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【21】触れず愛でませ(2)

 怖々とその手を近付ける竜を声音でもって、優しく導く。


「大丈夫。上手くやれば、()れないから」


 畳の上で、二人。竜の指がそっと私のつくる中に入ると、糸が震える。ピンと張られた紐が竜の指にかかり、私の手からゆっくりと擦り出されていく。完全に離れれば、あやとりの『やま』は形を変え、彼の手の中で『田んぼ』になった。


 ――できた。竜の身体が受け付けない可能性もあったから、少し心配していたのだ。ほっとして竜の顔を見れば、十つの指をしなやかに折り曲げる彼もまた、嬉しそうに表情を緩めている。


 摘んで、引っ張って、突き上げて、滑らせて。


 互いに繰り返すと、最初は恐る恐るだった手付きが、慣れたものになっていく。私の手の間を滑らかに動く、竜の細く長い、汚れを知らない白い指。角度を付けようとすれば、指や手首の節が強調される。綺麗だが、それは確かに女子のものではなく。


 月がたなびく薄雲に隠れ、再び姿を見せるまで。脇目も振らず続けていると、ふと竜が唇を開いた。


「――綺麗ですよね。沙耶子さんの指」

「そんなわけあるか」

「いいえ。初めて見たときから好きでした。何かに一生懸命な手。何かを守る手。……お美しいです」


 薄光にさらされる竜の手指には青紫の糸が伝う。こんな綺麗な手の持ち主が、そんな風に言うのか。


 ずっと自分の手に引け目があった。土で煤けて、水で荒れて。擦り切れ、赤みの消えない手。それを目の前の竜は美しいと言う。


 犠牲とまでは思わない。それでも、何かの為に捨ててきたこと全てが、今の一言で報われたような気がした。彼に価値を見出されたことが、嬉しいばかりでなく、誇りまで得たように覚えた。


 少し霞んだ視界を晴らそうと強く瞬きをする。誤魔化すようにあやとりを続け、竜から紐を引き抜くと、彼は静かに呟く。


「女性に近付くと、自分の存在がどうしようもなく怖くなるんです」


 私の手の中の綾が、少し緩んだ。


(しずか)先生と話したときは、白い真綿を泥のついた手で握り潰してしまうような怖さ……と例えたんですけど」


 竜の視線は畳の縁に向いていた。洒落者の彼らしく、漆黒の縁には流水の刺繍。流れる白糸が、月明かりでうっすらと浮き上がる。


「それでも中学校に入って、学生服を着たら不思議と楽になったんです。洋服で着飾ると自分でないみたいで、まだ平気なんですよね。隣にずっといても大丈夫」


 「だから最初に洋服を着たのは、取り繕うため。自分の汚さを隠すため、でした」と、自身で受け止めるように竜は言った。高価な洋服を何着も買えば、その散財ぶりに周囲も何か思うだろう。あの堅いお兄さんがそれを許していたのは、彼の竜への情だったのだろうな、と思う。


「今はいいのか」

「この間の夜に、ああ大丈夫だって思いました。……もうあんな療法は御免ですけど」

「そうだな」


 全くだ。口元を引きつらせて笑えば、竜は心配するように私の顔を覗き込んだ。繊細に並ぶ睫毛が、澄んだ瞳に影をつくる。私の手の中の綾を取ろうと、彼はおもむろに指を動かす。


「沙耶子さんに手を差し伸べられない分。もう、沙耶子さんが転ばないように、ずっとお側で守りますから。どうか俺を隣に置いて下さい」

「うん。……嬉しいよ、ありがとう」


 私から引き抜く、この一瞬にかけられる力が心地良い。竜が指を広げると、青紫の紐は私の肉に薄く食い込む。他ならぬ彼に縛られる力は細く儚げだが、それでも一途で。どうしようもなく、愛おしいと思った。



「沙耶子さん。『蜻蛉(とんぼ)』ってつくれます?」

「口も使うやつだろう。できるよ」


 「やってみて下さい」という竜のおねだりに、するすると指を動かす。腹となる先を口で()み、しっかりと糸を張る。左右の手と唇でつくられるその形を見ると、竜は嬉しそうに目を細めた。


