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悪魔王の娘  作者: 万滋
1章〔地の底の教団〕
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第7話

 


 人当たり良く微笑んだそいつは、ご丁寧に軽く会釈までしてみせた。


 いや、待て。あいつ、いつからあそこに座ってた?

 あたしが気付かなかっただけ?……いや、そんなはずはないと思うけど。



 返事を返さず無言でその男を見返していると、何を思ったのか「あ、正面の席、座ってもいいですか」と申し出てきた。まぁ、あたしが答えるよりも早く、もう正面に来て座りかけていたけども。それ確認の意味ないだろ、と内心思ったが、あえて言わないことにした。

 男の皿の上には、固めのパンの間にサーモンとクリームチーズ、レタスの挟まれたサンドイッチが置かれていた。皿の上に少し多くパン粉が落ちているのはさっきあたしが見た時まで食べていたからだろう。本当にあたしが席につく前から座って食べていたのは間違いないらしい。


 あたしの前にやって来て腰掛けた男は、あたしを前にしても口元から笑みを絶やすことはなかった。柔らかい微笑みは、心なしかロイ先生を彷彿とさせる。

 けど、ロイ先生は昔からの馴染みだからまだいいとして、こいつの笑みは妙に胡散臭く感じる。そもそも何で見ず知らずの……教団の「コブ付き」であるあたしを前にしてここまで笑顔を見せられるのか分からない。


 何なんだこいつは。



「……あ、紹介がまだでしたよね。俺、テオドールって言います。教団には一か月ほど前に入ったばかりなんです」



 あたしの疑るような視線に何か勘違いしたのか、今やっと気付いた、といった様子で申し訳なさそうに眉を下げて、勝手に名乗り始めた。


 そこで初めて、テオドールと名乗ったその男の容姿に注目することが出来た。


 さっきは突然ポッドを手渡しされて動揺したせいか見た目を見ている余裕もなかったけど、改めて見てみると、少し色素の薄い金髪はふんわりと軽く丸みを帯びたシルエットに整えられていて、男にしては長めの髪だ。鼻はすっと真っ直ぐに通り、丸いアーモンド型の目は上に行くにつれて赤みが強くなっている紫色をしている。変わった色だな、と思ったけど、自分も大概なのはひとまず置いておいた。

 顔全体のパーツがバランス良く配されていて、綺麗な顔立ちだ。そして、他人に関心が薄いあたしでも、こいつは人ウケが良さそうな印象を持った。


 見るからに優しそうで、いい人そうな穏やかな物腰。“視界”に映っているこいつの姿も、混じり気がなくて綺麗な色をしていた。

 ……正直言って、殺伐としている教団の雰囲気には不釣り合いなやつだと内心思った。あまりに綺麗で頼りなさそうだから。だから余計に胡散臭く感じる。



 目の前にいるテオドールをじっと見据えながら、遠巻きに周囲がざわつき始めているのにあたしは気付いていた。それもそうだ、端から見たら一緒に食事を取っているようにも見えるだろうから。

 教団員から徹底的に避けられてるあたしと、そのあたしの向かいに何でもないように座って笑いかけてる端正な男。明らかに異様な組み合わせだ。


 そんな周囲の状況に気付いていないのか、自分が名乗っても一言も返事を返さず、ただ無言で見返してくるあたしの態度にも気を悪くした様子もなく、相変わらず柔らかく微笑んでいた。



「先程コーヒーポッドを渡した時に気付いたのですが……ミヨさん、ですよね」


「…」


「明後日の調査任務に、俺も第一班のメンバーに選ばれたんです。任務の前に班長である貴女に一度ご挨拶をしたくて……偶然ですが、お会いできて嬉しいです」



 そう言って、「任務、よろしくお願いします」と頭を下げた。下げた時にさらりとその金髪が揺れた。女よりも髪さらっさらだなぁと内心思っただけで、あたしは返事を返さなかった。

