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夜狐  作者: おっさん
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戸惑う狐

 



 天正八年、徳川家康が豊臣秀吉より関八州(かんはっしゅう)を与えられ江戸に入府した当時、この地は川や沼が深く入り組み「空より広き 武蔵野の原」と歌われた程、(あし)が深々と生い茂る原野が広がる寂れた土地だった。また当時の江戸は桜田、日比谷辺りまで海が入り込み、日比谷入江と呼ばれていた。

 慶長八年、右大臣征夷大将軍に任ぜられた家康は、全国に大号令を発し、大規模な江戸城下町の普請(ふしん)を開始した。 各地から集められた膨大な数の役夫を使い神田山を切り崩すと、その土砂で日比谷入江を埋め立て、そこに次々と町家を造っていった。

 埋め立てと同時に江戸城を中心とした水路を環状に張り巡らす事により、船での物資の運搬を容易にした。上方より菱垣廻船(ひがきかいせん)樽廻船(たるかいせん)で運ばれてきた、油、醤油、砂糖、鰹節、紙、薬種、木綿、酒などの生活物資は、隅田川の永代橋の手前で瀬取り船に積み替えられ、江戸の町に無数に枝分かれした水路を使い運ばれた。こうして江戸の町は、政と商の中心地として発展していった。



 江戸でも一、二を競う廻船問屋(かいせんどんや) 池田屋は、日本橋から十軒店本石町(じっけんだなほんごくちょう)に向かう大通りに店を構えていた。店の裏手にある船着場には瀬取り船が横付けされ、上方より運ばれて来た大量の品々を上半身裸の人足達が体から湯気を上げながら荷揚げしていた。店先には商品を山積みにした荷車が所狭しと並び、手代や仲買人でごった返した店内は喧騒と活気に溢れていた。


「御免なすって、花町の佐吉です。頼まれました小間物をお持ちしました」


 店内の喧騒に負けないよう大きな声で呼び掛けると、大番頭の平蔵が大福帳(だいふくちょう)を片手に帳場から現れた。


「よくおいでだね佐吉さん、さあ中に入っておくれ。今日は旦那様がお前さんに直接会って話しをしたいそうだ」


「旦那様が?……何か粗そうが有りましたでしょうか?」


 出掛けに会った黒田の親分の件もあり、佐吉は警戒しながら大番頭の平蔵に問うた。本来、簪職人(かんざししょくにん)風情(ふぜい)が大店の座敷に呼ばれる等まず無い事で、これまでも商品と代金の受け渡しは帳場で行われるのが常であった。それに応対するのはもっぱら手代さんで、店を一手に預かる大番頭が直々に出て来るとは余程の事と思えた。


「はっはっはっ、佐吉さん、気の回し過ぎだよ。取って喰おうという魂胆はないよ。どちらかと言えば、お前さんにとって良い話が聞けると思うがね。これ定吉、母屋の奥座敷へご案内しておくれ」 


 小僧さんに案内され辿り着いた奥座敷では、活花模様の屏風を背にして、池田屋の大旦那 勘兵衛と御内儀(おないぎ)のお菊、そして末娘の小春が火鉢を囲んで座っていた。

 佐吉は勧められた座布団は使わず、下座側に正座して両手をつき丁寧に挨拶をした。


「佐吉さん、そんなに鯱張(しゃちほこば)らなくてもいいんだよ。我が家のようにとまでは言わないが、楽にしておくれ。今日お前さんに御足労願ったのは、ちょいと相談事があっての事でね。うちはご覧の通りの廻船問屋だけど、どういう訳か末娘の小春が小間物屋を始めたいと言い出したんだよ。私は若い娘らしく、習い事でもしてなさいと言って聞かせたんだけど、頑として譲りやしない。商人の血なのかねぇ……そこで懇意にしている小間物屋の菊屋さんに相談したら、お前さんを紹介されたと言う事の次第なのさ」


「確かに手前は菊屋さんのお世話になっておりますが、それとお嬢様の始められる小間物屋とどう結び付くのでしょうか?」


「早い話が、お前さんに娘の始める小間物屋の手伝いをお願いしたいのさ。うちはこれまで小売りに手を出した事が無いので、小間物に詳しいお前さんに来て欲しいって話しなんだよ」


「旦那様、手前は菊屋さんの手伝いで背負小間物(せおいこまもの)もしておりますが、本来は簪職人でして商家に奉公に上がった事など、これまで一度も御座いません。到底お役に立てるとは思えませんが……」


「いやいや、ここ数箇月、お前さんの働きっぷりを見させてもらったが、なかなかどうして、商人としての才覚はしっかりあるよ。帳面はうちの手代を一人付けるから、追い追い覚えればよろしい。何より人当たりの良さと実直さ、そうしたお前さんの押し出しの良さは小間物屋に打って付けだよ。それから気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど、お前さんの身の回りを少し調べさせてもらったよ。簪職人をしていた父親が、三年前に流行り病で亡くなった事。王子に病気の母親がいて、高値な薬代を稼ぐ為にこっちに出てきた事。菊屋さんはもちろんの事、長屋の差配(さはい)さんや店子さん達にも話を聞いたが、みんな異口同音、お前さんは親孝行の働き者だとべた褒めだった。どうだい一つ、うちで働いてみないかい?」


 (口振りから察するに裏の素性は知られてないみたいだが、よもや盗みに入った商家から奉公に上がる事を打診されようとは……) どうしたものかと、佐吉は戸惑った。


「身に余る有り難いお話ですが、菊屋さんには困っていた時に助けて頂いた恩義があります。菊屋さんから鞍替えした上、商売敵に成るなどと恩を仇で返すような真似は出来ません。申し訳ありませんが、このお話お断りさせて頂きたいと思います」


 佐吉が深々と頭を下げると、御内儀のお菊は吹き出しそうに成るのを堪えながら口を開いた。


「全くお前さんは噂にたがわぬ、馬鹿正直な人だねぇ。うちだって菊屋さんとは長い付き合いだから、不義理な事は出来やしないさ。もちろん菊屋さんには、話を通して快諾を頂いているよ。それに新たに普請するお店には、菊屋さんの商品も並べるから、これは菊屋さんにとっても悪い話ではないって事だよ。そうそう、菊屋さんからも、お前さんの事をくれぐれもよろしくお願いしますと、頭を下げられている次第さ。まあ、今直ぐに返事をしろと言うのも何だから、今日のところは話を持ち帰って、じっくりと考えておくれな」


 これまで大人しく話を聞いていた小春が、しびれを切らして口を挟んできた。


「おとっつぁん、おっかさん、もういいでしょ? 佐吉さん、この後何か約束でもある?」


「いえ、特には……」


「だったら、これから浅草にお芝居を見に行くから、お供をして頂戴」


「これ小春、いきなりよそ様にお供だなどとは失礼だよ」


「だって佐吉さんはうちの手代になるんだから、よそ様じゃないでしょ? それより早く行かないと芝居がはねてしまう」


「まだそうと決まっちゃいないよ、全くしょうがない子だねぇ。佐吉さん、すまないが小春のお守を頼んでもいいかい?」


「へぇ、手前などでよろしければ……」




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