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社会不適合者が凄腕のショコラティエになっていた件  作者: エスティ
第1章 学生編
29/70

29粒目「波乱の前兆」

 春休みが終わり、私は中学へと進学する。


 お兄ちゃんと同じ中学校だが、距離が近いのだから当然だ。


 義務教育に変わりはない。ただ授業の内容が少し難しくなるだけで、そこまで大きく変わりないとお兄ちゃんは言った。後はクラブ活動が部活動と名を変え、どこかの部活に強制入部させられることくらいだろうか。だがお兄ちゃんはこの中学で史上初めて帰宅部となった生徒だ。


 理由は料理研究部に入れなかったからである。お兄ちゃんは最初こそ活力に溢れていたが、次第に衰弱していき、中3を迎える頃には、作り笑顔さえできなくなるほど表情が乏しくなった。あれほど喜怒哀楽がすぐ顔に出るお兄ちゃんが、目に見える形で病んでいる。いつか爆発しそうだ。お兄ちゃんの精神疲労に比例するように、私の危機感も増していった。


 結局、最後まで青いランドセルを背負って登校することはなかった。


 自分の好きさえ貫けないのに、どうやって他人など助けられようか。だが私は春休み、遂に水色のスクールバッグを買った。パステルカラーであれば、まだ受け入れられやすい。


 夏芽、冬美、静乃とは同じ学校になったが、静乃は入学式には出席しなかった。


 嫌な予感が頭をよぎったが、やはり教室に来ることもなかった。席が1つだけ空いている。クラスの名簿を見て、すぐに静乃の席と確信した。理由は他でもない。このクラスには荒井君もいたのだ。浅尾君も同じクラスになったが、いつも通りマイペースだ。


 入学式が終わり、帰路に就いた時だった。


「葉月、中津川の家って知ってるか?」

「一応知ってるけど、どうかしたの?」

「プリントを届けてほしいって担任から頼まれたからさ、一緒に行ってくれないか?」

「別にいいけど、案内するだけだよ」

「狭山から中津川のことを聞いたけど、中津川がいじめられていた時、見捨てたんだってな」

「見捨てるも何も、庇った人も一緒にいじめられるんだよ。下手をすれば、庇った人の関係者まで巻き込むことになるし、私1人が動いてどうにかなる問題じゃない」

「――葉月はいつだって動かなかったよな。小学校の時も、葉月の周辺だけは至って平和だった」

「!」


 いきなり叩き起こされたかのように、体がビクッと震えた。


 ――もしかして迷彩戦略に気づいてる? だとしたら非常にまずい。


 誰か1人にばれただけでも致命傷である。


 迷彩戦略の最大の弱点、それは戦略そのものにある。


 迷彩戦略はいかに存在を認識されないようにするかが肝だ。ばれたらそこでお終い。認識されれば、仲良くするか、放っておくか、いじめるかを相手が選択することになる。認識を回避する方法や、無難にやり過ごす方法は分かるが、仲良くする方法までは分からない。


 人とあまり接したことはないし、接するのが怖いからこそ、普段は引っ込んでいる。


 浅尾君はそんな私の思惑を見透かしたかのように、私の正面に立った。


「葉月、気持ちは分からんでもないけどさ、そういう生き方って、楽しいか?」

「何が言いたいわけ?」

「葉月が1人でいる時、目がつまんなそうにしてた」

「……気のせいだって」


 図星ではあったが、拙い返事をするしかなかった。浅尾君もまた、学校に居場所がない。


 あくまでも合わせているふりをしているだけとすぐに分かった。私やお兄ちゃんは集団生活の場にいるだけで過剰適応してしまっている。それは何も私たちだけの専売特許ではない。


 子供全体の内、3割程度は集団生活に合わないのではないかと、私は考えている。


 3割の子供は通学以外の学習方法が合っているとすれば、全員が通学する前提のカリキュラムに巻き込まれているのだから、不都合な事態が度々起こるのは当然と言える。全員が全員、全く同じ適性を持っているわけがない。浅尾君はどちらかと言えば夜型で、朝から登校するのはかなり辛いようだ。登下校の間、何度も河馬のように大きな口を開けて欠伸してるし、下校してからが1日のスタートであるところがお兄ちゃんとよく似ている。だがあくまでも似ているだけ。全く同じじゃない。


