聖樹ルルノエ4
フォルシアン伯のラスタ滞在期間は約二か月。
そのうちの一か月が、商人による珍品納品大会に割り当てられる。
大会と言っても、華々しく会場が設けられ、市民が押すな押すなと詰めかける大イベント開かれるわけではない。商人がそれぞれ時間のある時に自慢の一品を領主元に納めに行き、発表の日を待つだけである。
ブルノーのルルノエ強奪からちょうど二週間目、明日にその待ち遠しい発表を控える日、急遽私はアイリーンさんに誘われて領主館を訪問することになった。
「マーサ女将の幻のスープ、作れたんだよ。あんただって見たいだろ?」
それは確かに見てみたいが、なぜ領主館に行く必要があるのかが、さっぱりわからない。アイリーンさんも実はよくわかっていないらしく、クロードの旦那に頼まれた、とだけ言っていた。
そのクロードさんとは領主館の手前で合流した。
私とアイリーンさんがバリバリの普段着であるのに対し、彼は髪の一筋から靴の爪先まで、ビシッと正装で決めていた。聞けば、領主様に珍品を納めるためにお目通りするのだという。
「珍品ってもしや」
「そ。マーサ女将のスープだよ」
かなり珍しいハーブを使っているので、確かに珍品と言えば珍品だけど。
御用商人の鑑札を得るための貴重品としては、少々パンチが弱いような。だって、人魚亭でのお値段が日本円換算で五百円ほど。
……領主様に納めて良いのだろうか。安物食わせやがって無礼者、とか言われたらどうしよう。
「ナナシさんが言ったんだよ。ブルノーに勝ちたければ、マーサのスープにしろって」
「ナナシが?」
「どこから手に入れて来たのか、両手に抱えきれないくらいのアガスタ持ってきてね」
「えぇ!?」
だって、あれ、夏至の時期にしか採れないはずじゃ。
極北のとんでもなく長く照り続ける陽の光の恩恵を受けて、初めて花開く幻のハーブ。
真冬の今、一体どうやって? いや、そもそも寒冷地にしか生息しないアガスタを、この周囲で得ることなんて出来るのか?
「あ。乾燥ハーブ? 保存用の」
それなら納得。ポプリとかパセリとか、乾燥させて使う物は向こうの世界にもたくさんある。
「いや、それが。摘みたての生……」
「えぇ!?」
まぁ、彼は魔術師だし?
アイリーンさんが苦笑した。魔術師に、多少の不思議と割り切れなさは付きものだと。
「僕は時々恐ろしく感じるけどね。あの青い目に何もかも見透かされているような気がして。今回も、なぜ僕に助言してくれるのか、理由がよくわからないし。行動や考えがいまいち読めないというか……」
一緒に住むの、大変じゃないかい?
そう言われ、私は驚いて目を丸くした。
ナナシ家に居候するにあたり、遠慮や気苦労などといったものを感じたことは全く無い。ナナシは今や、私にとっては空気のようにそこにあるのが自然で、かけがえのない人だ。
空気ゆえに、それがある日突然消えて無くなってしまったら、私はきっと途方に暮れるどころの騒ぎではないだろう。……息が出来なくて本当に死んでしまうかもしれない。
「怖くはないのかい? 魔術師と呼ばれる彼らが」
クロードさんの言葉が、この世界における魔法使いという存在に向けられる感情を如実に表している。
敬いつつ恐れる。頼りになるけど怖い。
神秘の力の具現を、人はありがたがる反面、容易には受け入れられない。
私も、初めに会ったのがナナシでなければ、きっとクロードさんと同じ反応を示していた。魔法の無い世界から来たぶん、拒絶はさらに強いものになっていたかも知れない。
私がナナシを恐れないのは、私にとって、彼が「特別」だからに他ならない。
「ナナシはねぇ……、ものすごく普通の人なんだよ」
私は言った。
「普通じゃないのは、顔の綺麗さだけかなぁ」
料理上手で、掃除も無駄がなく早いとか(以前は手袋だったため細かい作業がし難かっただけだった)。
その料理も、作るのは勿論、同時進行で後片付けまでソツなくこなすとか(おかげで洗い物が少なくて楽)。
この間、とれたボタンを付けてもらったら、ものすごく手際が良かったとか(私より上手かった)。
なんだこの女子力の高さ……!
やばいよ、別の意味で普通じゃない……!
もうちょっと何かないか、ありがちなエピソード。
ああ、そうだ。出張から帰ってきたら、疲れたと言って靴下を放り投げてソファに寝転がるなんてどうだろう。
いや、なんか違う。普通というより、ただのサラリーマンのお父さんだよ、それじゃ!
