Progress 2 (3)
非常勤講師が赴任してから数日間、海星は灯華の言いつけを遵守するように毎日まほろば同好会に顔を出した。
海星の読み通り非常勤講師はそれから同好会には来ておらず、授業等でも接点がないため、灯華の期待に応えることは難しい。
そんな中、夜空から一報を受けた。
「昨日、マナさんと夜中に学園に入ったのですが、その時に野詠さんと非常勤の先生がいらっしゃいました」
その晩、海星は寮を抜けて校舎へと向かった。夜空も二日続けてマナと学園に忍び込んでいるとのことであったので、天文台の下で合流する。
「急に呼び出してしまってすみません」
「いや、来たいと言ったのはこっち。それで、悠と非常勤講師はいそう?」
「今のところは……。マナさんのように襲われることはないと思いますが、オカルト研究会の人達のようなことが起こらないとも限らないので」
「悠が一緒なら霊能研究会にいるかもしれない」
「行ってみますか?」
「マナは」
「もうしばらく降りては来ないと思います。ちょっとお伝えしてきますね」
一分も経たずに天文台から戻ってきた夜空と、霊能研究会の教室へと向かう。
当然、鍵は掛かっているだろう。聞き耳を立てて気配を探るが、流石にいないという確証はない。海星はわざと物音を立ててこちらの存在を知らせる方が手っ取り早いかとも考えたが、
「先に同好会の方にも行ってみる。そっちにいなくても、歩き回っているうちに姿を見せるかもしれない」
夜空も同意し、移動を始める。
「守護霊は叶えたい願いがあって生者と契約しているって聞いたけど、夜空の守護霊が願いを叶えてしまったらマナのことはどうする?」
「それなら、心配しなくていい。ワタシはあの子を見捨てないさ」
人格を交代させた、守護霊の方の夜空が答える。
「叶えたい願いって聞いてもいい?」
「死人として当然の願いだ。会いたい人がいる」
「それは、愛する人?」
「いいや、友人だ」
二人とも小声で話してはいる。しかし、無理に足音や気配を殺すようなことはしなかった。
「いる」
曲がり角で何かを察知した海星。夜空も瞬時に目を鋭くし、壁際で先を覗く海星の後ろに付いた。
誰だろうと確認する必要もなく、悠と非常勤講師が海星たちがいる方とは反対方向に歩いている。
「お、ついにお出ましだね」
意外にも、非常勤講師の男は冷静であった。悠は以前にも目撃しているとはいえ調子を崩さない。
もう何度も目撃した、精霊が悠たちの前に現れた。
「下がっていろ!」
夜空が海星の前に出る。夜空自身の運動神経が元々良いのか、精霊のもとへあっという間に駆けてしまう。
海星も隠れることを止める。背後から突如として姿を見せた二人に悠や非常勤講師も流石に面食らった様子であった。
ゴオオオオオオ!! と、夜空の炎が形を成す前の精霊を打ち砕く。
海星が追いつくまでに炎がゆっくりと静まり返り、
「あなた達、どうしてこんな時間にいるのかしら」
悠の冷めた目が、海星を見据える。
「そっちこそ、教師と生徒一人で」
「そうね、わたしだって嫌だわ。男と二人きりでこんな時間に」
「わ、私たちは天文部で……」
「幽霊を探しに来た」
海星は夜空を制してそう伝えた。むしろこう言った方が相手から情報を引き出せると判断したからだ。
「ふむ。それは僕らも同じだよ。野詠さんからこの学園にも幽霊が出るって聞いたからね」
精霊を見ても動揺していなかった非常勤講師が口を挟む。オカルト研究会の事件のことを言っているのだろう。
「どういうこと?」
海星は悠に尋ねる。悠はまほろば同好会に一件の真相は伝えていない。もしも伝えていたら猿飛影虎が黙っていない。それなのに非常勤講師には知らせているということは、悠にはまほろば同好会とはまた別の繋がりがあるということだ。
灯華が可能性の話として口にしていたスパイは、非常勤講師だけではなかったということになる。
「こっちにも事情があるのよ」
