Progress 1 (2)
次の放課後、海星は学園のある一室に女子生徒と共にいた。二人の手元にあるのはそれぞれ一通の手紙。無愛想な便箋に入っており、今朝靴箱の中から見つけたものだ。
「招待状が……」
女子生徒は後から部屋に入って来た海星に驚いた様子でなにか話しかけようと口を開こうとするが、自身と同じく便箋を手にしていることに気付くと言葉を空回りさせ、それっきり黙ってしまった。
一方で、海星の方は女の子を見ると途端、
「夜空?」
「え……?」
「覚えてない? 舞島海星。昔近所に住んでた」
「あ、えっと……。覚えてま、せん……」
海星は人の顔を覚えることに長けている。ましてや何度も一緒に遊んだ仲はそうそう忘れない。月ヶ瀬夜空は小学生の頃に引っ越してきた子であるが、それからまたすぐに離れて行ってしまった。
夜空からしてみれば海星は、何度も引っ越しをする間にたまたま出会った人間の一人なのかもしれない。
「そう」
海星は少し気を落としたように呟く。そう言われてしまえば海星もどうしていいのかわからず、両者とも無言になってしまうのであった。
海星は室内を見回した。招待状に指定された場所にやって来たのだが、誰もいやしない。それどころかほとんど何も置かれていない。とりあえず夜空と海星のために準備されているのだと思われる二つの椅子にともに腰掛ける。
「部室棟ってことは、なにかの部に勧誘されたってことですよね、私たち」
「でも、どうして僕達が」
「さぁ……」
下の階や外からは激しい部活勧誘で盛り上がってきている。それに比べこの部屋は静かなものだ。
沈黙の時間に海星は一度、端末に新着メッセージや学内メールが届いてないかを確認する。
その時、扉の向こう側に足音がした。バタンと音がし、誰かが入ってくる。椅子の上でとっさに身体を避けるような仕草で振り向く海星と夜空に対し、その何者かは、
「ああ、すまん。もう来ていたのか。待たせてしまったな」
「ホームルームが早く終わった」
「ん、そうか。とりあえず自己紹介だな。オレの名前は猿飛影虎。まほろば同好会の部長をしている。同好会だから会長という肩書きの方がしっくりくるのだろうが、まぁどうでもいい」
海星は自分の手元にある手紙を改めて見た。差出人の名前に今の猿飛影虎の名前がまほろば同好会部長の役職と共に記されている。
夜空は、影虎にどうやら少し警戒した様子でありながらも、恐る恐るといった風にお辞儀をする。
「我は椿茜。この同好会の一員だ」
海星と夜空が同時に視線を下ろす。そこには影虎と一緒に入ってきた一人の女子生徒がいた。小さく幼ないと思ったのも当然で、その子は中等部の制服を身に纏っていた。背が高い影虎と並ぶと余計に。
「どうした、我の顔になにかついているか?」
茜は、硬直している海星に気付く。
「いや……」
まるで海星が茜に見惚れていた、と誰かに捉えられてもおかしくない光景であった。一同の気が自分に向いていることを察知している海星はそれを振り払うように、
「それで、この集まりはいったい」
「選ばれし雨組の集会のようなものだ。君らをこの会に招待したくてな。来てくれてありがとう。まずこの同好会の説明する前に、部室に案内しようか」
「ん?」
「え?」
海星と夜空は同時に声を上げる。
「あの、ここが部室じゃ……」
「ここは我らが聖地に向かう門に過ぎない。着いて来た方が早いだろう」
夜空が尋ねる。質問には影虎ではなく、椿茜が答えた。
茜は部室の奥の壁に向かって歩き出し、そしてゆっくりと壁の向こうへと消えてしまった。それはまるで滝に向かって徐々に歩いて行き、身体を浸からせていく様にも見えた。
「椿が作りだしたワームホールだ。好きな地点同士を繋ぐことができる」
そう言う影虎は驚く夜空の表情に対し、満足げにニヤニヤ顔を浮かべていた。
(“アストラルの鍵”による影響か)
「そんな力を持つのに、なぜ雨組に?」
一方で、海星は落ち着いたままでいた。
「一度つくったワームホールは消せない。あちこちにそんなのが作られたら迷惑だろ」
影虎は苦笑する。
「なるほど」
立ちすくんだままの二人に「ほら早く」と影虎は声をかけた。
「わかりました……」
意を決した表情をしながら夜空は歩き出し、そのまま壁に吸い込まれるが如く消えた。海星も後に続く。
●
目の前に広がるのはなにかの作業所のようなところであった。学校の体育館程の大きさには至る所に物が積み上げられている。床には土と埃がまぶされている。
「紹介しよう、二人とも。ここがオレ達の拠点だ」
(ここが部室?)
