側も馬鹿ではない。事なかれ主義を逆手に取り、お兄ちゃんがやらかしたことは表に出ない計画のはずだった。ただ、お兄ちゃんが待ちきれず、早々に仕掛けてしまったのだ。
私が真っ先に心配したのは、来週から登校できるかどうかだった。
「先生、それって、葉月のお兄ちゃんだろ?」
「「「「「!」」」」」
荒井君の思わぬ発言に、全身の鳥肌が立つ。
「まだ誰か分かってないんだぞ。そんな言い方するな」
「さっき先輩が葉月梓だって言ってた。先輩の教科書とノートを全部破り捨てて、窓ガラスを箒で全部叩き割ったんだよ。いやー、随分と派手なことするねぇ~」
あからさまな悪人面を私に向ける荒井君。
クラスメイト全員が視線を私に向けた瞬間、私の迷彩戦略が脆くも崩れ去った。クラスメイトのほとんどは私を認識すらしていなかった。その他大勢の1人にすぎなかった私が悪い意味でスポットライトを浴びた。間違いなく来週からいじめを受けることになると、私は確信する。
先生はフォローしてくれたが、みんな完全にうちのお兄ちゃんと信じ込んでいる。
だから夏休み直前の終礼後にやれとあれほど……。
「璃子、気にしなくていいからね」
「……夏芽、私はもうここまでみたい」
「何言ってるの?」
「お兄ちゃんが不祥事を起こしたって、みんなに知れ渡ってしまったんだから、もう学校に行けない」
「何かあったらあたしが守るから、気をしっかり持って」
「そんな資格ないよ。私は静乃を見捨てたんだよ。そんな私が……守ってもらう資格なんてない」
これはきっと――静乃を庇ってやれなかった私への罰だ。
お兄ちゃんに打開策なんて教えるんじゃなかった。でもあの生気が抜けていく顔を見ていると、どうしても苦痛から救わずにはいられなかった。いじめを受ける前に逃げるなんて卑怯だと思う。私は一度もいじめを受けたことはない。でもいじめを受ける辛さはそれなりに知っているつもりだ。他のみんなが辛い思いをしている時、私も一緒に苦しんだ。
しかし、何もしてやれなかったのだから、見捨てられて当然だ。
私は責任を取る覚悟をした。他でもない自分のために。
帰宅すると、真っ先に帰っていたお兄ちゃんがリビングの丸いテーブルに突っ伏していた。
「お兄ちゃん、もしかしてやらかしたの?」
「……うん。後悔はしてない」
「はぁ~」
お母さんは途中で抜け出した職場に戻ったようで、お兄ちゃんはたった1人家に取り残されたまま。
私が予感した最悪のシナリオが……現実のものとなろうとは。
お兄ちゃんは正常な判断力を失っていた。行為に及んだ後を考える余裕すらなく、今までいじめを続けてきた相手、いじめを揉み消してきた学校に対し、せめてもの復讐を果たした。適応障害だった。
「お兄ちゃんのせいで……私もう学校行けないよ」
「えっ……もしかして噂になってる?」
「うん。クラスメイト全員から注目された。今まであんなことなかったし、みんなから最悪の形で認識されることになった以上、間違いなく来週からいじめを受けるだろうね。そんな状況で勉強なんてとてもできない。何でこんな時期に問題を起こしたの?」
「夏休みまで我慢できなかった。鋏を突きつけてきて、殺されると思った」
「それは多分、髪を切りたかっただけだと思うけど」
「あの時はそこまで考える余裕がなかった」
「まあでも、あそこまでやったら、間違いなく出席停止だろうね」
「……巻き込んで済まなかった」
「まっ、私も学校に行くのは苦痛だったし、別にいいけど……友達に会えなくなるのは寂しいかな」
「休日だったらいつでも会えるだろ。僕には友達なんていないから、気持ちは分からないけど」
お兄ちゃんに寂しさという概念はない。いつも1人でいることを良しとしている。
それは自立している人間である証でもあるが、この国では何故かぼっちと呼ばれ、同情さえ買ってしまいかねない身分だ。そんな目で見られまいと多くは群れ、個人をなくすことに尽力する。
これほど個人というものが過小評価されている国も珍しいだろう。
「お母さん、私との約束憶えてる?」
「約束って、どんな?」
「お兄ちゃんが壊れたら、願い事を1つ叶える約束」
「願い事にもよるけど、何をしろって言うの?」
「今回の件で、クラスで1番立場が強い生徒に目をつけられたの。来週からは間違いなく、集団単位でいじめを受けると思う。いじめは人を疲弊させるってこと、よく分かったでしょ。精神的疲労が溜まったら、冷静な判断力を失って、下手をすれば事件を起こしかねないし、私までお兄ちゃんみたいになったら、近所の人からはロクな家庭じゃないって言われると思うよ。だから……判断力を保っている内に、私を戦場から撤退させてほしいの」
「……と言うと?」
「私も学校には行かない。というか行けない」
私はクラスメイト全員から注目された。
スポットライトを浴びるのは、いじめのターゲットになった合図だ。
この国の組織で目立つことは犯罪である。犯せば社会的制裁を受ける。これからの3年間、度重なる攻撃を、精神が崩壊するまで、ずっと耐え続けることを余儀なくされる。私はお兄ちゃんほど頑丈ではないし、やり返す勇気もない。私の代わりに誰かを動かすことしか能がない。
あれだけ大きな問題を起こしたのだ。問題児の身内だってただでは済まない。
そんな中でのうのうと通学するのは自殺行為だ。
「……分かった。璃子はみんなより一回り小さいし、か弱い女の子だもんね」
「本当にいいの?」
