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悪魔王の娘  作者: 万滋
1章〔地の底の教団〕
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第3話

 


「はい、こちらの目の方は終わりました。続いては、"心眼"の方を診させてもらいますね。今から私の質問に、君が『見えたように』答えてください」



 あたしの目から手を離さないまま、ロイ先生はもう片方の手を自分の背中の方へと隠した。



「背中に隠した私の右手がどんな動きをしているのか、順番に答えてください」


「……パーからグーにして、人差し指だけ起こした。下から上にそのまま移動、人差し指で反時計回り」


「正解です。では、私の使い魔はどこで何をしていますか?」


「…部屋の隅、左から二番目の棚、そこの一段目に腰掛けて足をぶらつかせてる」


「では、その隣にあるものは?」


「精霊の正面から見て左に薬草の浸けられた瓶が三、右に応急箱とおぼしき箱、その上にロイ先生が二日前に探してた封筒が乗ってるよ」


「おや、そんなところにありましたか」



 ずっと探していたんですよねぇ、と呑気に呟いて、あたしの目から手を離した。

 あたしが目を開くと、ロイ先生はちょうどあたしがさっき答えた棚の前にいて、応急箱の方に腕を伸ばしていた。

 その指先には、あたしが見た通りの封筒がつままれていた。くるりと振り返ったロイ先生は、少し機嫌が良さそうだった。



「いやぁ、これを無くすと少し面倒だったんですよ。ありがとうミヨちゃん、これで局長に怒られずに済みます」


「そんな大事なものはもっと分かりやすいところに置いとくべきなんじゃないの」


「…あはは……ごもっともです」



 まさに図星で、ロイ先生は困ったように頬を掻いた。


 教団医務班の責任者のはずなんだけど、ロイ先生は何というかほわほわしてるというか、若干抜けて天然が入ってるというか。

 まぁ、そんな天然というか優しいところと柔和な顔立ちから、医務班ではけっこう人気らしいし……………女性に。

 本人は至って無自覚という天然タラシを発動してたりもするんだけど。

 ……良い人では、あるんだよな、確実に。これでも三十過ぎてるんだからなぁ先生。



 そう言えば、昔はロイ先生が女性医務官から貰って食べ切れなかったお菓子をお裾分けされたりしてたっけな、とどうでも良いことを思い出している横で、ロイ先生が薬品棚を何かゴソゴソとあさっているみたいだった。



「ああ、あったあった、これだ」



 と言ってロイ先生が取り出したのは、何やら液体が入っているとおぼしき茶色の小瓶。

 机の方へと戻ってくると、その小瓶をあたしに渡してきた。



「はい、ミヨちゃん」


「………いや、何これ」


「私が調合した滋養薬ですよ。少しでも疲れを取って、今日はもう休んでください。それはよく効くので必ず寝る前にそのまま飲んでくださいね」



 にっこりと優しく微笑みながら、ふと目の前で少し屈むと、いきなりあたしの頭をポンポンと撫でてきた。

 びっくりして目を丸くしたけど、すぐにむすっと目の前の先生のことを睨み付けた。



「ちょっと、いくつだと思ってんだ。子ども扱いするなよ」


「……ミヨちゃん」


「な、何」


「…無理をするのは良くないからね。自分のことを……よく、労ってあげてください」



 何かを言おうとしたけど、あたしは口をつぐんだ。

 ロイ先生が複雑そうに、悲しそうにあたしのことを見ていたから。


 ……どうしてそんな顔をするんだろう。

 ロイ先生からしたらあたしはただの一患者じゃないか。先生が悲しくなる必要はない。

 ましてや、あたしは…………




 奥歯を噛みしめ、撫でている先生の手をやんわりと振り払った。口の中でぼそぼそとお礼のようなものを言って、ルトに持たせていた眼鏡を掛け直しながら早々に部屋を立ち去ろうとした。