四人の面子は部屋の壁のワープホールを通り過ぎ、部室という名前のどこかの作業場へとやってきた。海星の昔馴染みである月ヶ瀬夜空はその一連の流れに驚いていたようだったが、元々感情を表情に出しにくいのか、反応自体は小さなものだった。
「この学園に通う生徒達は皆、“アストラルの鍵”を持った“厄介者”と扱われているな」
椿茜が話し始める。
「アストラルの鍵を宿す私達はいわゆる異能を使える。いや、中には異能と呼ぶに至らないようなものもあるが。そのために“アストラルの鍵”を宿す人間は禍を齎すとされかねない」
茜の語り振りは言葉選びに偏りはあるが、中等部生という幼さの割には海星を聞き入らせてしまう巧さがあった。
「問題なのはそこだけではない。アストラルの鍵は伝染する。能力の行使を目撃した者にもまた、アストラルの鍵が宿る場合があるからな」
その存在にいち早く気付いた者達はアストラルの鍵を持つ少年少女を一箇所に集めた。感染や、仮に能力で何かが起こったとしても被害を食い止め易いから。
だからこそ、海星は高い学費のかかるこの私立学園に通わなければならないことが腑に落ちなかった。田舎では、他に誰一人として“アストラルの鍵”を持っている者はおらず、感染経路は謎であるためだ。田舎から外へ出た際も、海星は異能を目撃したことはないと自覚している。
「そんなわけで、入学が強制されている救済措置として身分を自由に偽ることができる。私も馬鹿正直に真名を晒さず、偽りの名にしておくべきだったのだ。ちゃんと話を聞いておけば……」
何故か悔しそうに茜は唸る。
星見マナも学園では偽名を名乗っているが、それは学園側から許可されたものである。大規模企業の社長令嬢でさえも入学を強制されている、それ程までに“アストラルの鍵”は危険視されているということだ。
この学園は“アストラルの鍵”を持つ子供に、教育する場なのだ。コントロール次第では異能を持つ子供でもこれからの未来で普通に過ごすことが可能となる。
しかし、全員に同じコントロールの方法が伝えられる訳ではない。クラスによって、指導の内容が違う。クラスは三つ、まずはアストラルの鍵を持つ者でも、異能の使い方次第ではいずれ社会に利益をもたらすとされる『一年晴組』。比べて期待度は低いが、次いで『一年曇組』。
そして社会的に極めて扱いが難しく、将来利益をもたらさないとされる『一年雨組』。当然どこに配属されるかは強制される。
雨組の生徒への教育はただ一つ。“アストラルの鍵”をシールすること。
「それができなければ私達は処分される」
ここは“厄介者”を扱う場所。
雨組。それは最低最悪の意だと。
そんなことを、海星達は入学する前から聞かされた。
「アストラルの鍵をシールする方法はただ一つ。在学中にパートナーを見つけること。パートナーと言っても単純なものではない。互いのアストラルの鍵の相性が一致しなければならない。ばら撒かれた無数の鍵の中から自分と同じ形をしたものを見つけ出さなければならないということだ」
(パートナーはもう見つけている。あとはシールすればいいだけ。シールの方法を教えて貰って実践すれば、あとはもうこんな学園からおさらばだ)
海星の奥の思いは、ただそれ一つである。
ここまで椿茜がこの学園について夜空と海星に説明している内容は入学前から説明されていたものだ。
「処分というのが実際にはどういったことなのかは当然明かされていない。だがオレ達の見解では恐らく死だ」
影虎が惜しげもなく言うものであるから、夜空は怯えた表情を見せる。
