鬼とジャックと豆の木
童話・ジャックと豆の木のIFストーリー。
鬼と少年の、宝を巡るお話。心優しき鬼と、悪知恵の働く少年はこうして童話になった。
1人の鬼がいた。
雲の上にある鬼の国。鬼はその国の貴族だった。娘と妻と、3人慎ましく、ただ平和な日々を過ごせるよう、毎日職務に励む。
ある日、妻が殺された。茶会に呼ばれた帰りに、何者かによって殺されてしまった。
知らせを聞いた時、鬼は血の涙を流す程に嘆き苦しんだ。出掛ける時に、妻は言ったのだ。
「何だか胸騒ぎがするの。早めに帰って来るわ」
何も出来なかった自分が許せない。腕に食い込み流血するほど爪を立て、何度も何度も泣いた。
鬼にはゆっくり悲しむ間も無く、新しい妻を娶らされた。貴族である鬼は、男児を作らねばならないと。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
1人の少年がいた。
母親と2人で、貧しい生活を送っていた。少年は街の酒場に入り浸って、家から持ち出した物と酒を交換し、毎日の様に遊び歩いていた。
母親は、巧妙にそれを隠す少年のことを、何よりも優しい心を持つと信じていた。信じさせられていた。
少年の名前はジャックと言った。
ある日母親は、家にある金目のものは全て無くなり、唯一の牝牛も牛乳を出さなくってしまった。そこで少年にお使いを頼んだ。
「ジャックは仲良くしていたから、本当に辛いけれど、この牝牛を手放さなくちゃならなくなったんだよ。市場まで行って、牝牛を高く売って来ておくれ」
外からは鳥の声と牛の鳴き声が聞こえる。少し肌寒い家の中、ジャックは心の中で母を恨みながら外へ出た。
ジャックは牝牛の首に掛けられた紐を引っ張って街に出かける。
「早く歩け、この畜生! お前は売られるんだとよ。貧しい家の貧相な牧草から解放されて嬉しいだろ。俺も嬉しいぜ。世話を任せられないんだからな。毎朝毎朝牛乳を取って街に売りに行く。それでお前が牛乳を出さなくなったから売るんだ。数日経てば肉屋に並ぶだろうよ。ザマァねえな」
乱暴に引っ張りながら道を行く。悪態を吐き、牛を揶揄いながら暫く歩くと、帽子を被った奇妙な老人が現れた。
お、変な年寄りだな。強請れば少しくらい出すかもしれねえな。
ジャックは老人に声を掛けようとした。すると言葉を発する前に老人が話しかけて来る。
「おはようさん、ジャック」
「あぁ、おはよ、う」
何故自分の名前を知っている。街で噂でも聞いたのだろうか。
ジャックは先月締めた子供を思い出す。目撃でもされていたか。
しかしジャックの勘繰りは杞憂だった。老人が話しかけて来る。
「ところでジャック、牝牛を引いてどこに行くんだね?」
「市場に売りに行くんだよ」
「そうかそうか。ところで1つ話なんじゃが、ここに魔法の豆があるんじゃが、たまたまワシは牛が入り用でな。取り替えてやってもいいんじゃが」
何馬鹿な事を言ってるんだ、この老いぼれは。魔法ねぇ、あったらそりゃ楽な生活が送れるだろうよ。
「冗談はよせ、ジジイ。んな話があるわきゃねえ」
老人は声を上げて笑う。少年にとっては癪に触る声を立てる。
「ハッ、何笑っていやがる」
「ジャック、お前さんはこの豆を知らないようじゃな。これはカスタノスベルマムの王じゃ。魔法の豆じゃよ。1000年に一度3つの実を結ぶ内の1つじゃ」
そこまで言われると気になって来る。
カスタノスベルマムの王。
「ワシは残りの2つで充分じゃからな」
「で? 何処が魔法なんだ?」
「植えれば一晩で天まで伸びる」
老人が豆を取り出す。よく見れば輪郭がぼんやりと輝き、なるほど、魔法の豆に見える。
「まあ確かにそう見える、嘘じゃないだろうな?」
「もし嘘なら牛は返しても良い。住処はスラムの3本目の道の奥だ」
ジャックは光る豆に惑わされ、思わず交換してしまった。
「嘘なら自分が困るんだからな。覚えておけ、俺は嘘は嫌いだ」
ジャックは家に帰った。帰りを待っていた母親が出迎える。
