『羽川こりゅう作品集』2.「絵のない画廊(未公開)」
ここは美術館。
たくさんの絵が並んでいます。
海の絵。
空の絵。
うさぎの絵。
大切な人を描いた絵。
どれもとても綺麗な絵です。
その中に不思議な絵があります。
何が不思議かと言うと、そのキャンパスには何も描かれていないのです。
これは何だと思いますか?
実は、このキャンパスには不思議な言い伝えがあるのです。
このキャンパスに描かれた絵は、本物になってそこから飛び出してしまうと言うのです。
そんなわけですから、美術館に来ては、このキャンパスに絵を描いていく人が後を絶ちません。
ある時は、お金ばかり口にする人が絵を描いたのですが、何時間待ってもお金は絵から出てきませんでした。
またある時は、病気で死んでしまった奥さんの絵を、またある時は、いなくなったうさぎさんの絵を、またある時は、若い頃の自分の絵を。
みんな、それぞれの想いを込めて、一生懸命に描きました。
ですが、どの絵もキャンパスから飛び出してくることはありませんでした。
そして、今日もキャンパスに向き合っている人がいます。
女の子です。
車椅子を時折、揺すらせながら、たどたどしい手つきで筆を動かしています。
女の子のそばには、暗い顔をしたお母さんがその様子をぼんやりと眺めています。
そろそろ完成する頃でしょうか。
休みなく動かしていた筆が止まります。
どんな絵ができたのでしょうか。
お母さんもキャンパスを覗き込みます。
キャンパスには、三人の顔が描いてあります。
真ん中には女の子の。
両隣には、お母さんとお父さんでしょうか。
三人ともにっこりと楽しそうに笑っています。
昔の思い出の絵でしょうか。
その絵を見たお母さんは、女の子を抱きしめて、泣き出してしまいました。
その時です。
さっきまで描かれていた三人の絵が、すぅっと消えていったのです。
それを見た女の子は、真っ白になったキャンパスを指差して、にっこりと笑います。
つられてお母さんも涙いっぱいにしながら笑います。
二人とも、まるで女の子が絵に描いたような笑顔でした。
絵が消えてしまったのにとても嬉しそうです。
その日、美術館に絵が増えることはありませんでした。
真っ白のキャンパスは、美術館の一番奥でいつものように、静かに飾られています。
(了)