「はいはい。もういいよ、ユイカ。のろけはその辺にしておくれ」
「のろけ?」
のろけって何だろう。あとでナナシに意味を聞いてみよう。
いやでも、家でのナナシの生態を不用意にペラペラ喋ってしまって、怒られるかも。
だって本当にどこにでもいる普通の人なんだよ。私にとってのナナシは。
怖いなんて思われるのは心外だし、なんか嫌だ……。
その後、執事らしき人に案内されて通されたのは、居心地の良い応接室だった。
兵士が両側を固めているような物々しい謁見の間を想像していただけに、意外だった。
やぁ待たせたね、と朗らかに笑いながら入ってきた人物に、私は危うく椅子からずり落ちそうになった。
無精髭を綺麗に剃り、少しボサボサに伸びていた髪もきっちりと整えたジークさんが、目にも眩しい高級そうな衣装に身を包み、そこに佇んでいた。
「ジークさんっ」
「また会ったね、ユイカ。君が幻のスープを復刻させたと聞いて驚いたよ」
「へ?」
何のことですか? と尋ね返そうとした私の口を、横からもがっとアイリーンさんが塞いだ。
にっこりと微笑んで、
「そうなんです。この子とクロード氏が、方々を探して幻のハーブを手に入れてくれまして。亡きマーサ女将には到底及びませんが、二代目女将のこのアイリーン、腕によりをかけてアガスタのスープを領主様のためにお作りいたします」
復活したアガスタのスープは、鮮やかな紫色の花を使っているにもかかわらず、雪のように真っ白だった。まるで魔法のように、紫の花は熱を加えると純白に色を変えるのだ。
少しとろりとした舌触りで、口に入れた瞬間は甘くて深い味わいなのだが、不思議と後を引かない。細かく刻んで散らしたアガスタの葉の緑が、視覚的には彩を、嗅覚的には柔らかな香りを添えてくれる。
懐かしいな、と、領主様は嬉しそうに目を細めた。
そんなはずはないのに、お盆を胸に抱えてジークさんの傍らに立つマーサ女将の姿が、一瞬、見えた気がした。
ジークハルト・ベルセ・フォルシアン伯爵は、十年ぶりにラスタを訪れた。
十年前、病が快癒した伯は、自領地の中でも特に土地が貧しく発展の遅れているブラシウ区を集中的に統治開拓した。何もしなくても金と人が勝手に増えてゆくラスタ近郊は信頼する部下に任せ、だから十年間もこの地に足を踏み入れることが叶わなかったわけである。
その部下は優秀な人物で、滞りなくラスタを治めたが、三年ほど前から事情が変わった。
父君と比べると、少しばかり考えなしで頼りない長男が、ラスタの施政に口を挟むようになってきたのだ。
ブルノーに丸めこまれて、彼と、彼の息の掛かった輩にばかり御用商人の鑑札を与え出したのも、この頃から。
ちなみに、領主息子が出しゃばっていたわりに被害が小さかったのは、優秀な部下がさり気なく抑えたり邪魔したりしていたためだという。
ともかく、この一件で、領主息子は豊かなラスタから開拓地ブラシウへと修行の旅に出された。
今年の御用商人はクロードさんに決定し、ブルノーは今までの悪行も明るみに出て、牢に放り込まれた挙句に長期商売禁止の沙汰を言い渡された。
……ふふん、正義は勝つ。
領主様、本当に本当にありがとう。
私は貴方のファン一号です。……いや、格好いいから、とっくに巷にファンクラブくらい出来ていそうだけど。
「君のおかげで、我が馬鹿息子の放蕩ぶりとブルノーの不正を暴くことが出来たよ。ユイカ、何でも好きなものを褒美に取らせよう。欲しいものは無いか?」
「はぁ……。特には」
クロードさんは御用商人の鑑札を、アイリーンさんは伯爵家ご用達お食事処の看板を、それぞれ褒美にもらっていた。
私と言えば……そもそも褒美をもらうような事をしていない。
スープを作ったのはアイリーンさんだし、幻のハーブを見つけて来たのはナナシだ。そして、ブルノーの不正を暴く切っ掛けをもたらしたのは、クロードさん。
クロードさんが幻のスープを飲んでもらうために接見を申し出たことから、会話の機会が生まれ、領主ジークハルト様に鑑札制度の惨憺たる現状が伝わった……。
「何でも良いぞ。宝石でもドレスでも。若い娘なら、そういった物は幾つあっても困らないだろう」
いえ、領主様。
庶民の私は、そんなお高い物をセキュリティのセの字もないあの家に置いておくのが、怖くてたまりません。
「あっ。……そうだ!」
ぽん、と名案が浮かび、私は偉い人の御前にも関わらず、パンと胸の前で両手を打ってしまった。
いかんいかん。行儀が悪い。
「ラスタ市民権、欲しいです!」
本当は、二年きっちり働かなければ申請する資格が無いのだけれど。
ジークさんの計らいで、無事ラスタの市民権を手に入れることが出来た。
もう寄る辺なき流民なんて言わせないもんね!
私は、この世界に、この街に、ナナシと一緒にどっしりと太く逞しい根を下ろすんだ。
次回、「聖樹ルルノエ」終了です。