「早かったね、ジャック。いくらで売れたのかい?」
ハッ!いくらも何も豆だよ。まあ魔法の豆らしいがな。
自分を偽り、無邪気な顔で母親に返答する。
「豆だよ」
そう言って小指ほどの大きな豆を取り出す。やはりぼんやり光っている。
ことり、と机の上に置く。
「何言ってるんだいジャック、冗談もいいけど今は、教えておくれ。いくらだい?」
「だから豆だよ母さん。何でもこれは魔法のーー」
みるみるうちに母の顔が真っ赤に染まる。母親の怒りを久し振りに見たジャックは、笑いそうなのを必死に堪える。
「ジャック! お前は阿呆になったのかい!! あの上質な牝牛を豆1つで交換しただって? こんな豆意味ないよ!」
ジャックの母親は豆を窓から外へ投げ捨ててしまった。流石に頭に来る。埋めて待てば良いだろうが。
「食事は抜きだよ!」
そんなこと言っても材料すら残っていないくせに。
ジャックは苦虫を噛み潰したような表情で、舌打ちをしながら部屋に篭った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
鬼の娘が攫われた。国の公爵の仕業だ。返して欲しくば2つの宝と身代金を持ってこい、そう手紙が届いた。
妻を失ったばかりか、娘まで攫われた。公爵は、鬼の家で、親から子へと代々受け継がれた、何代も前の国王自ら授けられたニワトリとハープを狙っていたのだ。
公爵は他人に話せば娘がどうなるかわかっているな、と脅しをかけてきた。
今頃娘はどうしているだろうか。酷い目に遭ってはいないだろうか。心優しい鬼の娘はもしかしたら公爵に襲われてしまっているかも知れない。
そう思うと居ても立っても居られなくなった鬼は、娘には変えられまいと宝を差し出すことにした。
宝を差し出す旨を手紙にしたためた。人の悪い、いや、鬼の悪い公爵は悪質な返事を送り返して来た。
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子爵殿
宝は一度に持って来るな、お前如きが
持ってくれば危ないだろう。まず
身代金だ。それを受け取ったら次は
ニワトリを持ってこい。それが本物と
確認出来たら、連絡を送る。到着次第、
同じ要領でハープだ。これを守らなけ
れば娘がどうなるか、分かっているな。
勿論口外は厳禁だ。これからもより
良い付き合いをしていこうではないか、
“子爵”殿。
公爵 デルグスト・エルド・デモニア
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「クソがァァァァ!!アイリーン、待っていてくれ!必ず、必ず助けてみせる!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あくる朝、ジャックは目を覚まし、窓の外を見る。するとどうだろうか、昨日庭になげすてた豆から、芽が生え出で、一晩のうちに天を衝くような曲がりくねった大木が伸びているではないか。
「ひひ、本当に魔法の豆だったようだな。しかしあれをどう金に変えようか」
未だ眠る母親を尻目にジャックは木の根元に足を運んだ。木の表面は青々しく、張りがあって蔦で覆い尽くされている。
「これが……豆の王!」
これならば、登って行けば豆が生っているかも知れない。
「久し振りに登るか」
ジャックは盗みで得た技術を使い、気を登って行く。とはいえ蔦に覆われ太い茎が伸びているので、さほど難しくはない。注意すべきは下を見ることだ。もし落ちたらひとたまりもない。
どんなに登っても一向に天辺に辿り着かない。どの位登っただろう。時間の感覚が麻痺して暫く、未だ伸びきっていない蔦を見つけて、しがみつくと、スルスルと伸びて行って、天辺に辿り着くことが出来た。
気がつけば雲をも超えて、目の前に広がるのは宙に浮いている広大な大地。目の前には大きな屋敷が建っている。