「うん。あず君が全面的に悪いの一点張りだし、私もあんな学校には愛想が尽きた」
「ありがとう」
「但し、ちゃんと家で勉強すること。いいね?」
「分かってる」
安堵の笑みを浮かべながら言った。最後の応急処置を終えれば、この作戦は完了だ。
不本意ではあるが、お兄ちゃんはとんでもないタイミングで不登校を勝ち取った。
巻き込まれ事故……と言ってしまえばそれまでだが、私が女性であることが活きた瞬間でもある。弱いというイメージは、それだけで生きるハードルが下がるというものだ。保護されやすい人間こそ、ある意味最強かもしれない。お兄ちゃんはずっと、男というだけで無理をさせられすぎた。その限界がようやく来た。いや、既に限界は迎えていた。並外れた精神力だけで立っていたのだ。
この日の夜、うちでは久しぶりに家族会議となった。
「お前どういうつもりなんだよ?」
「二度と学校に行かないつもりでやった。後悔はしてない」
「酷い怪我だけど、またいじめっ子にやられたの?」
「うん。今日は鋏で僕を刺すつもりだった。そう思って抵抗した」
お兄ちゃんの供述に対し、お父さんがなんてこったと言わんばかりに頭を抱える。
「――もういい……そんなに嫌なら……明日からもう学校には行くな」
「無期限の出席停止処分だからどの道行けない」
「親戚には黙っといた方がいいんじゃないかな?」
「もちろん、そのつもりだよ。ほとぼりが冷めるまで、このことは言っちゃ駄目だからね」
「分かってる。私も学校休むし、いじめられるのが目に見えてるし、家で勉強すれば問題ないでしょ」
「……そうだね。じゃあ当分は、家事と高校までの勉強をやってもらおうかな」
お兄ちゃんの二の舞は踏まない。今のお兄ちゃんは、学校に行き続けた私の将来だ。
中学は無理でも、高校なら人間関係はリセットされる。そう思っていた。
ここから先は未知の領域だ。平日は当たり前のように通学していた日常が消滅し、新たな日常が構築されるわけだが、慣れるまでに時間がかかる。
「璃子も学校行かないのか?」
「事情はさっき説明したでしょ。いじめを揉み消すような学校だし、不用意にクラスで目立ってしまった以上、これ以上の登校はいじめられに行くようなものだよ。それともお兄ちゃんみたいに、精神的に追い詰められるまで認めてくれないの?」
「……勝手にしろ」
ムスッとした顰めっ面を見せながらお父さんが言った。
同時に2人の子供が不登校になったのだから無理もない。
何とか私だけでも高校に行かないと、葉月家の将来が危ういものとなるばかりか、親戚を頼らなければならないほど生活が困窮する。学生の内ならまだ間に合う。お兄ちゃんはどうせ高校には行かないだろうし、代わりに私が行って学歴を積み、特待生として大学に入り、OLとして就職しよう。
――でもその後、私はどうすればいいんだろう。
選択肢が狭まるのが心底怖い。大学卒業までに何をやりたいのか決めないと。
私は何がしたいのか、すっかり分からなくなっていた。
こうして、家族会議は30分程度で終わった。会話の大半が私とお母さんだった。
いじめを受けている最中は、学業に集中することさえ難しい。この日以降、私は家に引きこもるようになったわけだが、平日の朝や昼に外を歩くのは、周囲から見れば不自然な光景だ。買い物から帰宅した時も、学校はどうしたのかと聞かれたほどだ。私はレールから片足だけ脱線してしまった。
一度外れれば、そうそう戻れないこのメインストリームにしがみつくことに夢中で、自らの興味を見失いつつあったが、私には良い薬だったのかもしれない。ここまで夢を見させてくれたみんなには感謝しかない。これからどうするかを考え、私は床に就いた。
「はぁ~」
「またため息吐いてるな」
お兄ちゃんが隣の布団から声をかけてくる。
「誰のせいだと思ってるわけ?」
「夏休みまで耐えられる気がしなかった。高校には行くのか?」
心配そうに控えめな声で尋ねるお兄ちゃん。
「当たり前でしょ。大学まで行って、生活費を稼がないと」
「将来OLになるって言ってたけどさ、OLになって何がしたいわけ?」
「嫌なこと聞くね」
「何がしたいのかも分からないまま就職するのって変だろ。会社ってのは、あくまでも手段だ」
「……今はまだ分からない」
本音を打ち明けられるお兄ちゃんにさえ言えない。ここまでくると重症だ。
レール以外の道筋を全く想像できない。学校にはお母さんを通して卒業まで通わないことを伝えた。担任の先生は何度も登校を催促し、みんな待っていると言っていたが、それが明らかな嘘であることは明白だ。ほとんど認識していない人間の登校など、誰が望んでいるだろうか。
来週の朝、夏芽たちはきっと驚いているに違いない。庇ってもらう資格などない。だがいじめに耐え抜く勇気もない。私はずっと空気というモンスターからの迫害を免れてきた。私は既に免除してもらえるポジションにはいない。お兄ちゃんが教室中の窓ガラスを割ったのが夏休み直前の終礼後であれば、後で問われたところで、そんな話聞いてないの一点張りで誤魔化せた。
私は傷だらけのまま戦場から逃げた。多分、来週からは私に代わって誰かが犠牲になる。そう考えるだけで、妙に助けられた気もする。荒井君からデートに誘われることもない。
奇しくも私は、学校生活という名の地獄から……脱出できたのであった。
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