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夜狐  作者: おっさん
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生まれ変わる狐

 



 年が明けると江戸の町は、年の瀬の風雪混じりの荒れた天気とは打って変わり、晴天で穏やかな元日の朝を迎えていた。

 江戸でも一、二を競う廻船問屋 池田屋では、修行の為に上方の廻船問屋へ奉公に上がってる跡取り息子の宗一郎と、品川町の呉服屋に嫁いだ長女のお絹が、辰之助、お千代の二人の子を連れて里帰りしており、賑やかな正月を迎えていた。母屋の奥座敷には御節(おせち)(ぜん)が並び、久しぶりに揃った池田屋の親族の席に佐吉も加わっていた。




「佐吉さん、それはどういう事だい? 小春に何か問題でも有ると言うのかい?」


 池田屋の大旦那 勘兵衛は、語気を荒らげて佐吉を問い(ただ)した。


「いえ、決してそのような……ただ、手前などにはあまりにも過ぎた話かと……」


 やっとの事でこれだけを言葉にすると、佐吉は下を向き黙り込んでしまった。

 小春も顔を真っ赤にして(うつむ)き、触れれば今にもぽろぽろと泣き出してしまいそうな有り様だった。

 そんな二人の様子に、御内儀(おないぎ)のお菊は小さく溜息(ためいき)をつき口を開いた。


「お前さん、落ち着いて下さいな。佐吉さんは小春のことを嫌いだなんて、一言だって言っちゃいませんよ。物事には順序という物があるのに、いきなり婚礼だなんて先走るからこんな事になっちまうんですよ。全く男って生き物は、どうしてこうもせっかちに出来ているんだろうね。春になれば必ず梅の(つぼみ)(ほころ)ぶように、男女の仲も時期が来れば落ち着く先に落ち着くものなのさ。佐吉さん、済まなかったねぇ。只、ちょいと気になっている事があるんだけど……去年の暮れ頃から少し様子が変に思えたけど、何かあるんじゃないのかい?」


「いえ、特には……」


「そうかい? 此処のところ、こっちの店にちっとも顔を出さないし、小春の話だと奥に(こも)って居ることが多いそうだけど。もし、何か悩み事を抱えているんだったら、力になるから話しておくれでないかい?」


 お菊は伊達(だて)酔狂(すいきょう)で大店の御内儀を張っている訳ではない。日頃から周りの人々をよく観ていて気配りを欠かさなかった。


「まあ、まあ、まあ、佐吉さんは仕事が出来る上に、これだけの色男なんだから、世間の若い娘達が放って置く訳がないって事さね。男なら人には言えない秘密の一つや二つ在って当然、" 言わぬが花、聞かぬが仏 " てね」


 長男の宗一郎が訳知り顔で話に割って入り、ニヤリと笑った。


「お前は黙っておいで! 話しをややこしくするんじゃないよっ!」


 母親のお菊にぴしゃりと叱られ、妹の小春にもキッと睨まれた。


「おお、怖っ」宗一郎は首を縮め、ぺろっと舌を出した。


「そうそう、皆聞いとくれよ。実はね、上方から持ち帰った大層珍しい品が帳場にあるんだけど、この機会に披露したいんで、ちょいと箸を休めて来てくれるかい?」


 この突然とも思える申し出は、剣呑(けんのん)な空気を和らげようとの宗一郎なりの気配りであった。皆も宗一郎の意図に乗り立ち上がると、わらわら帳場へ向かった。




 帳場の隅には大きな荷物が置かれていた。被せられている麻布を取り外すと、中からは鈍く黒光りする船箪笥(ふなだんす)が姿を現した。


「この船箪笥はね、南蛮渡来の大層珍しい品なんだよ。お江戸では夜狐という盗賊が商家を荒し回っていて、まだ捕まっていないそうだね。以前うちの蔵に忍び込んだ盗賊も夜狐だったとか。でもこの船箪笥は絶対破られないね。なにせ、今までの和錠とは全く造りが異なる上に頑丈だからね」

 