「荒井は葉月に近づくために、葉月に近い女子にちょっかいを出してただけだぞ」

「……それ、どういうこと?」

「あいつは葉月が好きなんだよ。でも不器用だから、なかなか話しかけられない」

「たとえそうだとしても、あれはやりすぎだと思う。それに絶対好きになれないタイプだし」

「言うと思った」


 ニカッと歯を見せ、浅尾君が面白そうに微笑んだ。


 まさかそんな理由で近づいてこないとは思ってもみなかった。


 だが言われてみれば合点がいく。荒井君が主に関わっていた女子は、私と特に仲の良い生徒ばかり。狭山社長が荒井グループから虎沢グループへと取引先を変えたのは、夏芽に興味がないことを知ったからと考えれば説明がつく。でも荒井君はかつて夏芽に告白して振られたし、どう考えてもここが矛盾しているのだ。夏芽を好きになった後で私を好きになったにしては切り替えが早すぎる。それに普段の私は極力目立たないように立ち回っているし、クラスメイトの半数以上が私を認識すらしていない。


「自覚ないかもしれないけどさ、男子からめっちゃ人気あるぞ」

「冗談でしょ」

「何の変哲もない普通の人だし、特に癖のない大人しい女子だし」

「それ褒めてるの?」

「褒めるも何も、全然目立たないからさ。女子に嫉妬されることもないんだろうな」

「だといいけど」


 浅尾君は両足で道端の石を蹴りながら近況報告をする。


 中学になってからはサッカー部に入り、定期的に大会に出ることになるらしい。


 運動会では大きな戦力になってくれた。主に敵側としてだけど、見事に相手を撹乱してくれた。私は浅尾君に大きな貸しがある。いつか返せと言われることばかりを考え、つい遠慮がちに振る舞ってしまうが、今のところ、そんな様子はない。


 むしろ貸し借りなんて感覚がないようにも見える。


「あー、浅尾、葉月と一緒に下校してる~」


 後ろから中島君の声が聞こえると、江藤君と一緒に駆け寄ってくる。


「璃子ちゃん、浅尾君と何話してたの?」

「小学校生活を振り返ってたの」

「はははははっ! 振り返る年かよ」

「別にいつ振り返ってもいいだろうが! それより早く帰って勉強した方が将来のためだぞ。来月はもう中間テストなんだからな」

「えぇー、せっかく遊びに誘おうと思ったのにぃー」

「どの道中津川の家まで、連絡プリントを届けに行かないといけないからさ」

「まあそれならしょうがねえか。葉月、()()はどうするんだ?」


 江藤君がさりげなく私に無礼な言葉を発した。


「お前って呼び方はやめて。それは目下に対する呼び方だよ」


 頭よりも先に口が動いた。どうも私らしくない。


「……お、おう」


 戸惑うように江藤君が言った。ドン引きされたわけではないのだろうが、ちょっとまずかったかな。


 部下というわけでもないのに、女性というだけで男性からお前呼ばわりされることが多い。こればかりはどうにも容認できない。この現象は男性社会の象徴と言っていい。江藤君が悪いのではない。上の世代から継承された歪んだ価値観だ。まさか反発されるとは思わなかったことが見て取れる。


 赤の他人なら、こんなことはまず言わない。他の男子からも、お前呼ばわりされることはあったが、それだけで距離を置きたくなる。甘えと断じるならそれでもいい。相手のことをリスペクトできない人間は、他人であれば敬遠策、ある程度仲が良いなら修正策が1番だ。それで改めてくれるとは到底思えないが、最悪私に迷惑をかけなければそれでいい。


 同格の女性をお前呼ばわりしている時点で、男性社会の風潮を真に受け、社会に溶け込んでいる保護者の存在が丸分かりだ。歪んだ価値観の継承は、いつの間にか行われているもので、ほとんどの人は全く気にせず受け入れるから恐ろしい。環境は人の大まかな価値観を決定してしまうのだ。