 代わりに、わざとらしく溜め息を吐いてみせて、コーヒーを口に含んだ……今日のはいつもよりも若干苦く感じる。


 傍らにいるルトが何か言いたげにあたしの方を見上げて、ぼんぼんと脇腹を叩いてきた。地味にくすぐった痛いからやめてほしいんだけども。

 ……まぁ、もしルトに表情があったとしたら、今は眉を顰めてるってところかな。


 ルトの無言の苦言を軽く受け流し、視線を目の前の男に向けた。何やら視線がチラチラとルトの方に行っているような気がするが、気にしないことにした。



「……律儀だな」


「え、はい?」



 ルトの方に気を取られていたテオドールは、急にあたしがボソッと呟いたのに驚いたらしくビクッと肩が跳ねた。

 あたしの方を見て何かを言おうとしてるのか口が薄く開いていたけど、少し間を置いてから曖昧に微笑み、困ったように眉を下げた。



「……すいません。聞き取りにくかったのですが、なんて」


「律儀なやつだなって言ったんだよ金髪サン」


「え…?はあ」



 あたしの言葉の意味を推し量っている……というより、意味が分からなくて困惑しているとでも言いたげにあたしの目を見返してきた。

 そいつの視線に少し苛立ちも含めて、眉間にしわが寄りかけた。幸いそこまであからさまに表情には出なかったけど、僅かに自分の目を細めて目の前の男を睨み据えた。



「あんた、教団入って一か月って言ってたな。あたしのことを全く噂に聞かなかったわけじゃないよな」


「え、ええ……多少は耳にしたことはありますが」


「じゃあ、あたしがどういうモンなのかも知ってるはずだ。知ってる上で冷やかしに来たなら迷惑だ、さっさと消えて」



 自分の言葉の端から、さっき表情には出さなかった苛立ちが棘を出し始めていると自覚はしていた。無論、弁解するつもりも訂正するつもりもない。

 代わりに、あたしの言葉にすぐさま反応した赤紫の目が、とんでもない、とでも言いたげに見開いて、慌てて言葉を続けた。



「ひ、冷やかしなんかじゃないですよ。俺はただ、任務が始まる前に班長に挨拶をするのが礼儀だと思って…」


「それなら尚更余計なお世話だ。お前みたいなやつがあたしに構うな」



「不愉快だから」と小さく吐き捨てた。

 テオドールは言葉に詰まり、形のいい唇が反論の言葉を探しているのか、開いたり閉じたりを繰り返している。けど、すぐに諦めたようで、そっと口を閉ざした。


 自分の皿の上に置かれたトーストを一枚手に取り、端を小さく千切って口の中に放り込んだ。香ばしく甘い牛乳の風味が口の中で広がって相変わらず絶品だ。

 ……ただ、口の中の甘さも多少苦く感じそうになるほど、今いるこの場の空気は気まずかった。

 面と向かってあたしから暴言を吐かれた金髪サンは、面と向かって言われたにも関わらず、なぜか席を立とうとしないでその場に留まっている。赤紫の目は動揺して揺れていたけど、それでもあたしから逸らすことはなかった。

 その目と、強く引き結ばれた唇からは、僅かに強い意志のようなものが滲んでいた。


 もちろん、自分から言っておいて居たたまれなくなっているのはあたしだ。同時に、テオドールのその視線に内心酷く動揺した。


 ……何なの、その目は。どうしてそんな目であたしを見る?

