聖樹ルルノエ3
ナナシが一週間ほど出張に行くことになった。
人の姿に戻ってから、ナナシは何かと忙しい。懇意にしている薬種問屋や医療機関が幾つもあって、ナナシが作る物は高品質だと引きも切らない人気なのである。
今回は馬車で往復三日ほどのところにある町長さんのお招きで、その娘の誕生日会に招待された。
それ仕事か? と思ったら、ナナシの目的はパーティーではなく、その町特産の醸造酒にあった。瓶詰めされる前の出来立てほやほやを、樽から直接飲んでみたいのだと言う。
ビールはビール工場で飲むのが一番美味いと以前父が主張していたが、それと同じようなものだろうか。男の人の変なこだわりが、時々理解できない私である。
ナナシが出かけてから三日後、事件は起こった。
その日は朝から騒がしかった。
時期が時期なので、きっちり窓を閉めて寝ているのだけど、それでもガヤガヤと人の話し声が耳に飛び込んでくる。
何だろうと訝しみ、外を覗き込む。まだ朝の六時になるやならずの時間なのに、人の家の庭に勝手に入り込んでいる集団が視界に飛び込んできた。
集団は、ロープやら斧やら物騒な物を持っていた。先頭には、あの極悪商人……ブルノーがいた。
(あいつ……!)
私の部屋は二階にある。二階の窓から身を乗り出して、家宅侵入! と叫んだが、ブルノーにはフンと鼻で笑われただけだった。ナナシ相手のときは相当びびっていたくせに、どうだろ、私に対してこの態度……!
私は手早く着替えると階段を駆け下りた。顔も洗っていなかったが、構うもんかと外に出た。
斧を持った男たちがどこに向かっているかなんて、容易に見当がつく。ルルノエだ。ナナシがはっきり断ったのに、まさか実力行使で来るとは。
あと四日間、ナナシが帰ってくるまで、何としてもクロの樹を守らないと……!
木の前で両手を広げて通せんぼをしてみたけれど、抵抗らしい抵抗にもならなかった。私の脚よりも太いんじゃないかという筋骨隆々の腕で背後から抱えられると、ろくに身動きも取れない。
「細くて、小っこくて、何か可愛いなぁ」
耳元で囁かれた声に、ぞわっと背筋が逆立った。
私は怯えたように身を縮めた。私が縮まった分、背後の大男が上体を屈めて圧し掛かるように更に身を寄せてきた。次の瞬間、バネのように私は大きく伸び上がった。
ごつっ、ともの凄い音がして、男が仰け反った。顔を両手で押さえて蹲る。
痛い痛い。いたーいっ!
頭突きは成功したものの、私自身もダメージが大きすぎた。ううう……くらくらする。
「この小娘!」
しかも相手を怒らせただけだった。握り固めた拳が至近距離で振り上げられる。あれにまともに殴られたら、骨の一本くらいでは済まないかもしれない。
「やめろ。私たちはルルノエが手に入ればそれでいいんだ」
ブルノーが止め、私は負傷を免れた。……でも礼は言わん。元はと言えばあんたが悪い!
熊みたいな大男が相変わらず私を背後から押さえつけ、他の三人が代わる代わるルルノエの幹に刃を打ち込んでゆく。
十分もしないうちに、堅い巨木はみしみしと軋み、やがてそこだけビデオをスローで送っているかのように、ゆっくりと倒れた。
樵たちは、今度は手際よく枝をバサバサと切り落とした。私が何もできず呆然としている間に、彼らは丸太になった聖樹を易々と運び出してしまった。
「ブルノーっ!」
集団のしんがりを務める腹黒商人の背後に、私は叫んだ。
「こんな事して、絶対に許さないっ」
「何が出来ると言うんだい。お前みたいな小娘と、下級魔術師ごときに」
ブルノーは、中年太りで少し出っ張ってきた腹を突き出しながら、偉そうに生やした髭を撫でた。
ナマズ髭、とでも言うのだろうか。ひゅるんと一部分だけ長い。変な形。
……ここにハサミが無いのが残念だ。あれば根元からちょん切ってやるのに!