「私は浅尾君に道案内したら、すぐに帰るけど」

「そ、そうか。じゃあ、俺たちもう行くわ」

「ああ、また明日な」


 江藤君と中島君がいつもより遅い足を歩ませていく。


 すぐに帰るとは言ったものの、一度静乃に会っておこうかな。


 ――いやいや、嫌われている可能性が高い。


 仕方がなかったとはいえ、私は静乃を見捨てている。嫌われても仕方がない。でもちゃんと謝っておきたい気持ちもある。自らの恐怖心が憎い。お兄ちゃんのように相手の気持ちが全く分からないのも、私のように相手の気持ちが手に取るように分かるのも、それぞれ違った悩みがある。


 分かるとは共感するということ。普段から辛さを噛みしめて生きている人がそばにいると、私まで胸が張り裂けるように痛む。だから不幸な人にはなるべく近づきたくないのだが、この国は幸福感を持って生きている人が希少だ。道端でも気づかれぬよう、存在感を消して移動するのが無難である。


 ――もしかして、浅尾君は静乃と会うチャンスを与えてくれた?


 いや、それは考えすぎか。私のクラスで静乃の家に案内できる人は限られている。


「あーあ、みんな勉強ばっかり。中学苦手になりそう」


 別れたばかりの中島君の愚痴が聞こえた。


 相変わらず遊ぶことしか考えてない。中学ともなると、遊んでばかりの生徒は少なくなる。


 中学での成績次第で進学先が決まる。進学先次第で将来の選択肢の広さが決まるのだ。


 選択肢を広げることばかりが重視されがちだが、既にやりたいことがあるなら、その道を進む選択肢があっていいと思う。静乃は不登校のままだが、これが高校まで続けば、それだけで選択肢が狭まってしまう。いじめで不登校になる人、学校に行けないくらいで詰む社会、一体どっちが悪いんだろうか。


 犯人探しをしてもしょうがないか。もうこんな作業はしたくない。


 静乃の家が見えた。町の隅っこにある、隠れ家のようなカフェだ。


 景色に溶け込んで気づかれないかと思いきや、窓越しに見える店内にはお客さんが新聞を読みながらコーヒーを嗜み、まるで家のソファーにいるかのように寛いでいる。


「浅尾君、あそこが静乃の家だから。じゃあね」


 私はそう言い残し、駆け足で浅尾君から離れた。


「おっ、おい! ……ったく何でかなー」


 静乃に会わせる顔がない。家に案内するのが精一杯だ。


 走っている間、後ろを振り返りたい欲求を必死に押し殺した。


 刺すような痛みを覚え、思わず腹部を擦る。駄目だ。静乃に冷たい顔で何しに来たのと言われる光景を考えただけで、胃が刺激される。そんな気まずい状況だけは避けたかった。学校の外とはいえ、私が謝りに行く理由なんてない。嫌われても不思議じゃないし。


 あれから1ヵ月の時が過ぎた――。


 5月上旬、ゴールデンウィークが明けた頃、お兄ちゃんに異変が起きた。


「……学校行きたくない」

「だーめ、ちゃんと行かないと、駄目人間になるよ」

「また殴ってきたらどうするんだよ?」

「先生に言えばいいじゃん」

「無駄だ。教師はみんなあのナチ野郎に手懐けられてる」

「一度私が言ってあげようか?」

「それでも駄目だったら?」

「あと1年で、もういじめっ子たちと会わずに済むんだから、行きなさい!」


 やや強い口調でお母さんが言った。


 私はお兄ちゃんが言い包められている光景を黙って見守るしかなかった。


 全ての子供は学校に馴染まないといけないのだろうか。神経を擦り減らしてでも。


 お兄ちゃんの顔は、大陸を横断した後の馬車馬のように憔悴しきっている。置かれた場所で咲きなさいという言葉があるが、お兄ちゃんという花は、明らかに合わない環境で種のまま腐ろうとしている。以前より好奇心はなくなっている。このままだと、無気力ニートになってしまいそうだ。


