カイセイの中の風景
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「まずは腹ごしらえね」
立て掛けられたイーゼルには大きな黒板があって、何色ものチョークでメニューが賑やかに描かれている。
車から降りたソアラはカイセイを連れてレストランの前にやってきた。カイセイは黙ったまま黒板の前に立っている。
「お子様ランチ……あるわよ?」
ソアラはちらり、視線を投げる。
「いい、そんなの食べたくない」
ぐぅ……
カイセイは少し紅い顔をしてうつむいた。ソアラはニヤニヤしてしまった。
「お腹は素直ね」
料理が来たついでに、ソアラは食後の紅茶を自分用に一つ、カイセイ用にジュースを頼んだ。年配の店主はお皿を並べながら、ソアラを覗き込む。
「やぁ、元気かねソアラ。今日はボーイフレンドと一緒かい」
ソアラは思わず立ち上がる。
「ちーがーうー! ねえマスター、どう見ても不自然よ? こんな年の差って」
ソアラはカイセイを指しながら背筋を伸ばしてみせる。店主は朗らかに笑った。
「どーれ、老いぼれから見ると、そう対して変わらな……」
急にむすっとしたソアラを見て、店主は愛用の帽子を深くかぶり直し、言葉を改めた。
「……それはそうと、今日の味はお気に召されたかな? レディ」
レディ、という言葉にソアラの顔がパァッと輝きだす。
「もちろん! いつでも美味しいわマスター、安心して。私、ビーフシチューにちゃんとギネスを使ってるのも知ってるの。大人の味よね!」
乙女心と秋の空。こうなれば一安心である。店主はさらに念を押して言った。
「そうとも、そうだとも。レディにそう言ってもらえれば、わしもここで店を開いた甲斐があるってもんだな。……うむ」
スプーンを口に運び、ソアラはカイセイを覗き込んだ。
「このシチュー美味しいでしょ? このパブは故郷の味を出してくれる唯一の店なの。夜は演奏やダンスもあって、もっともっと楽しいんだから」
ソアラの向かい側で、カイセイは料理を黙々とたいらげている。
「ねえ、ちゃんとゴハン食べてるの? SSCで出来る作物なんてたかが知れてるけど、成長期なんだからしっかり食べなきゃ」
「……」
カイセイは知らん顔で口についたかすを拭いた。ソアラは眉間にしわを寄せる。
――この子、なんて無愛想なの?!
ソアラはカイセイをちらっと見る。不思議だ。ソアラの視界ならば普通の人間はピンぼけするのに、この子はわりとはっきり見ることができる。……身から放たれる光が弱いから?
ソアラはカイセイの観察を続ける。
全ての光を吸収する、濡れたような黒髪。小さな顔……女の子にだって見えなくもない。
少し切れ長の二重の眼は澄んでいるが、底が見えない湖のように暗い。小さな手は透けるように明るい。血色があまり良くないのだろう。
ソアラの視線を感じたのか、カイセイはおもむろに顔を上げた。
「……あんた」
目が合ったのでソアラは慌てた。
「な、何?」
「大人みたいなことばっか言ってる」
みたい、という箇所にソアラはカチンときた。
「そーーよ。あなたなんかよりずうっっと大人なのよ。……ところで、あなた何才?」
「8 」
「8 ⁉︎ なぁんだ、私と3つしか変わらないのね。やっぱりもっと食べなきゃ……」
テーブルに肘をついて、ソアラから目を逸らすようにカイセイは窓の外を見ている。
「そ・れ・に、あんた、じゃなくて私はソァラス。ソアラでいいわ。ゲール語で光という意味よ。……あなたは? カイセイってどういう意味なの? あなたの故郷の言葉で」
少し間を置いてカイセイは呟いた。
「No clouds in the deep blue……(雲一つない真っ青な空)」
そして何かを思い出したのか、カイセイは固まったように宙を見つめ、黙り込む。
ソアラは心配して、カイセイの肩に軽く触れた。その時だ。ふわりとソアラの目の前に一つの風景が現れた。
…ザザ……
ソアラははっとして辺りを見渡す。なだらかな緑の丘が遠くに見える。頰をなぶる風。濃い、草の匂い。
――この風景、どこかで?
どこまでも続く、青と緑の境界。草の海に浮かぶ白い岩々や、点在するタンポポの群落。
SSCでは決して見られないはずの、無限の広がり。
――そうだ……故郷に似てる。
失われたはずの色彩を、かつての世界を目の前にし、ソアラは戸惑い、立ち尽くした。同時に懐かしく温かい気持ちに浸るように、息を深く吸い込んでいた。
風に混じり、無数の綿毛が飛び交う。どこからか唄も聴こえてくる。懐かしく、優しい調べ。幼い頃に聴いた子守唄のような――
ふと隣を見ると、側にカイセイが立っていた。二人はびっくりして互いを見合った。
「なんで――」
目を丸くして見つめるカイセイに、ソアラも恐る恐る尋ねた。
「一体……ここはどこなの? カイセイ」
「ソアラー!」
ドクターの呼ぶ声に、二人は同時に我に返る。
テーブルにはいつのまにか食後の紅茶が置いてあり、すっかり冷めてしまっていた。ドクターがテーブルまでやってきて言った。
「ソアラ、検診の時間だよ。ジャンもお待ちだ。行ってきなさい」
ソアラは戸惑いながらも紅茶をぐいっと飲み干すと、席を立ち、振り向きざまにカイセイに言った。
「ねえ……あとで教えてね」
パタパタと遠ざかる足音。立ち止まったまま、カイセイはドクターに視線を移す。目が合うと、ドクターはにっと微笑いかけた。
「テイクアウトで何か頼むとしようか」