 白く節のある指が、『蜻蛉(とんぼ)』の形をつつ、となぞる。私の手元から口へ。彼の整った竹爪が次第に近付き、また遠のいていく。唇に触れるか触れないかの辺りで、彼の指は楽しそうに糸をなぞり、弾き、弄ぶ。その度に唇に伝わる、はっきりした揺れ。私はキュッと口を引き結んだ。



「話せない沙耶子さんも、可愛いですね」


 はらり。しばらくして紡がれた言葉に、思わず唇が開いた。紐が垂れ落ち、形が崩れる。私を見る竜の表情はとろけるように甘い。


「恥ずかしいよ」

「本当はもっと、恥ずかしいこと、したいんです」


 寝衣をまとう竜は四つん這いの姿から、だらりと身体を畳につける。主人に戯れを乞う犬か何かのように、彼は喉を震わせる。


 「『(ほうき)』ってつくれますか? ……足も使って、欲しいんですけど」



*****



 どのくらい時間が経ったか。あやとりをする両手と片足が怠くなってきた頃。


 『箒』の柄の部分を(ねぶ)っていた竜がゆっくりと目線を上げた。睫毛に隠れていた瞳が上からちらりと見えたが、私と目は合わない。彼が見つめるのは、私の両脚の間。右脚はあやとりのために彼の前に差し出され、左脚は膝を曲げた状態なのだ。着物はもちろん、下の襦袢も大きくはだけ、その付け根までが彼の視界にあらわになっていた。


 そんな部分をさらけ出す自分はやはり恥ずかしくて、焼けるように顔が熱い。隠したい、と四肢を縮めようとすると、『箒』が崩れる前に竜が唇を開く。


「やめないで」


 吐息混じりの、甘えるような声。


「崩さないで、沙耶子さん」


 そう言って糸に頬を擦り付けながら、私の顔を見る。黒い瞳は熱っぽく、扇情的に濡れていた。言葉通りに身体を固まらせていると、竜はまた下に視線を戻す。


 とろけそうな赤い舌が、これでもかと絡みついてくる。青紫の隙間から見える空間を愛でるように、糸を舌でなぞり、(ねぶ)り。

 ハ、と彼の口から短く熱い息が漏れる。興奮しきった様子で床を這うその姿に、私は何度目か分からない唾を飲んだ。


 触れられなくても、竜にだってそういう欲求はある。触れられないから、別の形で求めてくる。


 彼の口が端に動けば、熱く湿った吐息が私の足先にわずかにのせられる。唇が糸を()めば、その震えが糸を伝い、指先から四肢、体の奥へと響いてくる。彼に与えられる小さな揺らぎは、肢体の中で波打ち、うねり、甘美な柔らかさでもって私の意識を縛り上げていく。


 紡ぐ指を乱さないようにしながら、小さく身をよじらせる。体の芯が熱い。緩やかに脳を揺すられているようで、軽く目眩がする。畳を這う荒々しい呼吸音。その中に聞こえる、水の音。



 暑いよ、竜。


 ついと口から出たその言葉で、部屋の空気が一層の色を帯びた。



「――じゃあ。脱ぎましょうか、沙耶子さん」


 こちらを上目でじっと見つめて、竜は甘ったるく微笑んだ。


 動かないようにしていた身体が力を失い、無意識に後ろへ崩れる。カタン、と音を鳴らすのは重なった窓枠。窓ガラスに打ち付けた後頭部がひんやりする。窓、開けていたのだったな。それに気付くと、部屋にぬるい風が流れてきた。


 月明かりにさらされた部屋に、頭上から白梅の花弁が一枚、二枚と舞い降りてくる。芳しい花香がたなびき、私と竜にまとわりつく。無意識に右手を動かそうとすれば、くん、と何かに引っ張られた。あやとり糸だった。


 姿勢を崩した拍子に他の四肢からは外れていたらしい、青紫の糸。その引っ掛かった右手から先を辿れば、竜の長い指が目に入る。一本の糸が私を逃がすまいと、どこまでも頼りなく、縋るように。


 白梅の影を浴びる竜は、その甘く艶めいた表情のまま、私の返事を待っている。彼の指は答えを求めるようにもう一度、たゆんだ糸を小さく引いた。


 こくり、と喉が鳴る。白く淡い、春霞に溶かされるような気持ちだった。

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