 そこまでいかずとも、一生家から出てこない生活になるのではなかろうかと、私は危機感を持った。


 お兄ちゃんがのっそりと足を動かしながら2階へと上がっていく。


 お母さんは心配そうに見送った。いつもなら性懲りもなく抗議を続けているところだが、お兄ちゃんは柄にもなくすぐに諦めた。気力がなくなっている。


 抗議する元気もないし、いつか限界が来るのではなかろうか。


「お母さん、この頃お兄ちゃんの顔色悪いけど、かなり疲れてるみたいだよ」

「それはそうだけど、中学くらい出ないと、将来が心配」

「お兄ちゃんに関して言えば、将来より今を心配するべきだと思うけど。あのままじゃ壊れるよ」

「学校くらいで壊れるわけないでしょ。男の子だもん」


 また性別を理由にするか。それで壊れた男子がどれほどいるのだろうか。


 良かれと思って無理に学校に馴染ませようとしているが、それはただお兄ちゃんを窮地へと追いやっているだけで、家と学校の両面から挟み撃ちに遭っているお兄ちゃんに逃げ場はない。


 ここはお兄ちゃんだけでも逃がそう。


 そう思ったのが誤算だった――。


「お兄ちゃん、そんなに学校行きたくないの?」

「当たり前だろ。誰があんなとこ行きたいんだよ。あんな……周りに合わせることしか能がない連中とつるむ意味がどこにあるのか説明してくれ。やりたいことも全然やらせてくれないし、退屈で仕方ねえ」

「じゃあ不登校になってみる?」

「なんか方法でもあんのか?」

「あるにはあるよ。でもこれをやったら……二度と学校には戻れなくなる」

「戻るべき場所じゃないし、そもそも居場所じゃない」


 八方塞がりのお兄ちゃんに同情した私は、奥の手を教えることに。


 お兄ちゃんは本気で学校から脱出しようと、必死こいて策を練っている。


 私の計画はこうだ。お兄ちゃんに学校で意図的に問題を起こさせ、出席停止処分にさせる。親が不登校を認めないなら、学校側に認めさせればいい。お兄ちゃんが出席停止処分を科されたことは過去に何度もある。だが今回は数週間程度の処分ではなく、復帰すら絶望的にするものだ。


 大きな問題を起こし、もう戻ってこられない空気を作ってしまえば、お父さんもお母さんも流石に不登校を認めざるを得ない。問題はその内容だが、手順も伝えておいた。


 7月の夏休み前に教室中の窓ガラスを割る。流石にここまでやれば出席停止処分になるし、このタイミングで夏休みを迎えれば、出席停止処分は夏休み明けに繰り越され、処分明けがやってくる前に親を説得し、不登校を認めてもらう。これで全てが解決するわけじゃないが、問題の解消はできる。


「それ良い方法だな。確かに戻ってこれなくなるけど、二度と行かずに済むな」

「言っとくけど、くれぐれもタイミングには注意してよ。一歩間違えば、最悪の事態を招くんだから」

「最悪の事態って?」

「お父さんとお母さんにも迷惑がかかるってこと。問題を起こして不登校になるんだから、今までの関係に亀裂ができるのは間違いないし、それなりの代償を払うことになるよ」


 代償とはレールを降りるということだ。この国はレールから外れた人間に対して冷たい。


 不登校になった人の未来は、決して明るいとは言えない。自らの力で道を切り開く必要がある。学校は普通の人の育成を行う場所だ。普通の人になれなかった者は、成功するか引きこもるかの二択を突きつけられる。ドロップアウトは何の考えもなしに行われるわけではない。集団に溶け込もうとするだけで息切れしそうな人が、最後の手段として行うものだ。


「あの8年間でよく分かった。僕は多分、集団生活に向いてない。一緒に仕事をするなら、身内だけでお金を回すような仕事がしたいし、できれば家から出ない生活がしたい」

「そんなに人と会うのが怖いの?」

「だってどこに行っても、ガキ大将みたいな奴とか、狡賢い下っ端みたいな奴がいて落ち着かないし、征服欲を満たすことしかできない連中と一緒に仕事をしたいとは思わない。ただでさえみんな同じって思い込まされてるせいで、すぐ嫉妬して足の引っ張り合いを始めるし……むしろ逆だってのに。みんな違うところがあって、それが目立ってるかどうかの違いにすぎない。あいつら、会社に入っても同僚の粗捜しとか、やり始めるんだろうな」