 赤の他人からどうしてそんな目を向けられなくちゃならない?一体何なんだ、こいつは。




 あたしたちの間に流れる居心地悪い空気に、先に折れたのはあたしの方だった。

 すっかり食欲が失せてしまい、盛大に溜め息を溢す。これ以上ここで食べるのは気分が悪すぎる。

 ……包むものを何か貰って残りは部屋で食べるしかないか。

 傍らで、始終何か言いたげにあたしのことを見上げていたルトの首を掴み、そのまま右肩に乗せた。トレーを両手で持ち、あたしは席を立とうとする。



「……おい、ミヨ」


「部屋戻る」


「あ、ミヨさん、待ってください!気分を害してしまったのなら……」


「おいおい見てみろよ。化け物が人間と仲良く飯食ってるぜ」



 突然、嫌味ったらしく小馬鹿にしたような声が聞こえてきた。その言葉を聞いた瞬間にあたしは、内心大きく舌打ちをした。


 仕方なしにその声が聞こえた方へ視線を向ける。少し離れたところから若い教団員が三人、にやにやと笑いながらあたしたちの方を見ていた。

 テオドールにももちろんその言葉は聞こえていたんだろう。怪訝そうに眉を顰めてあたしと同じように団員たちに視線を向けていた。


 団員たちはあたしが視線を向けているのに気付くと、さらに下品な嘲笑を深め、わざとらしく大声で話し始めた。



「でもなんか雰囲気悪くね?」


「ははぁ、そりゃあ化け物と飯なんて胸糞悪くしかならねーだろ」


「言えてる。つーか、いるだけで空気汚染されるっていうか?」


「部屋から出てくんじゃねーっての、化け物は人間様に迷惑かけないように大人しく閉じ籠ってればいいのに」


「おいおい、聞こえんぞ」



 そうは言いながらも声を抑える気が微塵もないのは見るからに分かる。ゲラゲラ笑っているその顔は、不快以外の何物でもない。

 ただ、その不快さにいちいち目くじらを立てるほどあたしは暇人じゃない。……いちいちそんなものを相手にしていたら精神が持たない。

 言いたいだけ言えばいい。何のつながりもない、見ず知らずの奴らからの誹謗中傷なんて数え切れないほどぶつけられてきたから。

 こんなもの……慣れてしまった。


 自分の目がどんどん暗いものになってきているのに、あたしは気付いていなかった。無視してとっとと部屋に戻ろう……こんなところに居たくない。


 ──しかし、そこで予想だにしないことが起きた。



「……少し、いいですか」



 静かに、それでいてよく通る声が響いた。

 その声にあたしたち周辺のざわつきが一瞬静まり返った。一様に呆然として目を見開き、訝しむように視線をこちらへと投げかけてくる。もちろん、さっきまで下品な嘲笑で騒いでいた団員たちも。


 その好奇の視線の中心にいたのは──テオドールだった。


 テーブルに手を突いて腰を浮かし、アーモンドの目をきつく吊り上げてその団員たちの方を睨み据えている。さっきまでの人当たりの良い穏やかな顔付きとはまるで違っていた。

 踵を返しかけていたあたしは微妙な体勢で立ち止まるしかなく、周囲の団員たちとまったく同じ表情をせざるを得なかった。


 周囲の困惑と向けられている視線も意に介さず、テオドールは席を立ちその団員たちの元へと歩み寄る。怒りを抑えた厳しい表情は崩れないままだった。まさか弱々しい雰囲気の新人団員の方が自分たちの前にやって来るとは予想外だったんだろう、端正な顔立ちの男から向けられる、その怒気を滲ませた瞳に、若い団員たちは明らかに困惑していた。

 団員の一人が口の端を奇妙に歪ませた。困惑と、小馬鹿にしたような表情が半々。



「な、何だよ」


「先程から、貴方たちの言葉は聞くに堪えません。変に騒ぎ立てて周りの人にも迷惑です。彼女への暴言を撤回してください」



 静かに、凛々しく響いたその声音は、痛いほどに真っ直ぐなものだった。一言で表すなら、正しく「義憤」と呼ぶに差し支えなかった。

 周囲の喧騒が水を打ったように静まり返る。大食堂全体の賑わいはそのままではあったけど、そこから切り離されたように……テオドールの義憤が響いたこの場所の空気は、凍り付いた。

 一方であたしは…………ポカンと口を開いて呆気に取られてしまった。

 テオドールの言っている意味が分からず、思考が追いついていない。数瞬遅れて、口から意図せず「は」と乾いた音が零れ落ちた。

「聞くに堪えない」?「暴言を撤回しろ」?……誰のために、そんなことを言ってるんだ?



 その空気を破ったのは、先程よりもずっと大きい男たちの下品な笑い声だった。




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