 入り口の布を潜ろうとしたところで、「ミヨちゃん」とロイ先生に呼び止められた。



「…いつでもここに来ていいんだよ。また昔のように、私がお勉強を教えますから」



 リージェも君と遊びたがっていますから、とポツリと一言溢しかけた。


 ………優しいな、ロイ先生は。

 本当に優しい人だ。けど……あたしがいつまでもそれに甘えていられないのは、ロイ先生だってよく分かってるはずだ。

 あたしはもう無知な子どもじゃないんだから。



 口元に少し歪な弧が描かれる。背中を向けているから、先生にはきっと見えていないだろう。

 入り口で立ち止まったあたしは、振り返らずに背中越しに言い放った。



「……助手の人がいないからって、あたしにそんな言葉をかけるのも、頭を撫でるのも、今のあんたの立場からはするべきじゃないよ、ロイ先生」



 あたしの「主治医」をしているために、先生に少なからず良くない評判が立っているのを、あたしが知らないとでも思ったのか。


 "視界"の中で、ロイ先生が目を見開いた。何かを言いかけたけど、それを聞く前にあたしは深い青の布を潜り抜けた。

 その足取りは、どこか逃げるようにも見えたのかもしれない。




***



 足早に自分の部屋まで戻ってきて、鍵をかける。

 ルトを抱き抱えたまま、ボスンとベッドに横になった。知らず知らずのうちに、深く息を吐き出してしまう。


 と、ルトがペシペシとあたしの腕を叩いてきた。



「おいミヨ、シャワーも浴びず寝るつもりか。お前任務終わりだろうが」


「……メンドくさい」


「怠惰をはっきり示すんじゃない。そのまま抱き枕にされて寝られるのは嫌だからな」



 さっきよりも強めにべしべしと抗議をされて、仕方なしに起き上がる。

 ふと、さっき先生から貰ったあの茶色の小瓶を取り出してみた。ぼんやりと眺めるそれには、真ん中よりも少し上くらいにまで液体が入っている。

 小瓶の色が茶色いためか、中身の色までは確認できない。



「……ねぇ、ルト」


「何だ」


「…ロイ先生って、優しすぎるよなぁ」



 呼び掛けておきながらあたしは独り言のように呟く。ルトは、少し押し黙ったけど、小さく溜め息を溢して頬に当たる部分を掻くような仕草をしてみせた。



「…お前はもっと人の厚意に甘えてもいいと思うぞ」



 相手を気遣って与えられる厚意を突っぱねるのは、単なる見栄だ。


 心なしか説教染みた響きの混じるその言葉に、は、と小さく声が漏れた。自分で出しておきながら、自嘲するような響きを隠そうともしない。



「…ロイ先生に迷惑は掛けたくない」


「ふん、んなもん傲慢な綺麗事だ。他人に迷惑を掛けねぇやつなんてこの世に存在しねーよ」



 それはそうだけど…と反論しそうになったら「駄々捏ねてないでさっさとシャワー浴びて貰った薬飲んで寝ろ」とピシャリと叱られてしまった。


 …駄々を捏ねてるつもりはないんだけどな。

 いや、自分が子どもみたいな意地を張っているのは分かっている。

 ただ……あたしのせいで余計なやっかみを受けてしまっているのが、心苦しいだけだ。

 昔からお世話になっていて、お互いのことをよく知っているからこそ尚更申し訳なくなる。


 まぁ、あたしが変にうだうだと考えていても今更そんなこと考えてどうするんだ、ってことなんだろうけど、さ。



 そして、またあたしが駄々を捏ねると思っているのか、ルトにじとっと睨まれている空気を感じ取って、ひとまず考えるのはやめにした。

 部屋に備え付けのシャワールームへそそくさと駆け込み、服を脱ぎ捨てた。蛇口をひねって出てきたお湯は、少し温くは感じたけど、うだうだ考えていたことが少しだけ流されたように思えた。




