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悪魔王の娘  作者: 万滋
1章〔地の底の教団〕
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第5話

 


  少し不機嫌そうで気怠げな声は、しかし、どことなく刺すような鋭さを孕んでいた。

  その言葉にあたしは自然と背筋が伸び、すっと目を細める。あたしの態度が変わったことに気付いたのか、アイリスは口の端を奇妙に歪めてみせた。


  おそらく、人間がニヤリと笑う表情と同じだと思う。


  しかしそれも一瞬で、いつものじとり顔に戻ると、澄ました風にまたクイクイっと自分の髭を撫でていた。



『ご主人も忙しい身ですので、代わりにミーが通達するよう命じられているのです。一度しか言わないから心して聞けなのです』


「……内容は」


『簡潔にザックリ言うと、遺跡調査をせよ、とのことなのです』


「遺跡?」



 あたしが怪訝に眉を寄せると、アイリスは任務の詳細を説明し始めた。




 依頼をしてきたのは、とある地方の大きな村からだそうだ。

 曰く、村の郊外には大きな湖があり、その湖畔に人目を忍ぶようにひっそりと遺跡が存在しているのだそうだ。その湖畔の遺跡は村人の間でもよく知られているのだが、魔物の存在など…何やら諸々の事情によって観光場所には向かず、人の手も加えられないまま放置されているらしい。

 ただ、特別凶暴な魔物などは生息しておらず、今すぐ脅威となるような危険もなかったため、村人たちは特にその遺跡の存在については気にも留めずに生活をしていたという。



 しかし、ここ一ヶ月ほどから、遺跡とその周辺で異変が起きた。



 遺跡から時折、聞いたこともないような奇妙な……「歌」、のようなものが聞こえてくるようになったのだそうだ。

 そして、それに触発されたかのように遺跡周辺の魔物が活発化、数も以前よりも増加して、魔物が村周辺をうろつき回るようになり始めた。

 不安に怯えた村人たちは、その地域一帯を取り仕切る領主に要請し、遺跡への調査隊を派遣した。

 これでようやく安心出来るか……村人たちはそう安堵していた。


 …………だが、その結果は。



「……調査隊が帰ってこない?」


『なのです。総勢三十名ほど、いずれも領主の私兵で、実力も決して低い輩の集まりではなかったのです』


「その領主の私兵たちが、いつまで経っても戻ってこない、と」



 あたしが尋ねると、チャコールグレーの猫はこくりと頷いて続けた。



『……調査隊を派遣したその夜、人の悲鳴らしきものが遺跡から聞こえてきたそうなのですよ』



 その日以降、悲鳴が聞こえることはなかったが、相変わらず奇妙な「歌」は聞こえてくるらしい。


 調査隊も帰還せず、日に日に活発化する魔物の脅威や正体不明の恐怖に怯え、晒される村は、とうとう耐えきれずに教団へとすがるように依頼をしてきた……とのことだった。



 謎の怪音が聞こえてくる遺跡の調査、並びに戻ってこない調査隊の捜索と、周辺の魔物の討伐が村から依頼された内容ということだ。

 この任務の人員構成は、五名程度を一つの班とし、それを二つの班で行う。今回、あたしを第一班の班長に任命したということだった。


 一通りの話を聞いて、あたしは大きく息を吐き出した。頭を少し掻いてアイリスの方に視線を向ける。



「……その村からの依頼、局長はどう考えてるの」


『お前にこんな任務を回す時点で、だいたいの察しはつくんじゃないのですか?』


「…………悪魔がいるかもしれない、ってことね」




 ──悪魔、と自分で呟いて、眉間にシワが寄った。


 あたしの表情に気付いているだろうけど、アイリスは素知らぬ風に話を続けた。



『ま、今回の任務はお前に先発隊を務めてほしいとのことですよ。

 ある程度の情報を持ち帰って、それを元に今後の策を練りたいと言ってたですから』


「……」


『ご主人も全貌を把握しきれずに大規模調査をするのは、得策ではないと考えてるです。重要任務ですよ』


「……それで。もし局長が考えるように、本当に悪魔がいたとしたら、どうすればいいの?」



 問い掛けると、アイリスは沈黙した。髭を撫でる手が一瞬止まったが、フンと息を吐き出してぶっきらぼうに告げた。



『……お前の判断に任せる、とのことです』




 ピン、と一つ髭を弾くと、アイリスは狭い足場の上にいるにも関わらず宙返りをした。

 手摺に着地したときには、先程までの二足歩行のファンシーな妖獣の姿はなかった。代わりに、艶々としたチャコールグレーの毛並みを持った、普通の猫姿のアイリスが鎮座していた。


 本物の猫そっくりに変化したアイリスは、変化しても変わらずのじとっとした青い目であたしのことを見返してきた。



『任務は二日後、明朝に第四転送陣から出発なのです。お前は班長なのですから、今日みたいに寝坊などしたらぶっ飛ばすですよ』


「ああ、分かった」


『任務メンバーは~……って言っても、どうせお前じゃ分からないでしょうから、当日自分で確認しやがれです。

 …………ま、自分のとこの班員とも仲良くやれです』



 ──ピクリと、片眉が持ち上がった。

 すうっと目を細めたあたしを一瞥し、そこでアイリスは初めて呆れたように盛大な溜め息を漏らした。



『……そうそう、今回の任務先、ラベンダーの産地でもあるそうなのです。ご主人が香り袋でも買ってきてくれって言ってたですよ』


「はぁ……呑気なこと言いやがって、局長。任務は観光じゃないっつーの」


『ミーに言うなです。じゃ、きっちりしっかり伝えたですよ』



『忘れやがったら承知しねーです』と吐き捨てるように言うと、しなやかな動きで音もなく柵から降りた。

 あたしが見つめる中、軽くあたしを一瞥してドアが並ぶ廊下を優雅に歩いていく。ふとその背中から徐々に色が薄れ、アイリスの輪郭が廊下の風景に溶け込むようにぼんやりとしていることに気が付いた。


