13…届かない手紙
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ソアラとカイセイは中庭に座り込むと、ヘルメットを外して大の字で寝っ転がった。芝が頬をくすぐる。
「くったくた……目薬目薬」
ソアラがおっくうそうに上げた手を目指し、ふよふよ近づいてくるもの。半透明の四角い薬箱だ。
表面をゆっくり撫でると、滑らかな表面に切れ目ができ、ふたがすうっと開いた。目薬を取る。
「あなたも何か使う?」
「いい」
隣でカイセイはただぼーっと天を見上げていた。
ソアラは目薬をさしながら、
「んもぅ、染みるぅぅ……シェルターの穴の修復なんて楽じゃないわね。目をこらしてばかりで作業中は目薬もさせないんだもの」
ソアラは目をぎゅっとつぶった。
「昔のピンホール式プラネタリウムを見ているようだったわ。満天の星よ。あぁぁ……残像が」
ソアラは両手で目をふさぎつつ、カイセイに問いかける。
「で、あなたは何の作業だったのよ?」
「ソアラがマークしたのをCFボンドで塞いでく作業。こっちは右手がつってる」
ソアラは涙目でカイセイを見る。
「マッサージしてあげようか?」
「いい」
「なに遠慮してんの、ほら。私、肩もみとか上手いんだから」
「いいってば」
そう言うと、カイセイは逃れるように芝生を転げた。髪に芝が絡んでいる。あーあ、と言ってソアラはうつ伏せになり、手を伸ばす。目立つのを取ってあげた。
「……ほんと、素直じゃないんだから」
カイセイの髪はすっかり元通りになっている。眼の色も。
「良かったわね」
「ん?」
「検査。遺伝子に異常なかったんでしょ?宇宙線を浴びると色素が抜けると言うわ。でも被曝量は問題ないって。…本当に良かった。私みたいにならなくて」
「……どうして?」
ソアラはきょとんとした顔でカイセイを見た。
「どうしてって……こんなヘンテコな力あっても……」
カイセイは目を閉じ、首を振る。
「ほんとに、キレイな世界だった」
頭の中で再現しているのか、ゆったりと溜息をつき、まぶたを開いた。
「今までずっと暗い所にいた気がする。とても静かで何も感じない。……でもソアラが見えない光を教えてくれた。ソアラの力はこれから世の中で役に立つはずだよ。それに、きっと他の人たちにも背景放射の光を伝えていける。僕とリンクしたみたいに」
「あれは……」
言いかけてソアラは首を振った。
――カイセイ、あなたの中の風景を見たからできると思ったの。
あの時、失われたはずの色彩がソアラの前に広がった。
青い空、緑の草原に揺れる小さな花たち。陽だまりの匂い。風の流れを感じた。綿毛が頬をかすめて、くすぐったかった。一瞬だったけれど、カイセイの心に触れられた、気がした。
ソアラは頬杖をつく。
「ねえ、あそこはどこ? この前あなたの中に風景を見たわ。唄も聴こえた。まるで子守唄みたい」
カイセイは、んー……と少し言葉を濁した後、ぽつりと言った。
「よく、分からない」
「分からない?」
ソアラは眉をひそめる。
「森の奥で、気づいたら迷い込んでた。でも森の奥は崖になってて、あんな広い草原なんてあるわけない。もしかしたら昔話に出てくる幻の場所なのかも」
「そんな……私も見えたってことはちゃんとあるのよ。それにあの唄。誰かが歌っていたんでしょう?」
気まずそうにしているカイセイをソアラは不思議そうに見つめる。
「信じられないと思うけど……そこに、その……」
カイセイは蚊の鳴くような声になる。
「喋るたんぽぽたちがいて……」
天使が通ったみたいな沈黙の後、ソアラは吹き出した。
「あははは」
カイセイは顔を真っ赤にして違う方を向いている。
「まるでお伽話じゃない〜」
「だから前置きしたのに……」
いたたまれないようにカイセイがうずくまる。ソアラはカイセイの肩に手で触れる。
「ねぇ、ごめんてば〜。だってあなたからそんな言葉聞くと思わなかったんだもの。ギャップがね〜ぅふふふ……っぐ!」
箸が転がってもおかしい年頃。笑いが再燃した…と思ったら、むせた。
「笑い過ぎ……」
ソアラは咳込みながら目をこする。
「まあ、あなたが嘘つくとは思えないし?」
ソアラはふふっと笑う。
「いいわ、信じてあげる」
ひと段落して、ソアラはカイセイに近づくと、そっと打ち明けた。
「実はね、私も小さい頃、妖精を見たことがあるんだ」
「……え?」
「内緒よ。誰にも言ってないの。私の故郷はね、妖精の出没地帯なの。いいでしょ」
ソアラはにっこり笑う。カイセイはソアラの長いまつ毛がぱさぱさ動くのを、つい目で追った。
「ねえ、私たちと来ない? 故郷のエールへ。……その…あなたさえ、良ければ」
カイセイはソアラをじっと見つめた。その優しい言葉が、ソアラの美しい琥珀色の眼が、カイセイを囚えて離さない。
やがてカイセイは目を閉じて、首を振った。
「一度チクラに戻るよ。父さんの研究資料も整理しなくちゃいけない。それに……」
くすりとソアラは笑う。カイセイの言わんとしていることが分かったからだ。
「彼らは首を長くして、あなたを待ってるんでしょうね」
ソアラはカイセイの手を取った。
「もしそれでも……居場所がないと感じたら、いつでも報せて。その時は…一緒に暮らしましょう?」
ソアラはウィンクをする。カイセイは目を丸くした。
「……ありがとう」
そして、はにかむように笑った。
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その笑顔を今でも忘れることはない。
その後、ソアラとカイセイ、ドクターの三人は定期船に乗ってSSCを離れ、無事地球に降り立った。経由地である都市、Ygg-2に到着し、背中合わせに別れた。ソアラとドクターはさらに西のYgg-1、カイセイは東のYgg-7を経由し、それぞれの故郷に向かった。
それから、少し経ってチクラと交信ができないことをソアラは知った。
古典的な方法ではあるけれど、手紙を考えた。都市以外の地域に対する郵便システムはまだ生きていたから。でも肝心な住所が分からない。カイセイの故郷、チクラは地図に載ってない幻の土地だったのだ。
あれから数年――夜、暗い部屋で一人、電灯よりは目に優しいアルコールランプの灯で、上質紙に羽根ペンを滑らせる。どれもドクターがソアラに譲ってくれた大切なものだ。
届かない手紙を綴っていたら、いつの間にか日記代わりになってしまった。
――カイセイ……今頃どうしてる?
空が繋がっていた時代は、きっと相手も同じ空を眺めていると信じられただろう。けれど、この分断された世界では、そう思いを馳せることも叶わない。
ソアラはそっと目を閉じ、改めて誓う。
――いつかきっと、チクラに…あなたに逢いにいくから。
一緒に過ごした日々は、星の瞬きほどの時間。遠ざかるほど、鮮明に輝くのはなぜなのか。宇宙は広がっていく。星と星はどんどん離れてゆく。
地上から見ると凝縮されている星たちは、その距離が本当はとても離れている。孤独な光達。でも、カイセイと見た時は全て同じ夜空に遊んでいるように見えた。
手に確かな温もりを感じながら、距離も時間も越えて二人は同じ景色を見ていた。
――あの風景を、まだ幼かった私は〝星の箱庭〟と呼んだのだ。
✳︎ deireadh.✳︎