 頭から浴び続けていたシャワーを止めて、体に付いた水滴を乾いたバスタオルで拭う。部屋着を着て戻ると、さっきと変わらずルトがベッドの上にちょこんと座っていた。


 …………が、あたしの姿を見た途端に不機嫌そうな声を浴びせてきた。



「……お前な」


「え、今度は何?」


「ちゃんと着替えてから部屋には戻れって何回言えば分かるんだ」


「いや着替えてるし」


「上もちゃんと着ろっつってんだよ。自分の年齢考えろ」



 プイッと顔を背けて、何やらぼそぼそと文句を言っているみたいだったけど、あたしには聞き取れなかった。


 何だよ、昔からこうやってるし、いつものことじゃんか。てか年齢考えろってあたしまだ十六なんですけど。

 …何だか、最近ルトのこういう小言が多くなったなぁ。お前はあたしのお母さんかよ。



 内心愚痴は溢したけど、言い返したら余計に不機嫌になるだろうから、また何か小言を言われる前にシャツをクローゼットから引っ張り出して軽く羽織った。


 ベッドに歩み寄ってそっぽを向いたままのルトを抱き上げる。腰掛けながら、机に置いておいたあの小瓶へと手を伸ばした。

 ロイ先生は、寝る前にそのまま飲めって言ってたから、ほんとにこのまま飲んでいいんだよな。


 蓋を開けるとツンと薬草を混ぜ込んだ独特な臭いがわずかに鼻を突く。量は少ないから、躊躇わずそれを一気にあおった。



 …………けど、一気に飲んで若干後悔した。



「…………にっが………なにこれ、まず………」



 想像以上に、ダイレクトに薬草そのままの味だった。

 …ロイ先生の薬草を煎じた薬はよく効くのは知ってるけど……これ、一体何を入れたらこんな味になるんだ。もっと飲みやすいように改良するべきなんじゃないのか。


 口を押さえて苦味の後にきた何とも言えない後味と無言で戦っているあたしに、ルトがぼそっと「良薬は口に苦し」と呟いていた。




 先生は滋養薬って言ってたから、何かしらの栄養とか…何か体に良いものはあるんだろうけど、そう言えばどんな効果があるとかは全然聞いてなかった。

 説明せずに渡す医者がいるかよ……と眉間にシワを寄せていたら、"視界"が薄ぼんやりと暗くなり始めた。

 心なしか瞼が重い。


 …なるほど、睡眠効果がある、ってことか。

 あたしの眠りが浅くて……最近よく寝れていないって見破ってたし、それを踏まえてロイ先生はこの小瓶を渡してきたんだろうか。

 そうこう考えている間にも、"視界"は段々と暗くなって、思考がのろまに停滞してきた。



 こんなに眠気を感じるのも久しぶりだ。




 灯っていた蝋燭を吹き消し、窓のない部屋は光の指さない暗闇に覆われた。

 そのままベッドに倒れ付して、片手探りで毛布を引っ張りそれにくるまる。驚くほど全身が怠くて、睡眠を欲していた。

 腕に抱えるルトをぎゅっと抱き締めると、少し窮屈だったのか腕の中で身じろぎをしているのを感じる。



 "視界"が、ほとんど真っ暗になっていた。



 ──昔はこの暗闇が、何よりも恐ろしかったな。

 何も見えなくて、不安で、取り残されたように寂しくて、酷く寒かったから。


 今は違う。ちゃんと腕の中に『家族』がいてくれるから。



 ……薄れ行く意識の中で、頬に何かが当たる感触があった。それがルトの腕だと気付くのに、鈍っていく頭ではすぐにはそうと認識出来なかった。



「…………ると……」


「そんなにきつく抱えなくても、俺はどこにも行かねーよ。安心してゆっくり寝ろ」


「……うん…」


「おやすみ、ミヨ」



 おやすみ、と声に出すことは出来なかった。

 喉を震わせるより先に、"視界"が完全な暗闇に閉ざされた。



 緩やかに堕ちていく意識の中で、すぐ側に、腕の中にあるぬいぐるみの存在を強く感じながら、穏やかに呑み込もうとする安寧の波に身を任せた。





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