 呆れるような口ぶりでお兄ちゃんが言った。


 お兄ちゃんは全員が労働者を目指す必要がないことを示唆している。


 足の引っ張り合いをするのは暇である証拠だ。勉強熱心な人しかいない教室や、仕事熱心な人しかいない職場では、まずそんなことは起こらないわけで、本来その場にいる必要のない人が、その場にいるせいでバグが発生しているのだ。私やお兄ちゃんの同級生の多くは、毎日通学しているのに、何故か勉強が苦手で、さながら遊びに来ているような状態だ。


 大多数に通学と就職を強いるのは、通学と就職に相応しくない者まで入れてしまうばかりか、本気で取り組む人を邪魔してしまう大きなデメリットがあることをお兄ちゃんは見抜いていた。


 本気で学びたい人だけが通学し、本気で働きたい人だけが就職すればいい。


 お兄ちゃんの理念を理解しているのが――私しかいないとは……。


 意図せずとも、お兄ちゃんの言いたいことが分かってしまう時点で、きっと私も普通の人ではないのかもしれないと思ってしまった。お兄ちゃんにとって、普通の人はつまらない存在でしかないが、私にとっては最も平穏無事に過ごせるポジションだ。


 大過なく人生を全うしたい私にとっては、むしろ憧れの存在である。


 普通の人になりたいと思っている時点で、普通の人ではないのだろう。


 私が見てきた人たちは、いずれも4つの分類に別れていた。


 無理なく普通の生き方に馴染んでいる人、無理をして普通を演じている人、無理をし続けた挙句普通になれなかった人、無理をせず普通と違う道を歩んでいる人。実はどれも普通の人ではない。違った角度から見ればみんな変人だ。自分は変人扱いされたくないくせに、誰かを変人扱いせずにはいられない人が多いことには、毎度のことながら驚かされる。相手の立場に立って物事を考える力が弱いのだ。


「就職レールから外れたら、もう戻ってこれないよ」

「構わない。璃子の案を使わせてもらう。親から縁を切られたっていい」

「その時が来たら、2人で一緒に説得しよ」


 お兄ちゃんに任せっきりにはしない。今度は私も一緒に痛みを背負うことにする。


 何かを背負うなら、誰かと一緒の方がずっと楽な気がする。理屈じゃない。


「璃子……ありがとう」


 私はお兄ちゃんの後ろから、静かに両手を首に巻きつけた。


「お兄ちゃんみたいにどうしようもない人でも、家族なんだから当然でしょ」


 お兄ちゃんの冷たい手が私の指に触れ、私はお兄ちゃんの背中にべったりとくっついた。


「それにしても……結構でかくなったな」

「!」


 思わず距離を置いた。何やってるんだろう私は。


「それだけでかいとさー、いつか目をつけられるんじゃねえか?」

「ほっといてよ」

「?」


 目をつけられるのは認識の始まりだ。誰かにとって初めて私という存在が見えれば、当然私に対してどう扱うかの選択肢が生じる。そんな余地を作りたくないからこそ、ずっと迷彩化の如く、普通を演じてきたわけだが、これがいつまで続くのかと思うだけで息が詰まる。


「……いつ頃からそうなの?」

「小4くらいかな」

「!」

「そんなに驚くこと?」

「いや、そうじゃなくて……ほら、僕の周りって、いつも女子がいてさ、目のやり場に困るっていうか、眠くなくても机の上で寝るようにしたのも、丁度その頃だと思ってさ」

「?」


 意味不明な言葉に首を傾げた。笑いながら手で髪の毛を弄る時は、何かを誤魔化したい時だ。


 自慢がしたいのかと思いきや、周囲の女子生徒が胸を見ながらため息を吐く心境をようやく理解したらしい。お兄ちゃんが乙女心を知るには、あと1500年はかかるだろう。


 私の心配を他所に、お兄ちゃんは不登校計画を着実に進めるのであった。

読んでいただきありがとうございます。

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