「はぁ。こいつはすげえや。金目の物があるかもしれない」
雲の上の浮かぶ大陸に驚くよりも先に、屋敷に目を奪われる。人間とは思えないスケールの大きさに、思わず感嘆のため息が漏れる。
硬く施錠された門も、少年の体なら余裕を持って抜けられた。そのまま扉へと向かうが、開いていないので、仕方がなく近くの石を持って来て、全力で投げつけること数発、扉が開く。
中から大きな女が出てきた。口からは牙がチラリと覗き、頭には角が生えている。
バケモノだ!バレたら流石にまずい。
内心緊張しつつ、扉から中へ滑り込む。走って廊下を駆け抜けると、居間らしき部屋に躍り出た。
「さっきのバケモノは、なんだ。角が生えていたけど。まさか鬼!? 危なかっーー」
ーードシン、ドシン
「!?」
扉が開く音がして、足音が近づく。
「隠れないと!」
辺りを見回すと火の絶やされた暖炉が目に付く。慌てて暖炉に飛び込んだ瞬間、男の鬼が入ってきた。
「クソっ! あいつは許さないっ!」
ギリッと歯を噛み締めて鬼が椅子に座る。暖炉から眺めていると、何やら辺りを嗅いだ後、
「人間の匂いがする。今は機嫌が悪いんだ。ひいてパンにしてやろうか!」
すると後から入ってきた女の鬼が言う。
「それはあなたが捕まえて牢に入れた人間でしょう」
ジャックは生きた心地がしない。大口を叩いても人間は人間だ。鬼は暫く探し回ったが、人間を見つけられないので諦め、席についてガツガツと食事を始めた。
それが終わると女の鬼に、
「妻よ、金貨を持って来てくれ」
と頼む。
鬼の妻はずっしりとした紐で閉じられた袋を持って来た。鬼はそれを机に広げ、数え始める。
「18、19、20、21……」
あらかた数えると、もう一度袋にしまい込む。
ジャックは見た。輝く大きな金貨が袋に戻されるのを。
あれが欲しい。あれだけあればどんなに色々な事が出来るだろうか!
「後はニワトリとハープ……」
袋を閉じた鬼は、疲れのためかその場で眠り込んだ。妻は扉の開く音と共に何処かへ行った様だ。
暖炉から慎重に這い出したジャックは、椅子を経由して机の金貨袋を持って、一目散に逃げ出した。幸い妻は庭で、扉を少し開けたままだったので、そこから走って外に出て、半ば滑り落ちる様に豆の木を降りる。
日が暮れる手前、なんとか家に辿り着いたジャックは、母親に金貨の一部を見せた。
「ほら母さん! 金貨だよ! あの魔法の豆で取ってきたんだ!」
一部とはいえ金貨の山に母親は驚き喜んだ。
「ジャック、凄いわ。これなら数年は暮らせる。起きてジャックがいなかった時はとても驚いたけど、流石ね」
ジャックは自分の部屋に金貨を運び込む。
「クックック、こんだけありゃあなんでも出来るぜ? やっぱり働かずに手に入れる金は良い。今回はあのバケモノからなんだしな。犯罪ですらねぇ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
怒り狂った鬼は机に拳を叩きつける。机の角が割れた。
「どう言う事だ! 身代金が、娘のための金が無い!? 妻よ、何か知っているか?」
「いいえ、きっとまた公爵の嫌がらせで送り込まれた洗脳された人間じゃ無いかしら。そうそう、私は少し出掛けてくるわね」
またか!鬼の元には公爵から嫌がらせで人間が送り込まれている。金を盗もうとしてくるのだ。
「遂に盗まれた!! クソぉ、何でそこまでやる!? 俺が、娘が何をした!!早く、娘を…返してくれ」
これを報告したらどうなる。娘は確実にめちゃくちゃにされてしまう。
「待っていろ、いつかお前を叩き潰してやる! 公爵ぅぅう!!」
鬼の咆哮は虚しく響き渡った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「母さん、また行ってくるね」
「気を付けなさいよ!」
ジャックはちらと鬼が零した「ニワトリ」と「ハープ」が欲しくなった。金貨は使うとして、その2つは何なのだろう。何か凄い宝では無いのか?
