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君の名は

(願いの珠になった瞬間に、その魔術師は、存在が消える)


 それはつまり、死ぬということ?

 事故や病気で亡くなった人とも違う……遺体すらも残らない? だから存在が消える?

『記憶からも』

 ナナシが言った。

『願いの珠になった魔術師に関する記憶が消える。魔術師に関わった者……全てから。それが代償』

「忘れる?」

 私が、ナナシを。

 この白い面と黒い布の、手袋を破けば穴からダイヤモンドダストをまき散らす、世にも奇妙で物騒な魔術師を、私が。


 全部忘れる?

 

『大丈夫。お前が帰るための少しの時間くらいは、記憶が残る。珠になった瞬間に全て忘れてしまったら、願いを叶えられないから』

「そんな事言ってない!」

 私は怒鳴った。お前を呼んだのは俺だと告解された時でも、これほど激昂はしなかった。

 舐めているのか、この魔術師は。私を。

 二年も一緒に暮らしてきた彼を犠牲にしてまで帰りたいと願うような、そんな血も涙もない人間だと思ったわけか、こいつは……!

「出来る、わけない!」

『そう言うと思った。ユイカなら。だから珠の秘密は教えたくなかった』

「わかっている。話早い。やめたやめた。ナナシの馬鹿! 家に帰る! 私、ナナシ必要。ナナシいないと困る。ナナシ死んで帰るなんて嫌!」

『ユイカは優しいな』

 ナナシは笑った。のっぺらぼうな仮面が、その時、確かに笑顔を作ったのを、私は見た気がした。


 青い、目?


「ナナシ?」

『だけど、俺は償わないと。時間も、未来も、ユイカが大切にしていた色々なものを歪めてしまった。軸は正しく戻さなければならない』

「帰りたくない、言ってるの!」

『ユイカ。俺に罪の意識を持つ必要はない。どうせすぐに全て忘れる』

「そうじゃない……!」

 犠牲とかじゃない。

 私がナナシの側にいたいんだ。

 ナナシと一緒にいたいから、帰りたくない。ただそれだけ。

(鈍いよ、ナナシ! 気付きなよ……!)

 この分からず屋の魔術師の頭を、一発ぶん殴ってやろうと握り拳を固めた。

 一歩前に進み出た時、不意にナナシが黒い布地を広げた。視界を覆い尽くす暗色に怯んだ瞬間に、ナナシの最後の(・・・)言葉が、ひどく遠い所から聞こえてきた。


『もういいんだ。……少し疲れた』


 仮面と、布が、一瞬のうちに地面に落ちた。突然、それを支える何かが消え失せたように。

 重力の法則に従って、布は地を這い、面は転がって天を仰いだ。


 何?

 何が起きた?


「ナナシ?」


 恐る恐る、面を持ち上げる。ちょうど面に隠れる位置に、小さな玉が落ちていた。黒い布地に包まれて、どこまでも青く碧く輝く珠は、まるで(そら)で一際存在を主張する地球のようだと、しばし魅入った。

 願いの珠?

 これが、ナナシの、命の結晶?


「いや……」


 嘘でしょ。

 私、こんな事してくれなんて一言も言ってない。

 ナナシの命を踏み台にして元の世界に帰れって?

 ふざけないでよ。

 ナナシが好きだって、やっと自覚したばかりなのに。

 顔が無くても、体が無くても、ナナシはナナシだって、ようやくわかって。心があれば、触れられなくても、目を合わせることすら出来なくても、それでも構わないと、ただ共に在ることだけを望んで。

 いつものように薬草摘みに付いて行って、鍋を揺するその周りをうろついて、毎日毎日、変化もなければ刺激もないそんな生活が、でもとてつもなく愛おしくて。


 何これ。

 好きの一言も言わせてくれないの?


「ナナシ!」


 嫌だ、忘れたくない。

 私の中のナナシが、揺らぐ。

 何も残らない。すべて消える。

 何それ。自分が死ぬよりも怖い。


「嫌だ。ナナシを取らないで。返して!」


 私は叫んだ。

 珠を握りしめながら。


「元通りにして! ナナシを返してっ!」


 願いの珠に祈ったのは、元の世界への帰還ではなく、ここから五キロも離れていない古い洋館での団らん風景。

 隣にナナシがいる日常。


「ナナシを返して……!」


 突然、手の中の珠が輝いた。











 煮えた鉄の塊を握りしめているかと、一瞬思った。たまらず珠を放り投げる。真昼の太陽が地上に降りて来たような強烈な光に瞳を焼かれ、まともに目も開けていられない。

 ぼろぼろと涙の止まらない目を庇って、私は地面に突っ伏した。手だけが虚しく離れた珠を探す。

「ナナシ……」

 ざり、と、ごく近くで、靴が地面を踏みしめる音がした。人の気配を感じて、体がびくりと竦み上がる。

 ナナシの珠がすぐそばに落ちているはずだ。願いを叶えるナナシの化身。

 渡さない。誰にも。

 あれはナナシだ。私はどんな事をしてでも彼を記憶に留め続けて、あの洋館に一緒に帰るのだから……!