 チャコールグレーの猫は数メートルほど音もなく歩いていき、不意に柵の方に寄って隙間から階下を覗き込んだ。すでにその姿はほとんど透明に近かったが、髭を僅かにひくひくと動かして、様子を伺っているように見えた。

 そして、背中を丸めて後ろ足を前足に寄せると、また音もなくその柵の隙間から飛び降りていった。


 無駄だとは分かっていても、一応柵から少し顔を出して教団の中心部である大広間の方を見下ろした。

 もちろん、飛び降りたはずのあの不機嫌な青い目の猫は、もうどこにも見当たらなかったけど。





 階下では、さすがに昼間とあってか、夜中よりも多くの教団員たちが世話しなく行き来している。あたしが今まさに見下ろしている階上へと目を向ける者は誰一人としていない。

「転移の間」から出てきて銘々に散っていったり、すれ違って知り合いに出会うと挨拶を交わし、時折その場に立ち止まって何事かを話している姿もある。何を急いでいるのか慌ただしく走り去っていく者もいた。


 人の動く音が巨大な建物の壁に反響して、賑やかで、騒がしい。

 けど、あたしはそれが活気のある賑やかさとは到底思えないものだと感じた。温かみのない、冷えた殺伐とした空間だ。



 昔から…………内から見ても、外から見ても、あの空間は何も変わらないままにそこにあるものだった。




 しばらくぼんやりと階下を見下ろしていたけど、はあ、っと息を溢して柵から身を離した。

 廊下にはあたし以外に誰もいない。頭を掻きながら自分の部屋のドアに寄り掛かった。


 そこで、今まで一言も口を挟まなかったルトが、黙っていたために貯まってしまった分の空気を吐き出すかのように、大きく長い息を吐き出した。



「……相変わらずの猫だな、さっきの」


「ほんとね。黙ってれば可愛いのに」



「いや、可愛いか…?」と疑念たっぷりのルトの一言はさておいて。



 瞼を下ろし、先ほどアイリスから伝えられた任務の内容を頭の中で整理した。


 遺跡や廃墟といった人が立ち入らなくなった場所には、整備でもしない限りは魔物の類いが住み着くのは当たり前だ。その地方の地域には、これといった強力、巨大な魔物は生息していなかったはず。アイリスの話でも、目につくような凶暴な魔物は生息していないらしい。

 遺跡から聞こえてくる奇妙な「歌」……どんな「歌」で、どんな声なのかは実際に聞いてみないと分からないけど、十中八九その声の主は、その地域に元からいなかった存在であるのは間違いない。

 他の地域から別種の魔物が何らかの理由で移動してきて、その遺跡に住み着いてしまった。それで縄張りを荒らされたと勘違いした元々生息していた魔物が警戒するようになり、気性が荒くなった……というのも考えられる。


 恐らく、局長も同じような可能性は考えたはずだ。



 だけど、そこに異常な要素が加わってしまったから、あたしにこの任務を回してきたんだろう。



 派遣した調査隊がいつまで経っても戻ってこない……遺跡にただ魔物が住み着いただけなら、誰一人として戻ってこないというのはおかしい。

 領主の私兵という……まぁどの程度のものなのかは分からないけど、ある程度の実力は持っているであろう調査隊三十人を全滅させてしまうような魔物なんて、滅多なことでは人里近い場所に現れることはまずない。


 ……まぁ、それが何なのか分からないから、今回の任務なんだろうけど。

 魔物であるなら、いくらでも対処の仕方はある。


 けど、もし本当に、その一連の出来事が悪魔の仕業であったとしたら……──




 瞼をゆっくりと持ち上げる。じっとあたしの方を見ているツギハギの目があるのに気付いて、右手でぐりぐりと頭を撫でてやった。



「…どうだ、考えはまとまったか」


「ちょっとは。ねぇ、ルト」


「なんだ」


「……今回の任務、ルトはどう思う?」



 どうって、と小さく呟いて、暫し沈黙した。

 頭が少しだけ傾いで、その頭部に僅かに影が出来る。俯いて考えているようにも見えた。



「……悪魔だと思うけどな、俺は。ま、どちらにせよ人的被害がでかくなる前に、討伐なり何なりした方がいい。どんな理由だろうと、悪魔が人間界に居ても害にしかならねぇよ」


「ふぅん」


「人に訊いておいてその態度はなんだ」


「いや、ルトの同族かもしれないのに、庇ったり弁護したりしないんだな、って」



 すると、いきなり頬をべちんと叩かれた。突然のことにあたしは面食らって、ポカンと口を開けてしまった。


 あたしの頬を叩いたぬいぐるみの目は、不機嫌そうにちらりと光っている、ような気がした。



「お前な、俺がそんなお人好しに見えるか?自分の種族立場も弁えず人間を殺してるような悪魔なんざ、処罰の対象もんだ。

 そんな奴を庇ってやるほど俺は甘くない」



「人間だって規則を破れば罰が下るだろ」と、少し説教じみた声音で諭された。


 ……ルトって、変なところ真面目な部分あるよなぁ。真面目と言っていいのか分からないけど、やたら現実的な部分はあると思う。

 見た目は現実味のない不気味なぬいぐるみ姿なのに。


 まぁ、ルトの言ってることは最もだし、何か言ったらこのままお説教が始まってしまいそうだったから、「そっか」と軽く一言返してその話題はそこで切った。




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