「彼女のその力、“アストラルの鍵”によるものではないね。それ自体は珍しいことじゃない。“アストラルの鍵”の持ち主とは違う異能の者も学園は受け入れているからね。野詠さんの力も“アストラルの鍵”によるものだけじゃないし」
「それって……」
夜空が訝しむ。海星もそれを聞いて想像した。悠も夜空同様に精霊に対抗できるのだろうか。
「恐らくあなたとは別種よ。あんなのこの前に初めて見たもの」
「まほろば同好会が雨組の選ばれた生徒しか入れないのも、“アストラルの鍵”以外の異能力者は全員雨組に配属されるのが理由なんだよ」
「つまり“アストラルの鍵”以外の異能が使える生徒を選んで入れていると。何故?」
海星が非常勤講師に尋ねる。
「まほろば同好会ができた時にただ同じ境遇の子が集まったから、伝統になっただけだよ。異能力者は他の人とはどこか違った雰囲気があるから目につきやすいし。目的はあくまでも“アストラルの鍵”の真相解明」
「他の生徒にとってはでしょ。先生の目的はずっと幽霊を探すこと。“アニマの錠”の情報を流し、それを盾に同好会のメンバーを幽霊スポットに向かわせている。違う?」
「鋭いなあ」
非常勤講師は苦笑する。
「そこまでして、何故?」
「取材だよ。なにせ、」
暗がりの中、非常勤講師は海星に名刺を差し出した。
「僕はオカルト雑誌の編集者をしているものでね」
●
学園とは反対方面の駅出入口は比較的行き交う人が少ない。駅から少し歩くと到着する古びたビルが建っていて、そこにオカルト雑誌の編集部はあった。
一部の出版社を除き、インターネットの普及により紙媒体での雑誌や本が売れなくなっている。ここの編集部も、響のような一部の熱狂的ファンによって支えられてはいるものの例外ではない。
『君の力のことを詳しく聞かせてくれないかな?』
非常勤講師は、夜中の学園で夜空にそう言った。また、彼を学園に送り込んだという親玉に会ってくれないかと頼まれた。
「他の人は取材で外出しているから遠慮しなくてもいいよ」
授業が終わると、海星と夜空は悠の案内で教室から直接この場にやって来た。非常勤講師は既に編集部にいて、三人を迎えた。
編集部の中は狭い。デスクの数からしてここで働いているのはほんの数人だろう。どのデスクも例外なく書類が雑多に積み上げられていた。非常勤講師が言っていた親玉に当たるような人物はいない。じきに戻ってくるのだろうか。
そんなほこりっぽい部屋の中だが、ひとつだけこの場に似つかわしくない物が置かれてあった。
海星の身長近くもある、縦長のディスプレイが鎮座している。
不思議に思ったのは夜空も同じらしく、二人してそのディスプレイに近づく。すると感知式のセンサーでも付いているのだろうか、真っ暗な画面が点灯した。
「ムコウのセカイからこんにちは! バーチャルアイドルのゼロニナです! ニナたちの編集部へようこそ!」
薄暗い編集部に似つかわしくない明るい背景とともに、陽気な声が届いた。
夜空は驚いた表情を見せる。海星も意外過ぎる登場人物に、思わず目を丸くしていた。
映し出されたのは、バーチャルアイドルであるゼロニナだった。
「本物?」
海星が尋ねる。声を変えた別人という可能性もある。
「残念ながら証拠になるようなものは出せそうにないわね。普段のニナと比較して判断してもらうしか。それかなにか歌ってみようか。声は作れても歌う技術はそう真似できるものでもないし」
披露されたとしてもこれまでゼロニナの動画を見たことがないため判断できない。
会話が成立しているということは、録画映像でもないらしい。
「あなたが幽霊と契約したという女の子ね。はじめまして、あなたのお名前は?」
「月ヶ瀬夜空です。あの、テレビでお見かけしたこと、あります!」
電子的有名人との邂逅に、どうやら夜空は緊張しているようだ
「月ヶ瀬さんね。あなたには訊きたいことが沢山あるの。今まで霊能の力は悠のように先天的なものだと思っていた。それが幽霊と契約という形で後からくっ付いてくることもあるんだって、今まで考えもしなかったから」