 何度も目を擦りながら、瞬きを繰り返す。黒と、その中に浮かぶ白が見えた。

「ナナシ!?」

 霞む視界の中で、ナナシの白い面がこちらをじっと見つめている。

 その真ん中に、突然、びしっと亀裂が入った。唖然としている私の前で、亀裂は更に広がり、ついには砕け、無数の破片が音もなく地面に降り注いだ。

 仮面が壊れると、その仮面の縁から伸びていた布も滑り落ちて、がらんどうだったはずのその中に……。


「え?」


 青い瞳と目があった。

 布の奥から現れた髪は、真冬の凍った月を紡いだような、青みがかってすら見える銀だった。

 年は私より一つ二つ上だろう。こんな状況なのに、なんて綺麗な人だろうと、見惚れずにはいられなかった。

 青年は、狐につままれたような顔のまま、のろのろと自分の手を見下ろした。赤ん坊が初めてそれをする時のように、ひどく緩慢な動作で手の開け閉めを繰り返す。

 立ち上がろうとして、体のどこかに力が入らないのか、再び地面に膝をついた。

 髪よりは少し色素が濃く出ているらしい形の良い眉が、苦しげに顰められた。

「体の無い期間が長すぎたか……」


「ナ……ナナシ?」


 まさか、とは思うが。

 でも、白い仮面と黒い布の中から彼は現れたわけで。

「……ああ」

 青年が言った。

「でも、ナナシだけど、名無しじゃない」

 二の腕を掴まれた。そのままぐいと引き寄せられる。何がどうなったんだと、混乱のあまり脳が沸騰しかけていた私は、男の人の強い力に咄嗟に抗うことが出来なかった。

「えっ? えっ? ちょっと」

「ユイカ……!」

 立ち上がろうとしてふらついていたくせに、なんだこの馬鹿力!?

 本当にあの幽霊のようだったナナシなのか!?

 肩幅も広いし、細身に見える割にはしっかりと胸の厚みもあるし、何よりも……何というか、私より全てにおいて一回り以上も大きい。すっぽりと懐に入ってしまって、身動きが取れない。

「ユイカ……。帰還に使わなかったんだな、願いの石」

「つ、使わなかった。けどっ! ナナシ、どゆこと!? ナナシが違う!」

「これが俺の本当の姿だ。まさか元に戻れる日が来るなんて思わなかった」

「聞いてない! ナナシは白面で黒布がナナシ! なんでなんでなんで!?」

「お前、まさか、今の俺より、あの面と布だけの死霊みたいな姿の方がいいとか抜かすんじゃ……」

「うーっ。ナナシ、離す!」

 とりあえず、急に生身の男になったナナシは私には刺激が強すぎる。無駄にイケメンすぎるのも気にくわない。ある意味、面と布だけの姿で確かに丁度良かったのだ、私は。

 一応初対面らしく、ここは一つ冷静に距離を置いて話し合おうではないか……、って。

 だから。

 抱き締めるな顔近付けるな耳に息かけるなー!

「離せー!」

「嫌だ」

 背中に回された腕に、かえって力がこもる。黒布の時はふんわりと優しく包んでくれたくせに、どうして体を持った途端にこんなに乱暴なんだ。……か弱い乙女を抱き潰す気か!

「ユイカ……。お前は帰らなかった。自惚れていいんだよな?」

「私が好きなの、白面と黒布のナナシっ!」

「……冗談だろ」

 ひくっ、とナナシの頬の辺りが引き攣った。

 綺麗な貌には、豊かとは言えないまでも心を映す表情があり、それが、凹凸のない面を見慣れた私には、新鮮だった。

「とりあえずナナシ、もういい。うち帰る」

「……わかったよ」

 渋々と、ナナシが手を離した。地面を踏んで歩くという動作が、あまりにも久しぶりすぎて、何だか変な気分だと言っていた。

 一体どれくらいの期間、顔なし体なしをやっていたのか……。

 いや、そもそも何故ああいう不可思議な状態に陥る羽目になったんだ?

 何かなければ、普通、体が無くなったりはしないだろう。めくった布の中身が空っぽだと知った時のあの衝撃を、私はこの先決して忘れることは出来ない。

 横目で様子を窺うと、魔術師は私の視線に気づいたらしく、急に立ち止まった。


「何?」

 首を傾げる。

 銀色の髪がさらりと流れて、青い双眸が柔らかく細められた。頭の上に手が置かれ、それが髪を梳きながら下りてくる。

 指先が、頬と顎のラインをなぞった。羽毛が触れるような軽い感触に、ひどくむず痒い気分になった。

「ナナシ、触り方、やらしい」

「少しは空気察しろよ……」


 聞くべきことは山脈一つ分ほどもあるけれど。


「何でもないよ」

 還らなかった私には、これから先も、ナナシと一緒に過ごすたくさんの時間が残されているはずだから。

 どうでもいい過去の話には、今は触れないことにした。


 知りたいことはただ一つ。

 銀色の髪に青い瞳の魔術師の、彼が確かに人であった証の、真実の名。


「ナナシ、本当の名前、なんていうの?」


 まずはそこから全てが始まる。

 白面の時は「名無しでいい」と投げやりに言った彼だけど、今日は、少し照れた笑みを浮かべながら、長いこと誰にも呼ばれなかったに違いないその名を、教えてくれた。




「俺の名は……」






 ― End ―

短編、久しぶりに書きました。何だかとても楽しかったです。

読者様にも、面白かった、と思っていただけたら嬉しいです^^

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