「オレ達は、学園側からそんな不当な扱いを受けなくてもよくなるよう活動している。湊戸くん、“アニマの錠”という言葉を聞いたことはないかね?」
「アニマ?」
「“アストラルの鍵”がどうして“鍵”などと名付けられたのかはずっと分かっていない。だが、“鍵”というからには“錠”なるものが存在するはずだ。そしてオレ達よりも何年も前の代から、いつしかそれが“アニマの錠”と呼ばれるようになった。これはね、無条件で我々の中に宿るアストラルの鍵をシールすることができると噂されている代物だ」
海星は思わず身体を硬直させる。隣の夜空も目を見開いていた。
「オレ達はずっとそれを探している。共に見つけようではないか。ここは各学年の雨組の、さらに既部員達が有能と判断した人材だけが入部されることを許される同好会だ。オレは二人ならその素質があると思ってな、こうやって招待したのだよ」
この、まほろば同好会に――
この学園ではクラス分けが残酷な基準で決められている。雨組という器に入れられた者たちは卒業までにある条件をクリアしなければならない。もしもまほろば同好会が見つけようとしている物が本当に存在するのだとしたら、雨組に所属する生徒らは楽々と卒業できるということになる。
協力すべきか否か。
「私、この同好会に参加致します」
夜空が影虎の促しでそう面前で宣言すると、椿茜は喜びの声を上げた。
「まずは一人。君はどうする?」
夜空が今ここで決めてしまう予感はしていた。
「僕は……」
私立の学園に強制的に入学されられたせいで、海星は早くこの街から出たいと思っている。無事に卒業するための条件の一部を既に満たしているとはいえ、“アニマの錠”とやらが本当に存在するのであればもっと手っ取り早く立ち去れるのではないか。
それに月ヶ瀬夜空という少女――その存在を見届けたいという気持ちが海星にはあった。一方的にしか覚えていないものの、昔の友達である。
悩む一方で、海星は心の何処かで自分がどう考えても同好会に入ることになるだろうなということも感じていた。それは運命などといったものではなく、海星自身の心が殆ど傾いていたからだ。
結局、海星は決断しなかった。
話が一旦終わると、この作業場のことが気になっていた海星は歩いてみることにした。作業場の奥は物置になっていて、外からの光も入りにくく照明も付いていないため、少しばかりの暗闇となっていた。
海星はその奥へと足を進め、組み上がる前のダンボールなんかが積み上がってるだけかと思っていたがその時、ほんの、ほんの一瞬だけ視線を感じた。組み立てる前の、平たい状態にあるダンボールが積み上がった先、つまり上。
(どうやってそこまで登ったんだか)
そして、新たな女の子の姿に気付く。
海星がその姿を見ても少女はもう文庫本を読んでいてこちらに一切の気を向けない。どうやらこの一瞬だけで海星への興味を失ったようである。
「湊戸くん。その子は野詠悠だ。同じ一年だから、もう顔見知りかもしれんが」
夜空と後を追ってきた影虎がそう説明する。
「野詠、この二人はオレが同好会に勧誘した人達でな、もし正式に入って貰うことになれば無関係ではいられなくなる」
影虎の言葉に、その身体がぴくりと反応する。そして二人を見下したかと思えばダンボールの上から尻を落とし、全くの音も立てずに地上へと降りてきてしまった。海星と夜空がその光景を呆然と見ていると、
「のよみ、ゆう」
野詠悠はそんな二人に対し淡々と自分の名を改めて告げるのであった。




