Progress 2 (1)
元々、田舎に住む海星にとって電車に乗るという機会は稀で、駅というものを利用することもそうなかった。しかし、街の大きな駅というものは様々な商業施設が併設されていることもあり、何処かへ遠出する用事がなくとも訪れる理由が生まれるものである。
今日の海星は移動と買い物、そのどちらの理由でもなかった。待ち合わせの時間が近づいたため海星は駅の中へと向かう。電車が到着したタイミングになり、多くの人々が階段を降りてくる。
待ち合わせの人物は日傘とボストンバッグを携えていた。
女性の平均身長よりも高めで、海星ともそう変わらない背丈は、よく目立つ。
その少女は海星に気付くとやや駆け足になり、そしてそのまま自動改札機を通過しようとするものであるから、フラップドアに激突した。
海星はまだ都市部の電車を利用する機会があったが、妹の澪は皆無だった。中学校の入学の祝いに買って貰っていた携帯端末の案内があるとはいえ、ここまで予定通りに来ることができただけでも立派だろう。
改めて澪はあたふたとした様子で改札を通り、海星との対面を果たした。
「長旅ご苦労さま」
「げっ、げんき……に、しとる? ハァ……ハァ……。ご飯、ちゃんと食べられとる……?」
いろいろな疲れが貯まっていた澪は、息を切らしながら兄を労る。
「うん。とりあえず落ち着いて。寮で話そう」
駅から学園までは徒歩でしばらくかかる。海星は妹の荷物を持ち、澪は日傘をさして歩く。
駅周辺こそ多くの人とすれ違っていたが、それもしばらく歩いているうちに薄れていく。澪の目も、徐々に都会に慣れていったようだ。
学園周辺の新興住宅街は歩道の道幅が広く、模様の入ったのタイルが敷き詰められている。静かで居心地が良さそうな環境だと澪は思った。
海星は寮のゲートを、携帯端末に登録されている学生IDをかざすことでくぐる。そんな光景も、澪にとっては珍しいものだった。澪もデバイスは所持しているが田舎の学校でこのように使用する機会はまずない。
じっとあからさまに海星の手元を見つめる澪であったが、海星は気にもとめずに歩き続ける。
エレベーターで階を移動し、部屋の施錠を解除する。海星に招き入れられる澪は、兄の生活習慣が気になるとばかりに目線を配らせていた。
「雫はどうしてる?」
海星が振り返ることもせず急に話し掛けるものだから、澪はビクッと身体を震わせる。
「雫は、相変わらず部屋からあんまり出てこん……」
もう一人の妹である雫は、今年度から中学校に進学している。小学生の頃から引き籠もりがちな性格であった。姉である澪がまだ小学校にいた頃は通えていた時期もあったが、卒業してからは出席日数が急減した。
だからこそ、一年間だけとはいえまた澪と同じ学校に通えるようになったのだからもしやとは思ったのだが――
「そう……」
海星はずっと、雫に対して申し訳なく思っている。雫は海星のことを恐れている。昔からただでさえ短い時間しか一緒にいられていないのに、妹に対してそう思わせてしまう接し方しかできなかった。
澪は逆に、そんな兄に対して尊敬の意を抱いてしまっているのだが。どちらにせよ、普通の兄妹のような関係を築けてはいない。
「お兄ちゃんこそちゃんとやっていけてんの? 冷蔵庫にほとんどなんも入っとらんやん!」
「食事は喫茶店――下のロビーで見たでしょ。そこや学園の食堂で食べられるから」
「あー! やっぱりクッキーばっかり食うとるし!」
部屋の隅には身近に売っているものから、通販で買い集めたクッキーの箱が並べられている。パッケージが小洒落ているものもあるため、インテリアとして飾られているように見えなくもない。
「他にもちゃんと食べてるから」
「嘘や」
澪の性格が引っ越す前と変わっているような気がすることに若干の戸惑いを覚える。学園での暮らしと都会を見に行きたいと自発的に言い出したことも意外に思っていたし、それを許可した父親も今までなら考えられないことだった。
