8…故郷の子守唄
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肌寒い夜。ソアラとカイセイは中庭の芝の上で、星の飛来を待っている。
「来ないな」
「 ……うん」
「……?」
いつもと違っておとなしいソアラを少し気にしつつ、カイセイは再び空を見つめた。……と、その時。
「くしゅん!」
ソアラが思わず身震いする。カイセイはそっけなくブランケットを差し出した。
「ありがと……用意がいいのね」
「よくここで星見るから」
すくっと立って行こうとするカイセイの手を、ソアラはぎゅっと掴んだ。
「一人じゃなかなか温まらないわ。……協力して」
一つのブランケットに包まる二人。一人分のスペースを開けて。
「ちょっと、これじゃイミないわよ。もうちょっとこっち来て」
「やだ」
カイセイはきっぱり言うと、ブランケットの端に隠れた。ソアラは溜息をつく。
「ふぅん、レディが側にいるのにエスコートも出来ないんだ」
少しして、カイセイはしぶしぶ距離を縮める。当のソアラは星を見るため専用のレンズに付け替えている。
「それ……」
「ああ、これは余計なマイクロ波をカットしてくれるの。SSC内でさえ飛び交ってるのに、宇宙からの背景放射まで見えちゃったら星の光が分からなくなっちゃう」
そう言って、ソアラが上向きで瞬きをしていた時。
「あっ!」
その声に、カイセイもすぐに見上げ、呟いた。
「来た……」
一筋、また一筋。追いかけるように夜空を流れ落ちる、刹那のきらめき。二人は息をひそめて見守る。やがて至る所から無数の光が弧を描き出す。
ソアラは無意識に歌いだしていた。
※
Mo ghrá thú--, den-- chéad fhéachaint, Eileanóir--- a Rúin
Is-- ort a bhím ag-- smaoineadh, tráth a mbí--m i-- mo shuan.
A-- ghrá-- den-- tsaol, 's a chéad-- searc, 's tú is deise ná-- ban Éi--reann.
A bhruinnilín deas óg, is tu is deise milse póig
Chuns a mhairfead beo beidh gean 'am ort
Mar is deas ma--r-- a- sheo--lfainn gamhnaí-- leat, Eileanóir--- a Rúin.
……
しんと静まり返った空間に響く、澄んだ歌声。星が流れ消えていく様が、ソアラの中でハープの調べに変わる。昔から伝わる故郷の子守唄だ。
歌い終えてふぅっと一息ついた。
「すごいね…こんなに一気に見たの初め――」
横を向いたとたん、ソアラは言葉を失った。星が流れるように一筋、カイセイの目から涙が伝った。後から後から途切れなく。
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『あれがシリウス、プロキオン、ベテルギュース……』
振り返れば、いつも父の日溜まりのような笑顔があった。
『空の子は詳しいね。将来は天文学者にでもなるつもりかい?』
風とともに流れてくる、懐かしい声。
あの事故以来、涙は一滴も出なかったのに。今とめどなく溢れるのだ。優しい思い出と共に。それが一層、胸の深くまで染みて、苦しくて……カイセイはうずくまった。
――なんで……僕を置いていったの?
もやが晴れるように、ソアラは突然カイセイの心を垣間見た。
ソアラはがく然とする。なにも無かった。
深い深い、無。
それとも……?
星の光は消え、滑らかな闇が辺りを包み込む。何も聞こえない。何も見えない。
――寒い。
ソアラは両手で体を抱える。
――寒いわ、とても。
気が遠くなりそうになって、ソアラは唇を噛んだ。痛みが意識を混沌から引き揚げる。
カイセイじゃない。
これは想像なのだ。
この果てしない宇宙で、さまよっているのは、行方不明になったイクオ博士だ。
失われた記憶と自分だけ生きているという罪悪感が、カイセイにこの悪夢を見せている。
カイセイは全てを、その小さな心の奥に奥に隠して震えていた、ずっと……
ソアラは傍らに感じていた気配に、そっと手を置く。闇が次第に薄まっていく。うずくまる小さな体。
ふり絞るように微かな声で、カイセイは言った。
「いつも父さんは遠くを見てた…あの時も…きっと遠くにいる母さんを。僕は父さんを地上に引き止め…られなかった……」
ソアラの手にカイセイの震えが伝わってくる。
あの時引き裂かれたカイセイの心を冷やし、包むのは闇なのだ。全ての光を飲み込む、冷たく静かな世界。
ソアラは目を閉じた。
緑に埋もれた石積みの家、陽気な音楽、たくさんの人の笑い声、家族の笑顔、どんどん遠くなる 。
――私にはドクターがいた。でもこの子には?
そっとカイセイの手を包み、ソアラは意識を集中させた。
――光を。……一瞬でもいい、この子に闇を照らす光を。
(※「Eileanóir a Rúin」…いとしのアイリノール
lyrics by Cearbhal Ó Dálaigh )