 宗一郎は得意げに、南蛮渡来の船箪笥の説明を始めた。普通ならば(けやき)(とちのき)で作られるが、この船箪笥は黒鋼(くろはがね)で造られていた。

 高さは五尺もあり、大人でも身を屈めれば入れるほどの広さがあった。分厚い扉には、これまでに見た事もない錠前が埋め込まれていた。

 宗一郎は数字の刻まれた丸いギボシのような突起物を右左に回して、錠の仕組みを傍に居た佐吉に熱心に語って聞かせた。

 佐吉は感心しながらも、さほど理解している風でもなく、相槌を打ちながら宗一郎の話を聞いていた。

 大人達の長い話に飽いた辰之助とお千代は、大きな船箪笥の中に入ったりして遊び始めていた。


「邪魔するよ」


 声のした方を見遣ると、岡っ引きの黒田が元日のめでたい場にはそぐわぬ(きび)しい顔つきで、店の入口に立っていた。


「これは黒田の親分さん、新年おめでとうございます。近頃はすっかりお見限りでございましたが、ついに夜狐でも現れましたか?」


 勘兵衛はにこやかに黒田を店内に招き入れ、座布団を勧めた。


「今日は佐吉に用があってね」


 黒田はぶっきらぼうにそう言い放つと、佐吉に鋭い目を向けた。

 佐吉は唇を噛みしめ、ついに来るべき時が来たと覚悟を決めた。


「佐吉さんに? それは珍しい、何でまた……」


「あっ! お千代!」


 小春の姉お絹の叫び声に、帳場にいた者たちが一斉に振り返った。


「どうした?」


「お千代が、中に!」


 お絹は真っ青な顔で、船箪笥の扉を開けようとしていた。船箪笥の傍らでは、辰之助が呆然と立ち尽くしていた。

 どうやら、子供二人で船箪笥に入って遊んでいるうちに、お千代を中に入れたまま扉を閉じてしまったようだ。


「どきなさい!」


 宗一郎はお絹を押しのけると、取手に手をかけ開けようとしたが、扉はびくともしなかった。


「早く開けて! 早く!」


「分かっている! 開かない! ああ、南無三……鍵と数字合せの覚書(おぼえがき)を中に入れたままだ」


「お千代! お千代! お千代!」


 お絹は気が狂れたかのように、両拳で船箪笥を叩き泣き叫んだ。


「お絹、静かにおし!」


 勘兵衛が船箪笥に耳をあてると、お千代の泣き声が微かに聞こえてきた。


「信八郎、よ組の頭取(とうどり)の所へ行って、火消し人足と船箪笥を壊せそうな道具を借りてきておくれ!」


「へぃ!」


 手代の信八郎は裸足のまま、弾かれたように表通りへ駆け出して行った。

 他の者達は近所の大工の棟梁(とうりょう)から借り受けた、金槌、のみ、手斧で扉を壊そうと試みたが、黒鋼で出来ている船箪笥には、全く歯が立たなかった。

 勘兵衛が再び船箪笥に耳を当てると、お千代の泣き声が聞こえなくなっていた。


「まずいな……信八郎が首尾良く事を運んでいたとしても、戻って来るまでには半時は掛かるか」


 勘兵衛の顔に、焦りと苦悩の色が浮かんだ。


「お千代が、お千代が死んでしまう。ううう、誰か助けて……」


 お絹はその場に立っている事が出来なくなり、母親のお菊の膝に泣き崩れた。


「佐吉さん、お千代ちゃんを助けて!」


 小春は自分の愛する人ならば、必ず何とか出来るという確信に満ちた目で、佐吉を真っ直ぐに見つめた。

 これまで事の成り行きを、人垣の後ろから厳しい顔つきで見詰めていた佐吉だったが、小春に向き直ると優しく微笑んだ。


「小春さん、髪に付けているその(かんざし)を貸して下さいますか」


「えっ、簪?」


 小春は戸惑いながらも、髪に刺していた銀製の葵簪(あおいかんざし)を外し佐吉に手渡した。佐吉は簪を受け取ると、人垣を掻き分け船箪笥の前に出た。


「皆さん、下がってもらえますか」