ピン、ポーン。
その遮る音に、海星と澪は制止する。
来客である。海星が寮に引っ越して来てから初めてのことである。そもそも学生寮という特性上、滅多に鳴らされるものでもなく、今は帰省している生徒も多いはずである。それに今のご時世、友人同士であれば事前にチャットででも連絡を交わす。
「とにかく、後で学園の食堂に行くよ」
インターホンを操作し、外の様子を覗いた。
藤堂凜々果だった。
知り合いということで警戒は解かれたが、疑問は残る。
凜々果には勉強の面倒を見て貰ったこともあり多少なりとも親交はあるものの、基本的には灯華が間にいてこその関係である。
その藤堂家のお嬢様がなぜ単身、海星の部屋にやって来るのか。海星は疑問に思いつつも扉を開ける。
澪も海星の後をくっついてきていた。海星と共にひょっこりと顔を出すものであるから、凜々果の表情は明らかに灯華の部屋で海星を目撃した時と同じようになった。
「妹の澪。連休だから遊びに来た」
間髪入れずに、海星は澪のことを紹介する。
「あ、え、ええ妹さん……。そういえば灯華さんも妹さんのお話をされてましたね」
「灯華ちゃんが?」
学園では海星は身分を偽り、灯華の弟ということになっている。そうなると当然、澪も灯華の妹ということになるのだが、灯華はそのことも考慮していたのかそれとも。
深くは尋ねまい。澪はそのことは聞かされていないが、澪も昔から灯華のことは姉のように慕っていたため、上手くこの場は切り抜けられるだろう。
「初めまして。わたくし灯華さんと親しくさせていただいております。藤堂凜々果と申します。もちろん、海星さんとも」
「用事なら出るけど」
「いえ、ご兄妹の邪魔をするわけにはいきませんので。これ、もし良かったらお二人でお召し上がり下さい」
凜々果が手に持っていたのは、綺麗に袋詰めされていたクッキーだった。
「それでは、また学園で」
焦った様子で凜々果は去る。その後ろ姿を見送ってから、二人は部屋に戻った。
「よかったと」
「うん、クッキー」
海星の目はもうそれにしか向いていない。
「そうやないんやけどなあ……」
澪は何か言いたげであったのは目に見えて分かっていたが、口に出すことはなかった。
「食べようか」
海星はコーヒーを煎れようと、お湯を沸かし始める。
澪を休憩のためテーブルに着かせテレビを点けると、澪は食い入るようにテレビに夢中になりだした。田舎では見られないような番組がこちらでは当たり前に放送されている。
海星はそんなしばらく静かになった澪を、お湯が沸くのを待ちながら眺めていることにした。
「この娘ってめっちゃかわいかとねー! 本当にえーあい? が喋ってると?」
番組がコマーシャルに入ると、澪が声を掛けてきた。その指の先にいたのは、マナの企業の公式バーチャルアイドル、ゼロニナだ。設定では人間がパーチャルな存在になった二十七番目の例とされていることからその名が付けられている。
「違う」
実際に人口知能に喋らせているものも存在する。そうしたキャラクターは流暢になってはきているもののロボット口調が抜けきらない。
だが、ゼロニナも他のバーチャルアイドルと同じく人間が演じているのは間違いない。当初から人口知能が喋っているというキャラで売り出ししているため、澪は混同しているのだろう。どれだけ無機質な存在を人間に寄せようとも、生命の暖かみは出せないものだ。
星見マナでさえ、空を見上げている際にはそれが感じられたのだ。
マナがあのバーチャルアイドルを演じていたりするのだろうか。自分が演じているとなればキャラクターに愛着も湧くだろう。それであのフィギュアを――そこまで海星は夢想し、流石にありえないとその考えを切り捨てた。
「そーなの? たまに見かけるけどすっかり騙されてたと。ねぇ、明日の天気は?」
最後の一言は澪のデバイスに問いかけたものだ。搭載されているAIが、晴れであることを答える。
その後も、凜々果のクッキーを食べながらテレビを観たり、課題を片づけたりと兄妹は水入らずの時間を過ごした。
