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手袋の中身

『これから薬草を採りに行く。お前も行くか?』

 

 ナナシは魔法の薬屋だ。様々な植物から痛み止めやら解熱剤やら、日々の生活には欠かせない薬を作り出す。

 手に入りにくい希少な薬草は大きな問屋から買ってくるが、たいていは身の回りにある雑草や山菜で間に合わせているようだった。

 ナナシ曰く、

『材料が高価すぎると、値段が馬鹿みたいに高くなって庶民が買えなくなる。だからこれでいい』

 その辺の雑草から作った薬でも、魔法がかかっているなら十分に効果を期待できる。

 というより、その辺の雑草にでも病に有効な成分は含まれているはずで、要はそれを高めてやれば良いのだと、ナナシは常々言っていた。

「森、行く行く。森大好き」

 ナナシの薬草摘みに、私はいつも付いて行く。

 本もまともに読めない私が日々出来ることは限られている。それはナナシもわかっているらしく、薬草摘みと銘打って、よく私を森の散歩に連れ出してくれた。

 ナナシに教わって、私もほんの少しだけ薬草に詳しくなった。とりあえず触れただけでかぶれるような危険な植物は見分けがつくようになり、一年と十一か月の間にそれなりに馴染んでしまった我が身の順応性が、少々恐ろしい。

「ナナシ。あっちにもたくさんある。ちょっと行く」

『無理するな。必要分だけあればいいんだから……』

 と、ナナシが言い終わらないうちに、こんもりと膨らんだ藪を掻き分けていた私の足下から、地面が消えた。

「うわー!」

 街のご近所とはいえ、さすがに自然たっぷりの森だ。茂みの陰に、緩やかな崖というか、急な斜面があったらしい。

 柔らかい下草と土の上を転がりながら、二十メートルほども滑落した。これは重傷だ、下手すりゃ死ぬ、と恐る恐る顔を上げると、すぐ近くにナナシの白い面があり、私の体は黒い布で包まれて擦り傷一つなかった。

「ナナシ、ありがとー」

『……驚かさないでくれ』

 しゅるしゅると黒い布が私の体の下から独りでに抜けて行く。

 見れば見るほど不思議な存在だ、ナナシって。

 私の代わりにダメージを受けたはずなのに、ナナシの黒い布には土埃一つ付いていない。

 ただ、いつもしている手袋に小さな破れが出来ていた。その中もやっぱり空っぽなのかしらとじっと目を凝らせば、ナナシの手袋の穴から、キラキラと輝く粒子のようなものが漂い出ていることに気が付いた。

 昔、北海道の北の端っこで見た、ダイヤモンドダストみたいだ。

 私は驚きつつも魅入られて、光る粉に手を伸ばした。

 ナナシが飛びのき、無事な右手袋で破れた左手袋を押さえた。その間にも、ダイヤモンドダストは消えるどころか輝きを増して、辺りを薄青く覆い尽くしつつあった。

「なに? ……寒い」

 私はぶるりと身を震わせた。

 二の腕が鳥肌立つ。周囲の温度がどんどん下がって行くのがわかった。

「ナナシ? なにこれ。どうしたの?」

『ユイカ。すまん、家から手袋を取ってきてくれ。俺の部屋の、クローゼットの中に何足か放り込んである。この際右でも左でも構わん。……早く!』

 私から距離を取ろうとして後ずさっていたナナシだったけど、その動きが止まった。黒い布の裾が凍り付いて、地面に縫い付けられていた。

「ナナシ!?」

『大丈夫だ。これ以上広がらないように抑えるから。……でも長くはもたない』

 ナナシが布を引っ張った。パリン、と音がして、氷の破片がその足元に散った。

 私はごくりと唾を飲み込むと、

「待ってて!」

 一目散に駆け出した。この森から館までは近い。全速力で駆ければ往復で一時間程度で済むはずだった。

 ナナシが道案内の鳥を出してくれた。ナナシは薬を作るとき以外ほとんど魔法を使わないけど、こんな芸当も出来るのだと驚いた。

 ナナシの鳥は、私から付かず離れず、館までの最短距離を教えてくれた。

「ナナシ、待ってて! すぐ戻る!」











 家のクローゼットを漁って手袋を引っ掴み、森に取って返すと、辺りの景色は一変していた。

 色付き始めた紅葉が綺麗だったはずなのに、赤い葉は落ちて枝に霜が降りていた。地面も薄く氷が張り、その氷が徐々に厚く膨らむ中央に、足元が完全に凍り付いてしまって動けないナナシがいた。

「ナナシ!」

 駆け寄ろうとすると、

『来るな!』

 強い口調で制止された。

『お前まで凍る』

「でも、ナナシ! 遠いよ。届かないよ」

 波紋のように広がった氷の範囲は広すぎて、私の腕力じゃ、手袋をボールのように丸めて投げても届くかどうかわからない。いや、それ以前の問題として、身動きの取れないナナシの手元にコントロール良く届けるなんて真似、野球選手でもない私に到底できる芸当ではなかった。

 届かなかったらどうなるのだろう。ナナシから漏れ出た冷気はいつか森全体を覆ってしまい、その中心にいる彼にどんな影響を及ぼすのか……見当もつかない。

「ナナシ。今そっち行く」

『駄目だ』

「行く! ナナシの言うこと聞かない!」

『馬鹿、やめろ!』

 広がる冷気の中に足を踏み入れると、靴裏に吸いつくような感触があった。ぐっ、とふくらはぎに力を入れて、それを振り払う。

 地面に置いた足が凍る前にまた足を離せば、何とか走れそうだった。

 ……と思った矢先、つるりと滑って転んだ。尻と、掌と、太ももと、とにかく体の至る所をべったりと地面に着けて、座り込んでしまった。

 私の馬鹿……!

『使役獣! ユイカに代われ!』

 道案内の鳥が、私に向かって飛んできた。鳥は私に触れるか触れないかのところで、突然、脆いガラス細工のように粉々に砕け散った。

 その瞬間、足元から凍り始めていた私の体に自由が戻る。よくわからないけどナナシが魔法で助けてくれたらしい。

 でも、鳥はもういない。ナナシに守ってもらえるのも、これが最後。

「ナナシ!」

 二度転ぶことはなく、今度こそ私はナナシのもとに辿り着いた。私から受け取った手袋を、ナナシが強引に穴の上から被せると、溢れ出ていた冷気が止まった。

『間に合った……』

 ナナシが安堵の溜息を吐く。

 実際には、ナナシの貌はのっぺらぼうな白面なので、そんな人間くさい仕種を出来るはずもないのだが……何故だか、私には、ほっとしている彼の表情が見えたような気がした。

「ナナシ、ごめん。私、崖滑ったせい」

『いや。俺の手袋の作り方が甘かった。もっと強化しないと駄目だな……』

 白い仮面が、黒い手袋をしげしげと見つめる。

 この時も、顔のないナナシなのに、手元に視線を落とす彼の双眸が……。


(彼?)


 自分のことを「俺」って言っているし。

 人間じゃないだろうけど、一応、男? 雄? のような気がする。

「ナナシ。無事。良かった」

『それはこっちの台詞』

 手袋をはめた手が、くしゃりと頭のてっぺんを掻いてくれた。

 中身は人の肉ではなく、ダイヤモンドダストをまき散らす強烈な寒気だと判明してしまったが……。

 その手はほんのりと温かく感じられた。




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