第六話 絶望が村を支配する不具合について
「魔王軍だ、魔王軍だぁーっ……! 逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ……!!」
村道を走る男が大声で喚き散らす。
教会を一歩出ると、村はひっくり返ったような恐慌状態に陥っていた。
家々の間を抜ける細い道は逃げ惑う村人でごった返している。男、女、子供、老人、金持ち、浮浪者……。中には馬車にありったけの家財道具を詰め込み、人ゴミを必死で押しのけようともがく者もいた。
『グギャアアアアアアアアア……!』
大気を揺るがす鳴き声。鼓膜を破る大音声に民衆は思わず耳を塞いでうずくまった。人々は折り重なってドミノよろしく転倒し、馬車は揺れ、赤ちゃんの泣き声があちらこちらで上がる。
これはひどい……文字通り、"地獄"。勘弁してくれ……。
僕は鳴き声が響いた方の空を見上げた。
夜空は分厚い雲に覆われているようで、星ひとつ見えない。――そんな漆黒を背景に、地平線の果てから飛来するいくつかの黒い点。
「そんな、何て事……!
あれは巨竜種……それも、13体もいるなんて。
なんで……? あの大戦争以来ずっと沈黙を保っていたのに、どうして今こんな大規模な侵攻を……」
後ろに立っている少女が叫ぶ。その声はうわずり、とても信じられないといった口調だ。
扉から出てきた、救導師と呼ばれている初老の男が目を細める。
「ふむ……今、我が国は隣国と緊張状態にある。これを好機と捉えたのやもしれぬな……。
いずれにせよ、この村は塵ひとつ残さず文字通り"滅却"されるだろう。結界が破られぬ内に、避難の準備をせねば……」
「……あの、こんな時に本当すいませんが……。
あれ、もしかしてメチャクチャヤバい奴らなんですか」
「"やばい"だと? それはそうだろう! 魔王軍なんだぞ……!
君もこの近くの住人なら、あの魔王軍の苛烈さは身に染みているだろう!?」
「ひっ、すいません……」
「ま、待ってください! 彼は頭を打って、軽い健忘の症状に見舞われているみたいなのです……。
多少の失礼はどうかご容赦を……」
「……健忘? 健忘、ねえ。
……ふぅ~む…………」
救導師の訝しむ視線。待って待って待って、全然怪シイ者デハナイデスヨ全然。
思わず腋にじっとりと冷や汗がしみ出す。
「……それより、どうなさいましょう? 魔王軍は刻一刻と迫っています。
軍の到着を待っている暇は無いでしょう。皆の避難の誘導をしなくては……!」
少女が横から口を挟む。ありがたい……。
救導師の男は僕から視線を外すと、落ち着き払った声で告げた。
「まぁ焦るでない……知っての通りこの村には、我ら聖教会が強力な魔術結界を張り巡らせておる。
結界は一刻や二刻にて易々と破壊できるモノではない……まず避難の誘導より先に、教会の古文書と救護術具一式をすべて持ち出すのが先決であろう」
「な……、恐れながら救導師さま、そんなコトをなさっている場合ではないのでは……!?
村人の避難が最優先かと……!」
「落ち着け! 人命が大事なのは言うまでもない。
だがそれと同様に、我が教会が数百年にわたって受け継いできた貴重な書物も"財産"だ。これを失うのは人類にとって大きな損失である……!
救導女よ、直ちに教会の地下から術具と古文書を……」
救導師が命じようとしたその時。
『ガギャアアアアァァァ……!』
再び轟く耳障りな咆哮。それと共に、先頭の一際大きい巨竜種は速力を上げて急降下し――
僕らが出てきたばかりの教会の、尖塔の上に降り立った。
「…………莫迦な。
何故、ここに…………結界、は……」
塔を覆う煉瓦がぱらぱらと崩れ落ちる。
塔の突端を脚で掴んだまま巨竜種は翼を折り畳み、重い首を下げた。でかい、でか過ぎる……! おいおい、教会そのものよりも大きく見えるぞ。
そして竜の背中には黒いローブをすっぽり纏った大柄な男が屹立している。――見るからに強キャラ、というヤツだ。
男は筋骨隆々の腕で髑髏を象った杖を握り、前を指した。
それに呼応するように、上空からざわめきが漏れる。
喧騒は、村の上を旋回する数匹の巨竜種――その上から響いていた。
『……征け。同胞よ』
大男が唸る。たったのワンフレーズ、だがその低い声は奇妙な威容を纏っていた。
……そして大男の言葉が終わると同時に、空から一斉に何かが降り注いだのだった。
「な……こやつら、全て魔物どもか!?
一体何十体、いや何百体いるのだ……!!」
救導師がうめく。宙を舞う巨竜種の背中から降下する大量の「魔物」――さっきのグレート・トロルみたいな人型のヤツやら、爬虫類にトゲ生やした狂暴そうなヤツやら。どいつもこいつも一目で"ヤバい"とわかる奴らだった。
魔物どもは村の至る場所にボトボトと落下し、手当たり次第に村人を襲い始める。待て待て待て、空襲って! この世界の魔物ってやつらは、随分戦略が発達しているらしいな。
……って、そんな事考えてる場合じゃないよね、これ……。
「……ありえぬ、そんな筈は無い。
何故……、何故だ……」
「……ええ、こんなコトって」
2人は眉間に皺を刻み、一面に広がる地獄のような光景を見つめていた。よっぽど動揺してるらしい。
「え、えーと……皆さんとりあえず、逃げましょうよ……」
僕は狼狽えがちに口を挟む。ショックなのは分かるけど、こんな処でくよくよしてるヒマは無いはずだ。
しかし救導師の男の反応は先程とまるで違ったモノとなっていた。
「……お終いだ。もう終わり。
逃げるコトなど、出来よう筈も無い。ここで死ぬしかないのだ」
え? 待て待て待て、何その弱気は。
あなた達、魔術とか持ってるんじゃないですか? 困りますよちょっとあの。
「はい……、そうですね、これからどうすればいいのでしょう……
主よ……ああどうか、願わくは我らを導き給え……主の御心のままに……」
待て待て待て待て、少女まで神頼みしてる場合じゃないでしょう。
もっとこう、聖職者としてのプライドは無いんですか。
「ちょ、ちょっとどうしたんですか!?
そんな弱音を吐いてる場合じゃないでしょう、何かしないと……!」
「……君、この状況が分からないのか?
彼奴が此処に姿を現している、その意味が」
「……え?
アヤツ、って……」
「……本当に憶えていないというのか?
あの漆黒なる魔套衣、魔族の象徴たる髑髏を彫った魔杖。そしてあの巨体……忘れもすまい。
奴こそ数十万の魔族を率いる頂点、"数兵師団にも相当する能力"と"無尽蔵の魔力"を宿した魔物の中の魔物……」
教会の尖塔に立っていた巨竜種が、こちらに首を向ける。背中の大男はニヤリと牙を剥いて笑いかけた。そのまま、おもむろに杖を持ち上げた。
「……"魔王"だ。
終わりなんだよ……、何もかも」
巨竜種は、こちらを凝視しながら大きな顎を上下に開く。その中からは、強烈な紫色の燐光が筋になって漏れ出していた。
そして、幾多もの光の筋は次第に纏まっていき、やがて一つの球となり……
『コツー…ン』
澄んだ音。大男が杖で巨竜種の背中を打った音だった。
――その瞬間、僕の視界は白い光に包まれた。
次回更新は3/12(月)となります