●
次の日には灯華とも久しぶりに会って街で買い物をしたりと、澪にとってこの連休中の出来事は良い刺激になったようだ。
二日間、澪は海星の部屋で寝泊りをした。ベッドは寝返りをうつことが可能なくらいには広いので、二人並ぶことができる。
朝食等も基本的には学食で済ませている。連休でも寮生のために学食は規模が縮小して開かれている。帰る予定になっている最終日の朝は、澪が帰る電車の時間に合わせて朝食に向かった。
一面にガラス張りされた窓からは中庭が見える。庭には名前が付いていることを灯華から聞いたが、特に必要のない情報なので覚えていない。難しい漢字を書くのだと言っていた。
学食の支払いは端末をリーダーにかざして行う。当初、澪はそれすらも目を丸くしていた。澪が産まれるずっと前から存在する技術ではあるが、田舎では未だに浸透していない。
他にも数人の学園生徒が朝食を食べていた。数が少ないため、一人一人が目に入る。
海星が知っている寮生はそれこそ灯華と凜々果ぐらいのものであり、見かけたことはあれど話したことのない上級生や別のクラスの人間ばかりがいるものと思われた。
しかし、一人だけクラスメイトがいた。
野詠悠である。
昼食ではお菓子しか食べていなかった悠であるが、きちんと摂っている時もあるらしい。
休日のこの時間にいるということは、寮に住んでいるということで間違いないだろう。今まで遭遇はしなかったが、今日は澪が帰る時間に合わせて普段と朝食の時間をずらしたために鉢合わせたということだろうか。
こちらから見えているということは、向こうからも見えているということである。悠の性格上、海星のことを無視するのかと思いきや、
「そっちの子は?」
澪のことは興味があったようだ。身長が高いため大人びて見える澪のことを、何か違うように解釈しているのかもしれない。
「妹」
「へぇ、とっても可愛らしいわね。連休中にあなたに会いに来たわけね。どう、わたしと遊びに行かない?」
「え? え?」
「急に怪しげな誘い方をしたところで付いて来る人はいないと思うけれど」
海星は悠とは隣の席に着く。パニックになりながらも、澪はそれに倣った。
「あのあの、今日はこれから帰ることになっとるので……」
「あら残念。せっかく出会えたのに」
澪は海星に無言で尋ねる。
「そういう訳で僕の方から断わりを入れさせてもらう」
「そうね。ごめんなさい手癖が悪くて。女の子を泣かせるのは趣味じゃないから、これで失礼するわ。機会があればまた会いましょう」
悠はお盆を返却口に返し、食堂を出て行った。
「なんやったんやろ、あの人?」
「クラスメイト。危害を加えるようなことはしないとは思う」
同じ同好会に所属しているということを海星は言わなかった。“アストラルの鍵”についての説明抜きでは、活動内容などが語れないためだ。
「そうなん?」
朝食後は一度部屋に戻り、準備をして駅へ向かって歩く。
朝早くからでも駅周辺は人が多い。
「お兄ちゃん、澪が帰って寂しくなかと?」
改札から少し外れたところで、海星は澪に荷物と日傘を手渡す。
「うん。ちょっと寂しい」
「向こうの友達みんなと別れてこっち来とるけんね。澪だっておんなじ事になってたら絶対辛いし」
こうして澪と二人だけで過ごすことは凄く珍しい。小学生になる頃には一人ずつ一人部屋が与えられていたということもあるが、なにより海星から妹たちに接しようとしなかったからだ。
だからこそ雫は海星を避けるようになり、澪には寂しい思いをさせてきた。
「でもお兄ちゃんがいるなら、来年ここを受験しようかなあ」
澪に学園を案内した時のことを海星は思い出す。
「なんて、今は全然分からんけどね」
“アストラルの鍵”を持たない者は入れないが、それを今伝えることはできなかった。
澪は改札機を通る。少し慣れた様子で。
ホームに続く階段を昇る澪の姿が見えなくなるまで、海星はその場で立ち尽くしていた。