第四話 HPが回復しない不具合について
「すみませーん、誰かいませんかー」
絞り出した叫びが平原に響き渡って、……そのまま消える。
四方を見ても一面の緑色――そこに、人間の気配は無かった。
「すみませーん、ケガをしてしまったのですがー!」
僕はなおも叫んだ。……誰も来ねえ。
とりあえず負傷した右脚を、カバンに入っていた布きれで縛る。少しは出血がマシになるといいけど……。
「だれかー……たすけてー……」
次第に、声量が下がっていくのを感じる。視界もどこかぼんやりと滲んできた。
傷口を見る。ひん曲がった右脚は依然変わりなくドバドバ血を大放出していた。
何やらスゴいアイテムで、せっかくさっきの化物を倒したって言うのに……僕の人生、こんなよくわかんない処で終わりなのかよ。
まさか、昨日まで普通に大学に行って帰ってゲームして寝る、とてつもなく健康的な生活を送っていたのに……いきなり突然の死を迎えるなんて、誰が予想できるというのか……。
僕の脳内をぐるぐると今までの人生の1コマ1コマが駆け巡る。ああ、こんな事なら、せめて積みゲーを全部消化してから死にたかった……。
……いや、待て待て待て。
死ぬ前によく考えてみるんだ、自分。
さっきからあまりにも不可解な事が起こり過ぎてる。不思議な世界、謎のアイテム、怪物の消滅、そして脳内に響いたメッセージ……。
「……あ、そっか」
簡単な事だ。なんで気付かなかったんだ?
もしかすると、この世界は……。
僕はカバンのほうに手を伸ばした。周囲には、カバンからぶち撒いた小物が散らばっている。
確か、カバンの中に小さな草があったハズだ……。えーと、どこに落としたか……? あーもう、地面に生えてる草がメチャクチャ邪魔すぎる……!
ほどなくして、草は見つかった。小指ほどの小さな草を根元から刈り取ったモノで、庭の隅に生えていても気にも留めないような見た目だ。顔に近付けてみると、ツーンと漢方のような独特の香りが漂う。
僕は鼻をつまむと、意を決して――この草を口に放り込んでみた。
ぐにゅっ。
草を一噛みすると共に、猛烈な青臭さが鼻を抜ける。小学校の給食のまずい漬物を思い出すな……。
戻しそうになるのを必死にこらえながら、僕は草を噛み潰し、飲み込んだ。
ごくん。
その瞬間、ふわりと身体が軽くなった。
全身に纏わりついていた疲労感が霧散し、リフレッシュした感覚に包まれる。試しに腕に力を入れてみると、指の先まできびきびと動いてくれた。
……あーなるほど。僕はようやく、この身に起こった全てに納得が行った。
この世界、1つの"ゲーム"だ。
考えてみたら、最初からハッキリした話じゃないか。
草が僕の身体をすり抜けるのも、無理もない……普通、草なんかに当たり判定は存在しないのだから。
地面を果てしなく覆い、風に揺れる「草」。その描画はゲームにヤバい程の負荷をもたらすシロモノだ。
ましてそこに当たり判定なんか付けて、「物理演算」を適用したら負荷はとんでもない事になる。処理落ちの連続で、遊べたモンじゃなくなるだろう。
それにゲームの世界なら、怪物が登場するのも……それを倒せばEXPが入るのも……当然の事じゃないか。
そして、アイテムの草――"薬草"を食べれば体力が回復する事もまた、当たり前だ。こちとら、小学校の頃からお世話になっているアイテムである。
ただ、そうなってくると分からないのは……
僕が、なぜこんなゲームの世界にいるのか、だ。
さっきまで僕は大学にいた。そして、トラックに轢かれ、なぜか地面の下に落ちていき……気が付けば、この世界にいた。
何故かカバンは変なアイテムだらけになっていて、服も変な模様の服になっていた。まるで、バグったような模様の――
「あ、そっかこれも。
どこかで見た事があると思った……、バグった表面模様だ」
表面模様。よく知られているように、3Dゲーム上に存在する物体の表面に表示される柄である。
そして、何かの不具合でゲームが表面模様に正しい画像を表示できなくなった時、その柄はぶっ壊れる。
たとえば、モンスターの体表のテクスチャ画像が誤って床の表面に張られてしまえば……
ウロコやらツメやらをぐちゃぐちゃにした不気味な紋様の床ができ、世にもおぞましい部屋が誕生するというワケだ。
一時期、マ○オ64のカセット半差しバグにハマって一日中遊んでいた時によく見た光景である。
僕は、改めて自分のズボンに注目してみた――デニム生地の上に印刷された、ベージュと黒が入り混じる、蛇皮のような気味悪い紋様。
その中に……ぽつりぽつりと、"眼"があった。
「うわぁ……」
よく見れば、その周囲には薄ピンクの唇や、横一文字に引かれた眉毛のようなデザインも散らばっている。
――顔だ。人間の顔の表面模様が、ばらばらになってズボンの平面を彩っている。
……そうか。このズボンは、僕が履いていたジーパンだ。
考えてみれば、この世界にはおそらく「Tシャツ」とか「ジーパン」とか、そんな装備はそもそも存在しないんじゃないか?
見た感じよくあるファンタジー世界なんだから、当然だ。
世界に存在しないハズの表面模様――この世界はこいつを正しく扱う事ができなかった。
そしてその瞬間、この世界は「バグった」のだ。
おかげで、僕のTシャツとジーパンが持っていた「Tシャツとジーパンの表面模様」の情報は、まったく関係の無いこの世界の表面模様――何かのキャラクタの顔面の画像に、置き換えられてしまったというワケだ。
勿論、本来は顔の表面に貼るための画像が無理矢理カタチの全然違うTシャツとジーパンに貼り付けられたんだから、その模様はグッチャグチャだ。もはやグロ画像……。
ってコトは、カバンのアイテムも同様か。
僕の持っていた財布やスマホ、教科書といったアイテムも、このファンタジー世界に存在するハズがない。結果、ゲームは勝手に"在り得ない存在"を石ころや薬草に置き換えてしまった。
「いやいや。
今時、こんなに分かりやすくバグるゲームないでしょ……十何年前の世界なの、ここ」
それだけ、僕の存在はこの世界を乱す異物、ということか。
とすれば、だが。さっき敵を消滅させた妙な立方体。あれはつまり……
そこまで考えたところで、僕はふと違和感を覚えた。そのまま右脚に目を転じる。
……血溜まりが、おそろしい大きさに拡がっている。ふとん大になった血溜りは僕の尻までぐっしょり濡らし、まだまだ拡大を止めていなかった。
慌ててズボンをめくり、傷口を確かめる。依然変わりなく、そこからはどろどろと赤黒い血が流れ続けていた。
あれ、さっき薬草を使わなかった? あれ? あれ???
もしかして、このゲーム……
「HPの回復とは別に、"ケガの治療"をしないとHPが減り続けるシステム、です、か……」
急激に世界が傾く。気が付けば僕は、血溜りの中に横倒しになっていた。
ああ、嘘、だろ……これだから、面倒なシステムのゲームは嫌いなんだ……。
急速に悪寒が全身を支配する。消えゆく意識の中、どこからか近付く足音が聞こえたかと思うと、僕は――
気を失った。