「私は領主さまから直々に鑑札を頂いた御用商人だよ。それに、ユイカとか言ったかね、君はどこの町の市民権もない流民だそうじゃないか。ラスタの市民に逆らうんじゃないよ」
「……!」
この男は、全部調べ上げて来たんだ。
私が二年前にぽっと現れた異国人(正確には異世界人だけど)であること。
働き始めたのも最近で、言葉だってまだまだ未熟な、取るに足らない一般人以下の存在であること。
魔術師さえいなければ、どうとでもなる。だから、わざわざナナシのいない時を狙って……!
「お前よりマシ!」
私は履いていた靴を脱いで、それを投げた。本当は、石をぶん投げてやりたかったけど、万一当たって大怪我にでもなったら嫌だから、屈辱効果を見込んで泥の付いた履物にした。
靴は綺麗な放物線を描いて、再び背を向けたブルノーの脳天に命中した。やれば出来るじゃん、私……!
この世界に来て初めて心からあなたに感謝した。ナイス神様ありがとう!
「この小娘! 覚えていろ! 次はお前を売り飛ばしてやる!」
「ふん! あんたなんか怖くない。負けるもんか!」
絶対に、絶対に、切り倒されたクロの樹の痛み、あんたに思い知らせてやる!
四日後、ナナシが帰ってきた。
クロの樹を一番気にかけていたのはナナシだから、それが自分のいない間にあんな酷い事になったのを知ったら、きっと落ち込むだろう。
なるべくショックの少ない方向で真実を伝えるにはどうすれば……と、あれこれと考えているうちに、
「ブルノーの奴、来たんだな」
ぴたり言い当てられ、飛び上がりそうになった。
「ななな、なんでっ」
「庭にたくさんの靴跡があった。何か大荷物でも運んだような痕跡も」
魔術師のナナシ相手に、回りくどい説明は不要らしい。
ナナシの出張三日後にして、突然ブルノーが踏み込んできてルルノエを奪い取って行ったことを、私は項垂れながら語った。
「ごめんね、ナナシ。ルルノエ守れなかった」
あの後、不法侵入と器物損壊でブルノーを訴えられないかと思い、自衛団の詰所に行ってみた。
運よくレイフさんがいて、商人屋敷に同行してくれたけど、ブルノーの奴、ちゃっかり偽の譲渡証文まで作っていた。細かな文章がびっしり並んだ紙面の一番下に、私の名前が記されてあったのだ。
もちろんサインなんかした覚えはないけれど、私の字に驚くほどよく似ていた。
どうして……と考えてはっとした。回覧板!
回覧板に、見ましたよ、の意思表示として自署する欄がある。文字の練習も兼ねて、いつも私が書いていた。ユイカ、と。
(やられた……!)
証文がはっきり偽物だという証拠が無い以上、自衛団の方でもどうしようもない。
レイフさんに慰められながら、泣く泣く引き下がるしかなかった……。
「ルルノエ切られちゃった」
「まぁ、仕方ないさ」
いやにあっさりとした答えが返ってきた。大急ぎで惨状を確認しに行くと思ったのに、その素振りもない。
じゃれついてきたクロを抱き上げると、ああ疲れた、と一つ大きな欠伸をして、居間のソファに寝転がった。クロをお腹の上に乗せたまま、すー、と沈み込むように寝息を立て始める。
「ちょっとぉ……」
ナナシがいない間に起きたことだから、こっちは胃が痛くなるほど悩み抜いていたってのに。
なにその「どうでもいい」と言わんばかりの態度! ……というか、寝るなら自分の部屋のベッドに行け! 風邪ひくでしょうがっ。
ぼすん、と風圧で髪がそよぐほどの勢いでナナシのすぐ横に座ったけど、魔術師は目を覚まさない。
突くか抓るかしたら気付くだろうか。
それとも。
キスで口を塞いでやったら、驚いて飛び起きるだろうか。
鼻呼吸しているなら無理か。
……なんてね。
思っただけ。実行なんて百二十パーセント出来るはずがない。
(とりあえず、今日の晩御飯は私が作ろう)
魔術師の上にタオルケットを掛けると、私は腕まくりをして台所に向かった。