「私は幽霊の力を契約なしで使えるということの方が驚きです……」
「お互いにビックリってことね! その力ってどこで手に入れたの? “幽霊スポット”に行けばいい? アナタたちの学園じゃ無理?」
「あの、多分、そうです。私はそうだったので。で、でも、危ないので止めておいた方が……」
「そこはほら悠が付いてるし」
「わたしが対処できなかったらという想定もして欲しいのだけれど」
「月ヶ瀬さん、幽霊とお話はできるの? 天国ってどんなところなのか訊いてみた!?」
「えっと、それはよく覚えていないみたいです……」
「それで、星見に雇われている人間がどうしてこの編集部に来ている?」
海星が話を遮る。彼女は企業の公式キャラクターという立場であるため、その姿で行動することは許されていないはずだ。もっとも、正体を明かして行動したところで誰からも相手にされないであろうが。
「よくぞ訊いてくれました! これを見てちょうだい」
非常勤講師がオカルト雑誌を広げて持ってくる。
「アカシックレコード?」
夜空が反応する。海星も聞いたことはある。響からここのページは見せられていた。
「過去と未来も含め全ての事象が記されているとか、ヒトが生きてきたあらゆる記憶と記録が溜まっていくとか。そんな全知全能な所なわけ。それがあれば世界を思うがままにできる。悠には、そこにアクセスできる力があるのよ」
「そんなわけないじゃない」
悠が切り捨てる。
「いいえ。悠の“アストラルの鍵”はアカシックレコードに繋がるものだし、そもそも霊能力ってのはアカシックレコードから力を一部引き出すものだしね。その二つを持っている悠は最強ってわけ」
「そのアカシックレコードとやらにアクセスしてどうする?」
「ただ知りたいのよ、ニナは。この世界の全てを」
バーチャルな身体であるが故、その表情の変化は普通の人間よりも極端に描かれる。それまで多くの視聴者を魅了してきた笑顔がふっと消えた。
「だけどそのためには時間が足りない。今の時代、人生の殆どを電脳世界で過ごす人も現れてきているけど、完全に肉体を捨てられるようになるのはまだ夢物語。先に寿命がきちゃうのよね」
ゼロニナのようにバーチャルなキャラクターでアイドル的活動をしている者だけでなく、今では一般人が自分のアバターを作って電脳世界で他者と交流するようになっている。自分の名前や容姿、性別やプロフィールも変えて。
彼女が言うような、本当にバーチャルな空間だけで生活できる日がくるのだろうか。澪のように、そういった事がよく分かっていない人がまだまだいるあたり、しばらく先にはなりそうではあるが。
「こっちはいいよ〜! 仮想空間では物理的距離に関係なく相手に会えるし、なんなら現実では不可能な魔法のような力も再現できるし!」
不可能な力の再現なら“アストラルの鍵”を持つ学園生がやってのけてはいるが。
「それで、今までは悠にアクセスして貰って知ろうとしていたけれど、悠が乗り気でないから自分が幽霊と契約してアカシックレコードにアクセスしたい、と」
「ピンポーン! そういうことなので、幽霊に会いに行ってくれない? 比較的近いところでいいから。実際に契約可能な幽霊がいるって判明したらニナが直接行ってみるわ」
話しているうちにいつの間にか、非常勤講師はPC上にマップを開いていた。地図にいくつか印が付けられてある。それがオカルト雑誌にも書かれた“幽霊スポット”を示すものだということに海星はすぐ気が付いた。
海星と夜空が促されて覗き込む。海星がハッとして点々と示された幽霊スポットのうちの一つを、海星は指さした。
「ここ、家の近く」
偶然だろう、ゼロニナもそこまで予想はしていなかったはずだ。モニターの中で、ゼロニナは知人にプレゼントを手渡して自己満足に浸っているかのような顔になった。
「決まりね」