「今日は準備万端だからね。行ってくるよ!」
ジャックは金槌と縄を用意して、今日も今日とて木に登る。蔦の一本を切ると直ぐに伸びることが分かったので、また捕まって上空へ行く。
「2度目だな、鬼の屋敷」
ジャックは金槌で窓のガラスの継ぎ目に叩きつける。前回走りながらひびを見つけた所だ。ちょうど良い大きさに穴が開く。
「少しばかり危ねえが、まあ大丈夫だろ」
割った窓は物置の物で、滅多なことではバレなさそうである。
体をねじ込んだジャックは、廊下へ出ると、運悪く鬼の妻に出くわした。
どうする!?どう答える、殺されるのか?いや、何とかなるか。
「おはようございます!ノックしたんですけど、開いてたので、入らせてもらいました」
「あんたは人げーー」
遮って続ける。
「あの! それで、暫く食事を取ってないんです。何か食べさせて貰えませんか! 子供で、この体です。ほんの少しで良いんです。それくらいしたって大人で立派なおかみさんに悪いことはありませんよ!」
女の鬼は目を細めてジャックを見る。
「あんた、この前も来たね? 公爵様の命令かい? 身代金が盗まれたのも公爵様が?」
都合が良さそうなので話を合わせることにする。暫く話すと鬼は納得して食事を出すと言う。
と、そこにまた鬼が帰ってきた。
「適当に隠れな!」
ジャックはかまどの中に飛び込んだ。と同時に鬼が帰宅する。
鬼は乱暴に歩いて来ると、ドシンと椅子に座る。出された食事を食べると、
「妻よ、ニワトリを連れてきてくれないか?」
と頼む。
鬼の妻は直ぐにニワトリを連れてきた。鬼は受け取ると、ニワトリを机に乗せる。
「産め」
その言葉を聞いたニワトリが金の卵を1つ産んだ。
かまどから伺っていたジャックは思わず息を呑む。そのまま見ていると、何度も「産め」に合わせて金の卵を産んだ。
ニワトリが欲しい。人の物が欲しくなるジャックは、ニワトリを盗み出すことにした。
「静かに行けばバレない筈だ」
そろりそろりとかまどから抜け出し、
机のニワトリを持ち上げた。すると、大人しかったニワトリが大きな声を上げて鳴く。
「コッコッコッコケー!!!」
ジャックは走り出す。足音も構わず、兎に角速く、速く足を前に出す。
目を覚ました鬼は、ニワトリが居ないのを見て妻に問いかける。
「ニワトリは何処だ!?」
何とか逃げ出したジャックは、縄を蔦に挟み込み、一気に滑り降りる。ニワトリは足を縛ってぶら下げて。
地上に戻ってきたジャックは、母親にニワトリを見せ、卵を目の前で産ませた。
「ジャック! 凄いわね。これで一生安泰よ!」
これなら金貨も必要ないな。金の塊だ。好きなだけ遊んで暮らせる。
「俺に運が向いてきた。さあ、何をしようか!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
鬼は家に帰ると、盗まれた身代金の代わりに金を売って金にしようと、ニワトリを使う。これも最後になるだろう。
「産め」
金の卵が産み落とされる。何度も何度も、身代金と生活費の分、卵を産ませる。
暫くすると、無性に眠くなって、睡魔に耐えられず眠ってしまった。妻の呟いた言葉を知らずに。
「やっと薬が回ったね。これで暫く眠っているだろう。公爵様にでも会いに行ってこよう」
支度を始めた女の鬼の耳に、ニワトリの鳴き声が入って来る。思わず振り向くと、ニワトリは消えて鬼が起きている。
鬼は声で起きて、ニワトリが居ないことに気づいた。
「ニワトリは何処だ!?」
血眼になって辺りを探すが、見当たらない。
「やられた! あの腐れ外道め! ニワトリを渡せなかったらアイリーンが!何で、何故邪魔をする! お前にとっては娘もおもちゃだろう!? なら返してくれ!」
膝から床に崩れ落ちる。頰をツーと涙が伝う。
「娘を…返してくれ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
金の卵も手に入れて、これからの生活が楽しみになったジャックだが、あと1つ、ハープがどうしても気になる。こうなったら気にして他の事が手につかない程のジャックは、縫い物をする母親に気付かれないようにこっそり家を抜け出して豆の木へと向かった。
上空、屋敷に到着する。
「あとはハープで終わりか。それとも他にも何か持っているんだろうか?まあ良いや、宝は全て盗もう」
窓から不法侵入する。また慎重に居間へと行くと、急いで銅釜に隠れる。直ぐに鬼が入って来て、辺りを伺う。
「今日も人間の匂い!」
「そうかい。金貨とニワトリを盗んでいったガキが、きっとかまどに隠れているに違いないよ」
そう言ってかまどを確認するが、もちろん誰もいない。
「まあまああなた、ハープでも聞いて落ち着きなさいな」
女の鬼はハープを持って来る。ハープを置くと、何処かへ行ってしまう。
あれが最後の宝、ハープ。
ごくり。
喉から手が出るほど欲しいとはまさにこの事だ。釜から目を出すと、机には宝石と玉で飾り立てられた、それは見事なハープがある。
「あれは凄い……」
側から見ても分かる宝だ。正真正銘の宝だ。あれを貴族にでも献上すれば、間違いなく自分は出世間違いなしだ。
鬼は声をあげる。
「歌え」
するとハープからは、聞いたこともないような、得も言われぬ美しい音色が奏でられる。吸い込まれるように聞き入ってしまう魔性の歌声に、ジャックは心を奪われた。
鬼はハープの音色が響くにつれて呼吸が落ち着き、眠ってしまった。
ジャックは頭を振ってボーッとするのを誤魔化し、机に躙り寄る。手を伸ばし、ハープに触れた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
鬼はニワトリまでも奪われ、公爵の最速の手紙を破り捨てる。
「どうすればいい! 死んだことにするしかないか? そもそもあのニワトリは俺より長生きだ。死ぬかすらわからん」
家路を急ぐ。娘のために何かしたいが、まだ何も出来ない自分に腹が立つ。
家に着いて居間へと入ると、また人間の匂いがする。
「今日も人間の匂い!」
またか!公爵、宝は渡すと言っているだろう!?