「佐吉さん、いったい何をする気だい?」


 勘兵衛が(いぶか)しげに尋ねると、佐吉は微笑んで「すぐに終わります」 とだけ答えた。


 船箪笥の前で(ひざまず)き小春から受け取った簪を口に銜えると、佐吉の顔からは穏やかな笑が消え、細く鋭い夜狐の目へと変わった。

 黒鋼のひんやりとした扉に耳を当て、佐吉は指先の感覚と音に全ての意識を集中し、丸いギボシ状の突起物を右左にカラカラと回し始めた。

 皆が固唾(かたず)を飲んで見守る中、佐吉の白く長い指が小刻みに動き続けた。

 水を打ったように静まり返った帳場に「カチッ」と小さいが鋭い音が響いた。

 佐吉は口に銜えていた簪を手に持ち替えると、鍵穴に差し込み慎重に内部を探った。

 簪の先端を鍵穴を使って曲げ、鍵穴に差し込み捻るという動作を何度か繰り返すと、佐吉の手の動きがぴたりと止まった。

 簪を握った右手はそのままに、左手で扉の取っ手をゆっくりと引くと、船箪笥の重く分厚い扉があっさりと音も無く開いた。


「おお-っ!」


 帳場に歓喜の声が沸き上がった。


「お千代! 水だっ! 誰か水を持ってきておくれ!」


 お千代はぐったりとしていたが意識はあり、抱きかかえる勘兵衛の腕から母親の姿を見つけると、泣きながら小さな手を伸ばした。

 小春もお千代の元へ駆け寄り、袖で涙を拭きながら家族皆と無事を喜んだ。

 佐吉は喜びに沸く人々にそっと背を向けると、少し離れた所で腕を組んで立っていた岡っ引きの黒田の元に歩み寄り、両腕を前に出した。


「黒田の親分、行きましょうか」


「行くって、何処へだい?」


「出来れば、池田屋の皆さんに気付かれないよう番所へ……」


「番所だあ? 何でだい? 佐吉、まさかこの状況でこっそり帰るつもりじゃねえだろうな? おいおい、遠慮深いにも程があるぜ。池田屋が孫娘の命の恩人に何のお礼もせず帰すと思うかい? そんな事をしたら日本橋で代々暖簾を守ってきた大店(おおたな)の名折れってぇもんだよ。まあ、大店の面子がどうのとか関係無く、池田屋はおめぇさんを心から歓待するだろうけどよ。ほら、小春ちゃんがこっちを見てるぜ、早く傍に行ってあげな」


 小春は薄紅色に頬を上気させ、誇らしげに佐吉を見つめていた。


「でも親分、あっしは……」


「でもも、へちまもねぇよ! 俺は忙しいから、もう行くぜ。佐吉、小春ちゃんと王子のおっかさんを大切にしなよ」


 黒田は佐吉の背中をぽんと軽く叩くと、暖簾を勢いよく跳ね上げ表へと出て行った。




 お天道様は西に大きく傾き、江戸の町を茜色に染め始めていたが、両国広小路は初詣や年始の御挨拶回りから帰る華やかな装いの人々で込み合っていた。

 芸者の置屋(おきや)からは三味線の音がゆるく響き、小料理屋や旅籠の行灯(あんどん)にぽつぽつと火が灯され始めていた。

 人混みに押され流されるように両国橋の袂まで来ると、隅田川を渡る冷たい空っ風に黒田は思わず身震いをした。

 鼻をすすり襟を正すと、懐に仕舞っていた人相書に指先が触れた。

 取り出して眺めると、歌舞伎役者のような端正な顔立ちに、細く鋭い目の若い男が描かれていた。


「よく描かれていやがる……生き写しだな」


 黒田はその人相書で鼻をかむと、くしゃくしゃと丸め隅田川にポイと投げ捨てた。


「追い詰めはしたものの 芝居のようには行かなんだぁ 情にほだされ 掴んだ尻尾を手放したぁ 両国橋より身を投げるは 丸めた花紙ちんとんしゃん……」


 黒田は戯言(ざれごと)を小唄のように呟きながら、背中を丸め両国橋を渡って行った。 




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