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夜狐  作者: おっさん
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芝居見物する狐

 



 天保十二年、老中水野忠邦が推し進めた "天保の改革" は、江戸町民には最も評判の悪い改革であった。

なぜなら江戸町民のささやかな楽しみであった寄席や歌舞伎、人情本や絵草紙、果ては雛人形や菓子に至るまで、質素倹約、奢侈禁止(しゃしきんし)を強要し、衣食住の全てにおいて微に入り細を穿(うが)つ生活の統制を行ったからである。

この“天保の改革" の風俗取締りの名目により、これまで堺町に(やぐら)を上げていた歌舞伎の芝居小屋は全て、町外れの寂れた浅草猿若町に移転させられた。

しかし、浅草寺参詣の人々も芝居見物に足を運ぶようになった結果、歌舞伎はかつてない程の盛況をみせるようになり、浅草界隈は江戸随一の娯楽の場へと発展した。



 歌舞伎の芝居小屋やお茶屋の建ち並ぶ浅草猿若町は、一丁目は中村座、二丁目は市村座、そして三丁目は守田座が櫓を上げていた。それぞれが趣向を凝らした演目で客足を競い合っていた。

 特に市村座は、昨今江戸の町を騒がせている盗賊夜狐を題材にした芝居で、連日立ち見客が出る程の人気を博していた。芝居の内容は、夜狐と同郷で幼馴染みの町娘との悲恋物語であった。

 盗んだ金子を独り占めにしようと企んだ盗賊仲間の裏切りで、町方に追われる羽目になった夜狐。隠れ家を次々と暴かれ、追い詰められて逃げ場を失った夜狐と町娘は、御用提灯に囲まれる中、赤い腰紐で互いの手と手をしっかり結び、来世で添い遂げようと誓うと両国橋より身を投げて果てるという話だった。



 万雷の拍手と大向うの掛け声が響く中幕は引かれ、桟敷席では小春が泣きはらした目を袖で押さえつつ、鼻をぐすぐすとさせていた。


「いいお芝居だったわね、佐吉さん。 ああ、本物の夜狐もこんなにいい男なのかしら。だったら一目会ってみたいわ」


「本物の夜狐がいい男かどうかは知りませんが、こんな間抜けではないと思いますよ」


「え、間抜け?」


「へぇ、この男は救いようのない大間抜けです。あの様に盗みに入った先々で、人前に顔を晒して大見得を切っていたら、面が割れて直ぐに捕まってしまいます。それに、足手まといな女など連れていたら、両手両足を紐で縛られているようなもの、逃げ切れる訳がありません。縛られると言えば、橋から飛び降りて逃げるのに、何で女と手を紐で縛り合ったのか……そんな事をしたら泳ぎの達者な手前でも溺れ死んでしまいます」


「佐吉さん、それ冗談で言っているのよね?」


「冗談? 何故です? ああ、それと千両箱を盗む盗賊などいませんよ。本物の千両箱は重すぎて担げないですし、上手く盗めたとしても両替するときに足がついてしまいます。それに……」


「佐吉さん、もうやめて! 折角のいいお芝居が台無しよ! ああ、佐吉さんがどんな人か何となく分かったような気がするわ」


「お嬢様、手前は何か不作法な事を申したでしょうか?」佐吉は怪訝な顔をして、小春に問うた。


「ぷっ、もう佐吉さん、可笑しすぎ! ふっふっふっ、黙っていれば、すれ違う女が皆振り返る程いい男なのに」


 笑い過ぎてお腹が痛いと文句を言いながら、小春は膝に乗せていた十六菊文様の巾着袋の中から紙入れを取り出し涙を拭いた。


 小春の巾着袋に結び付けられている、小さな根付けのような物を見て佐吉は驚いた。


 梅の花に鶯の見事な彫刻。それは佐吉が蔵に盗みに入った時に、どうしても開ける事の出来なかった小さな鍵だった。


「お嬢様、その巾着袋に付いているのは……」


「ああ、これ? うちの蔵の扉に付いていたからくり錠だけど、可愛いから貰っちゃった。これがどうかしたの?」


「いえ、珍しい錠前だなと思いまして」


「これはね、おとっつぁんの知り合いの鍵師が、御遊びで作ったからくり錠なの。見てて、開けるのに鍵はいらないのよ。ここを引っ張るでしょ……そしてここを捻ると……ここが開いて……もう一度捻ると……ほら、外れた」


 佐吉は手渡されたからくり錠を暫し呆然と見つめていたが、やがて「はっはっはっ」と、心底可笑しそうに笑い出した。


「佐吉さんて、本当に変な人」小春もつられて笑い出した。




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