「そうかい。金貨とニワトリを盗んでいったガキが、きっとかまどに隠れているに違いないよ」
そう言ってかまどを確認するが、もちろん誰もいない。
「まあまああなた、ハープでも聞いて落ち着きなさいな」
女の鬼はハープを持って来る。
くそっ、どうすれば良いんだ。妻のおかしい言葉には気が付かない。
「歌え」
妻が出て行く。もう声を張り上げる気力も残っていない。公爵、もう頼む、やめてくれ。娘を返してくれ。
次第に眠くなって来た鬼は、うつらうつらと睡眠の世界に引きずり込まれて行く。
と、突然、
「だんなさま、だんなさま!」
ハープが叫び出した。
「人間かぁ!!」
ジャックは手を触れたハープが叫び出したことに驚く。慌ててハープを掴み、走り出す。
鬼はハープを掴んで逃げる小柄な人間を視界に捉える。
「小僧! 貴様ァァ! 身代金にニワトリのみならず、ハープまで盗むのか!! 俺から何故奪う! クソがァァァァ!! 腹わたを引きずり出してやる! 血祭りにあげて地上に撒いてやろう! 大人しく死を迎えろ!公爵の犬がぁ!!」
ジャックは走りながら答える。
「公爵? 関係無いね! 僕はただの子供だよ! 良いハープだね! 借りて行くよ!」
鬼は妻の「ガキ」という言葉を思い出す。
待て、これまでの人間は大人が多かった。なのに何故ガキだと知っている?もしやこのクソガキと繋がって?それなら公爵とは…あいつが毎日の様に通ってのは!公爵の家!?考えれば妻を自分に嫁がせたのは公爵の親戚だ。
鬼は全てを理解した。
そういうことか。走りながら鬼は納得した。妻が殺されたのも、新しい妻が来たことも、娘が攫われたのも、全て公爵の計算か。
ガキ、ただの子供!?ならなんで邪魔をする!!
「止まれェェェ!! ガキがあっ!!」
ジャックは挑発して答える。
「捕まえられるならその鈍間な足で捕まえてみな!」
ジャックは豆の木に辿り着くと、縄を器用に使い一気に滑り降りる。
鬼は知らない木が生えていることに気づき、また人間のガキが降りたことも気がつく。
「待て! 娘を助けるためなんだ!! 許さない、禁を破るが地上まで追いかけてやる!!」
鬼は豆の木を降り始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
木を一気に滑り降りた。木の根元ではジャックの母親が、泣き腫らした目で上を見上げている。
縄と木の摩擦で、小さな炎が付く。
ジャックが降り立ち、上を見上げると、着実に鬼が近づいている。巨体からは考えもつかないほどの速さで、木を降ってくる。
「母さん! 油と斧を持って来てくれ!」
「ジャック、もう上に行くのはやめなさいな。いきなり居なくなってどれだけ心配したか!」
ちっ、ババア!そんなこと言ってる場合じゃねえよ!
開口一番説教する母親をジャックは心底余計なことをと思う。自分は自由にやるんだ!
