第6話
ルトとの話題を切り、そこでふと当初の目的を思い出した。
アイリスと遭遇したせいで忘れかけていたけど、約一日ぶりの食事を取ろうと食堂に向かおうとしていたんだった。
思い出して、またお腹から空腹を訴える音が聞こえた。ルトにも聞こえたらしく、くつくつと小さい笑い声が漏れ出ていた。若干気恥ずかしい。わざとらしく咳で誤魔化したら、今度は「ふはっ」と吹き出された。
……ルトはぬいぐるみだから分からないだろうけど、あたしだって一日も何も食べてなかったらさすがにお腹くらい減るっつーの。
ルトには人の空腹を理解してもらえなさそうだ……ああ、そう言えば、悪魔であるルトは食事とかは特に必要ないって聞いたことあったな。
でも、味覚はちゃんとあるらしい。ぬいぐるみで味覚があるってどういうことだ。
……まぁ、悪魔であっても食欲旺盛で、常に空腹であるやつも、いるにはいるけど。
とりあえず、あたしが悪魔の空腹事情について思いを巡らせていても仕方がない。それよりも、自分の空腹を満たすことの方が先決だ。
寄り掛かっていたドアからようやく背を離して、人気のない廊下を歩き出す。
自分の部屋から隣の、そのまた隣の部屋の前を通った時、妙な気配を感じた。
こちらの様子を窺っているような……気配を殺して、じっと息を潜めている張り詰めた空気だ。身を隠しているつもりなんだろうが、僅かに感じるその気配は恐怖や殺気のそれに近い。
隠そうとするあまり、逆に緊張感を浮き彫りにさせてしまっているようだった。
……部屋の「中」にいるやつは、少々隠密行動が下手らしい。
あたしは歩きながらさりげなく、チラリとそのドアに視線を向けるだけに留めて、何事もなかったかのようにその前を通り過ぎた。気配が遠退く。
ルトも恐らく……気付いていたはずだけど、口には出さずにポンポンと腕であたしを叩いた。それには返さず、あたしは内心溜め息を溢した。
あたしの部屋は一番端で、その隣と、そのまた隣に住人はいない。もとい、元々ここの階には空き部屋の方が多いのだけど。
何が潜んでいたのか興味はないけど、アイリスとあたしの会話を聞いていたのだろう。何時から潜んでいたのかも定かじゃないが、随分と大層な暇人なもんだ。
――潜んでいた『何か』は、身を潜めてまで、アイリスとあたしの会話を盗み聞く必要があったのか。
目的は…………ある程度の検討があるにはある、が……もう一つ気掛かりなことがある。
アイリスの言っていた、「自分のとこの班員とも仲良くやれ」という言葉。正直言って、こっちの方が面倒だ。自然と眉間に深いシワが寄る。
今回の任務は、局長からの指令がやけに多い。
たまたま重なっているのか、それとも何か意図があるのか……いや、おそらく意図があってあたしにこんなものを回してきたのだろうけど。深い部分は局長本人でない限り分からない。
最後の指令がなければ、普通に任務を遂行出来るのに……
「………ったく、メンドくさいこと押し付けてきやがって、アホ局長め」
舌打ちも出そうな勢いで愚痴を溢すあたしに、それを聞いていたルトは呆れたような嘆息を漏らしていた。
***
広大な教団の建物は、実は屋外に建てられているのではなく、建物そのものが丸ごと地下に埋まっている。部屋の数や規模の大きさからもかなり巨大な部類の建造物になるのだろうが、この巨大すぎる建造物が一体どうやって造られて、どうやって地下に埋められたのかは想像がつかない。
その点に関しての資料もあまり残っていないそうだ。
地下に埋まっているため、教団には時間の移り変わりを示す太陽や月を見ることはもちろん出来ない。昼夜を含め、時間の感覚が外界の人と比べてもかなりずれている者がほとんどと言ってもいいだろう。
しかし、外界の昼間の時間は、多くの任務活動が行われている。昼間ともなれば、夜と比べてもある程度の喧騒には満ちている。
教団に籍を置く者のほとんどが利用する大食堂。
昼時ということもあってか、それなりに混雑をしているようだ。
大広間に負けず劣らずの広さを誇る石造りの空間には、木製の長机が川のように並べられ、大食堂の両側には料理を受け取るためのカウンター、奥は厨房へとつながっている。カウンターで何かしらの料理を注文すると、奥の厨房へと指示が飛び、早いと一分程で料理が出される。提供スピードが命だそうだけど、どれだけ早く出されたものでも驚くほど美味しいのだから、中にいる調理担当の人々は中々に優秀なのだろう。カウンターから覗く厨房の様子はいつも慌ただしく、時折料理長か誰かが声を張り上げ怒鳴り散らすような声も聞こえてくる。
以前、調理担当の一人がロイ先生と話していた時、朝昼晩問わず団員の食事時は殺人級の忙しさだと愚痴っていた。
教団在籍の者はかなりの人数だし、特に任務遂行の一般団員や戦闘員一人一人の食事量は半端ではない。教団員全員を十分に賄う食事を提供するには、厨房にいる人員がフル稼働しないと間に合わないそうだ。あまりの忙しさに倒れるものが続出、年がら年中人員不足で常に皿洗いといった雑用含めたバイトを募集中である。
カウンターにてミルクトースト二枚とフルーツヨーグルトを注文して、料理が来る間邪魔にならないように脇の方へと避けて暫し待つ。さすがに約一日食事なしだと、頼むのもいつもよりも多くなる。
