第三話 敵モンスターを轟沈させる不具合について
――数秒の間。
それから、少しずつ視界が元の景色を取り戻し始める。
そして肉体の感覚、思考もゆっくりと身体に戻ってきて――
い……
「いだああああああぁああああぁああああぁぁぁぁ」
僕は千切れんばかりの叫びを上げた。
……まだ生きては、いる。
怪物が右腕を振り下ろした瞬間、本能的に飛びのいたおかげでかろうじて命は保てたものの……一撃をまともに喰らった僕の脚はあさっての方向にねじれていた。赤黒い血が、折れ目からドバドバ垂れ落ちる。
噴水みたいだ、なんて冷静な感想を抱くヒマも無く――
「いだい、いだいいだい痛いイタイいだい痛イいたい――――!」
襲い来る、文字通りの「激痛」。一瞬で額から染み出る大量の脂汗、そして急上昇する心拍数。
これは、これは、この痛みは――
夢じゃない。現実だ。
怪物は丸太を握り直すと、ふたたびこちらに向けて照準を定めようとしていた。まずい、まずいまずいいやだたすけて死にたくない……!
上半身に渾身の力を込め、身体を後ろにずらそうとする。
しかし、僕の貧弱な腕をいくらバタつかせても身体は1mmも動かない――こんな事なら、日々のゲームの時間を少しは筋トレにあてるべきだった。
……いや、やっぱりそれはナシじゃないか? ゲームより大事な時間なんか存在しないし――。
そんなクソ下らない葛藤をしている間にも怪物はじりじりと巨樹を持ち上げる。
「あば、あばばば、あばばあぁばぁば」
僕は悲しくなるくらい間抜けな悲鳴を上げて必死にもがいた。その時――
僕の右腕に、何かが当たった。さっき調べていた、僕のカバンだ。
何か、何か無いか。あいつを倒せなくてもいい、追い払えるだけでも……。
震える指を抑え、カバンの中身を漁る。石、鉄くず、布切れ、バターナイフ、蝋燭、小瓶、釘――
ショップですら買い取ってもらえないようなゴミばかりだ。何もない……この場を切り抜けられる、必殺アイテムなんか何も。
僕は最後にカバンをひっくり返した。小さなクズがぱらぱらと舞う。このカバンには、もう何も入っていない。
ええい、もうやけだ……!
僕はカバンから出てきた石ころを手に取り、怪物の顔めがけて投げ付けた。
『グルル…………』
石ころは綺麗な放物線を描いてコツッ、と怪物の鼻にぶつかり、……そのままポトリ、と落ちた。
……怪物は、石ころを投げられた事にすら気が付いていない。
『ぐるるるる、フシュゥ……』
怪物は蒸気のように細かく息を吐き出し始めた。そのまま、おもむろに樹を振りかぶる。
僕はカバンから鉄くずやバターナイフを拾い上げて飛ばしてみた。それらは勢いよく怪物の顔へと飛んでいき――そして、怪物の尖った耳をぺしぺし打って、それで終わりだった。
あ、これ終わった――
短い人生が走馬灯のように脳内を駆け巡る。幼稚園入園の思い出、ポ○モンを親に買ってもらった思い出、小学校入学の思い出、マ○オで夏休みを溶かした思い出、お年玉をはたいてPCゲーを買った思い出、それがとんでもないクソゲーだった思い出、P○BGでドン勝を食った思い出――
「いや、ゲームしか無いのかよ」
その時、ふと視界の隅で何かが光った。こんな時に何だ……? そちらに視線をやる。
カバンの口の辺りに、小さな立方体が落ちていた。あれ、こんなんあったっけ。さっきは中に引っ掛かって落ちてこなかったのか……?
キューブを手に取ってみる。
大きさは5cm角くらいか。冬の朝のドアノブみたいにひんやりとしたその立方体は、やっぱり表面にカラフルなブロック状の文様を纏っていた。ちょうど、QRコードみたいな柄だ。
なんだろうこれ? こんなモノ……あ、待て待て待て。この形状、どこかで見た事があるような……?
……そうだ。これは、このアイテムは――。
『フシュゥゥゥ…………グルル、グルルァァアア――――――!!』
怪物がおぞましい雄叫びと共に、大木を振り下ろす。
僕は――もはや理由は無く、本能に近い判断で――立方体を掲げ、怪物に向けておもむろに、投げ付けていた。
「……ゲーマー、馬鹿にするんじゃ……ない…………!!」
立方体は美しい軌道で怪物の頭上へ飛んでいく。そして――
『――――――アガッ』
短い怪物の悲鳴。それと共に――
轟音が大気を揺るがした。
『ア゛ァアア、アヴァァァアア゛ァァゥァァァアアァ…………』
野太い呻き声。思わず顔を伏せる。
――十数秒の後、ズシンという重低音が身体を揺さぶった。
前を見る。数m手前に、一台の馬車……?がひっくり返っていた。ホンモノを見た事が無いけど、多分馬車そのものだ。こんなモノ、どこから出てきたんだ……?
で、その馬車と地面の隙間で……緑色の肉塊がもがいていた。
……え? こいつ、こんなトコで何してるんだ。しかも……
下半身、地面に埋まっちゃってるぞ。
怪物は地面から脱け出そうと必死に暴れていた――と言うより、不自然にブれていた。
『ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ』
ブッ壊れた洗濯機のような音を立てながら怪物の肉体は高速振動し、そのせいでみるみる草の中に呑み込まれていく。明らかに物理法則に反した、異常な挙動だ。
やがて怪物の胴体も首も、完全に見えなくなった。
『ヴァアアアアァァァァァァァ……………』
呻き声が地面の下からかすかに響く。その声はどんどん遠ざかっていき、聞こえなくなった。……僕は息を吐くのも忘れ、呆然とその光景を見つめていた。
ふいに、どこからかくぐもった声が響いて来る。頭の中から漏れ出ているような、機械的な音声だ。
『グレートトロルを倒した。ア゛ミ゛ィ▮ン┏は200EXPを獲得した』
「…………、えっ、すみませんいま何て?」
――――――――――――――――――――――――――――
暗闇に満たされた一室。大量の文字列が表示された巨大なディスプレイを見ながら、ひそひそと会話する者達がいた。
『どうなってんの……何で、マップM-2のプレイヤーがマップA-3に……?』
『"別世界マップへの転移"とは……これは困ったコトになりましたねえ。
このような事態を招いたコトが露見しては、我々もただではすみません。
しかも既にプレイヤーは1体、このマップのNPCを殺傷した様子』
『ウソ。NPC"グレートトロル"が死亡した座標は……何これ、y座標がマイナス……?
って事はマップの遥か"下"で死んだってコトじゃない。
いったい何が起こったの……?』
『ふむ……どうやら、プレイヤーが使用したアイテムが原因のようですねぇ。
詳細は調べてみないと分かりませんが……、マップM-2のプレイヤーが異なるマップに何らかの原因で転移してしまったため、彼の所持していたアイテムもその影響で異常なモノに成ってしまった。
そう、このマップに在ってはならない物体に……』
『な……そんなのって……、つまり』
『ええ……"不具合"、ですな。それも重大な……。
これは、速やかに"処置"を施さねばなりませんねぇ……。』