「分かったから早く油と斧を!」
母親が、家へと駆けて行き、すぐに壺の油と斧を持って来た。
「ガキが!! 待て、待ってくれ!! それが無いと、助からないんだ!」
「抜かせバケモノ! ここでお前は死ぬんだ! 精々最後の空気を楽しむと良いな!」
鬼は持てる全ての力を持って、木を降りる。
少年は、チラと鬼の姿を見ると、燻る炎に油を掛けた。
油を注がれた炎は、見る見るうちに燃え広がる。豆の生命力のせいか、根元しか燃えないが、それで十分だ。
じわじわと燃えて、幹を細くする。
「バケモノ! 僕に見つかって残念だったな! 人間をこれまでも食ってきたんだろ!」
少年は何度も木に斧を叩きつける。
鬼は思ってもいないことを言われる。鬼はこれまで人間を食べた事は無い。鬼の国に居る、人の形をした魔物だけだ。
鬼は言う。
「違う! だが娘のためにお前には死んでもらう!!」
少年は言う。
「事情の程は知らないな。だがもう直ぐに終わるさ。あばよ、鈍間」
少年は木に斧を叩きつける。何度も何度も、斧を叩きつける。
鬼は下を見る。炎と斧によって今、木が切り倒される。
「これで終わりだ」
ぷつりと豆の王は切断された。木はゆっくりとかしい傾いで、轟音を立てながら倒れて行く。
鬼は切られた豆の木が、上から縮んで消えて行くのを感じる。
地上の少年を見据えると、子供とは思えない笑みを浮かべている。
足場がふっと消え、鬼は頭から地上に落ちる。
鬼は死を悟った。
頭には一瞬で沢山の情景が浮かぶ。これが走馬灯と言うやつか。
青い目をしたアイリーンの笑顔、優しかった妻の笑い声。一度助けた人間にバケモノと言われたこと。公爵の歪んだ顔。内通して居た2番目の妻の顔。何も知らない国王のこと。父親が死んだ時、母親が死んだ時のこと。娘とよく地上を眺めて昔話をしたこと。家族3人で出掛けた旅行のこと。助けられなかった娘と妻。大好きだった空のこと。
鬼は悟った。娘を助けに行けなかった。俺はここで死ぬ。願はくばアイリーンには幸せになって貰いたい。
鬼は衝撃音と共に地上に叩きつけられた。息が詰まる激痛に見舞われながら、鬼は空を向く。
少年は鬼の元へ走ってくる。
「ザマァねえな、バケモノ」
体から流れる血に、やはりもう助からないのだろうと悟る。徐々に痛みは引いて行く。何とか声を振り絞り、少年に尋ねる。
「お前は、何故、俺の所へ、来た」
少年は気だるそうに答える。
「帽子の爺さんに豆をもらったんだよ。登ってみれば、宝の屋敷があったんだ。俺はこれで何でも出来る。感謝するぜ」
「帽子の爺さん、か。それは、緑の帽子だったか?」
「そうだな。良いから早く死ね」
「じきに死ぬさ。そう、か、緑の。怪物狩り、か」
鬼の頭にはかつて父親から聞いた、世界の古代から存在する生き物を殺す集団を思いだした。緑の帽子の集団。
「全ては、俺の手の外か」
少年は鬼を笑う。
「トドメを刺してやろうか」
鬼は、かつて助けてバケモノと言った人間、緑の怪物狩り、少年を見た。
鬼は嗤う。
「バケモノは、人間、お前らだ」
鬼はそれきり動かなくなった。心には助けられなかった娘を思い浮かべて。
ジャックは、盗んだハープで金を稼ぎ、金の卵を売り、大金を手にする。そして齢20を超えた日に、母を殺した。
天性の悪知恵と暴力、権力、金を使い、裏社会を牛耳るまでになった。
それから数年経って、街にお忍びに出かけて来た城の姫を惑わし、結婚する。
こうして1人の少年は、暴虐非道の限りを尽くして、この国を手中に収めたのである。
拙文を読んでくださりありがとうございます。今回はジャックと豆の木のもしもの話でした。自分は子供の頃、ジャックと豆の木を聞いて、鬼が可哀想だと思いました。他にも悪役がそこまで悪くないのに無残にも殺されてしまうお話がありますよね。
暫くは短編を投稿しようと思いますが、今書き溜めている連載をいつか投稿します。拙文ですがこれからもどうぞよろしくお願いします。