言っておくが、これでも普段と比べたら今日の昼食はけっこう多い方だ。まぁそれでも、ロイ先生からは少なすぎる上にバランスが悪い、と小言を言われているわけだけど。元々小食なんだから、量が食べられないのは仕方がないと思う。
待っている間にコーヒーでも取りに行くか。それくらいの時間はあるだろう。
思い立って、カウンター脇から壁に沿って動く。なるべく人のいる方を避けているのは、あたしなりの配慮だ。
まぁ、それでも……あたしが近くを通れば、みんなそそくさと下がって距離を取ろうとするし、あからさまに侮蔑の目で睨み据えてくる。
……もうこの空間にいるのにも、少し慣れてしまった。いや、そう思い込んでいるだけに過ぎないかもしれない。
すぐ側にルトがいるから、押し潰されずに平静を装えている。
人も疎らなセルフのドリンクコーナーで白いコーヒーカップを手に取り、コーヒーポットを探した。けど、普段見慣れた銀色の入れ物が、いつも置かれている場所にない。
あれ、誰かに持っていかれているのか、と思ってドリンクコーナーを見回してみたら、すぐに目的のものは見つかった。
どうやら先客がいたようだ。
男が一人、あたしと同じ白いカップを片手に、ちょうどその中にコーヒーを注いでいた。淹れ終わると、あたしの視線に気付いたのか、ふと顔をこちらに向けてきた。
……まずい、目が合った。
教団員のほとんどは、あたしと目が合うことを嫌がる。嫌がって目を逸らすだけならいいけど、たまにいちゃもんをつけられ絡まれることがある。そういうのは非常にメンドくさい。
とっさに、あまり不自然過ぎないように軽く俯いた。“視界”の端に、僅かにカップの白い縁がちらついている。
ポット置いてさっさと行ってくれないかな……と、内心苦い顔をしてしまう。けど、白い縁だけがちらついていた“視界”に、銀色のものが割り込んできた。
驚いて思わず顔を上げた。さっきよりも2、3歩近い距離に先客が立っていて、なんとあたしにポットを差し出していた。
「どうぞ」
にこりと、人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら。
一瞬、何が起こっているのか分からず、呆気に取られてそいつの顔を見返してしまった。
一方で、固まったあたしを見て、男はキョトンと目を丸くさせていた。見返すあたしの目を、同じように見つめ返してきて、軽く小首を傾げた。
「…えっと、コーヒーを飲まれるんじゃないのですか」
「……あ、そう…だけど」
「良かった、自分が間違えて差し出してしまったかと」
「じゃあ、どうぞ」と改めて差し出されたそのポットを、反射的に受け取ってしまった。あたしにポットを渡すと、そいつはまたにこりと微笑み返してその場から離れていった。
呆気に取られたまま、いつの間にか人混みに紛れてしまっていたそいつの背中を見送っていた。は、と我に返って、渡されたポットの蓋へと目が動いた。
少し鈍い輝きを持つ銀色の蓋には、驚くあたしの顔がぼんやりと、少し横に広がって何とも間抜けな顔立ちで映っていた。
と、“視界”に今度は短いツギハギの腕がブンブンと割り込んできたせいで、思わず小さく肩が跳ねてしまった。
「ルト、いきなり脅かさないでよ」
「いやぁ、何だか随分と間抜けな顔してたから」
……間抜けな顔してたのは本人も自覚済みだわ。
半笑いなルトにデコピンでも食らわせたかったけど、残念ながら両手が塞がっている。ひとまず、じとりと睨むだけにしておいた。
コーヒーをカップに注いで、ポットを元に戻して開いた手でルトにデコピンを食らわせていたところで、「ミルクトーストとおぉぉぉフルーツヨーグルト頼んだぬいぐるみ少女おぉぉぉぉさっさと取り来おぉぉぉおい」と若干…………というよりも、今にも断末魔に変わって絶命しそうな怒声に呼ばれるのが聞こえた。
………死にそうなほど忙しいのは分かるけど……その呼び方はどうなんだ。めちゃくちゃ恥ずかしいからやめてほしいんだけど……
そして、ぬいぐるみ少女という見た目に該当するのはもちろんあたしくらいしかおらず、さっきとはまた別の意味での視線に晒されることとなったため、何とも言えない気持ちになりながらカウンターの方へと足早に向かっていった。
……先ほどの男について、胸の辺りでもやっとした感覚が残っていたが、そのもやもやから半ば無理矢理に目を逸らした。
注文した料理を受け取り、隅の方の席を見つけてそこに座る。席につくと、ルトは肩から飛び降りてあたしの横にちょこんと座った。
大食堂の席は背もたれのないベンチのようなものだ。昔は全部石でできていたらしいけど、転んだりなんだりで頭を打って死にかけるやつが多かったらしく、今は座る部分だけが木製に変わっている。
あたしが座れば、どれだけ混雑していようがあたしの周りは自然と席が空く。
気楽でいい。人が多いのは苦手だから、むしろ助かる。
食べるか、と思っていた矢先、不意に人の気配を感じた。食堂にいる大勢のことじゃない。もっと近くにいる、一人だけの気配だ。
顔を上げると、ちょうど左斜め前、あたしの正面から横に三つ四つ離れた所に、男が一人座っていた。
食べている途中だったけど、視線に気付いたのか、ふっとこちらに顔を向けてきた。あたしに気付いたその目元は、「また」にこりと人当たり良さそうに緩んだ。
「ああ、先程の」
……さっき、あたしにコーヒーポッドを渡してきた男だった。