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顔のない魔術師  作者: 宮原 ソラ
日常編
19/24

真夜中の訪問者3(※ナナシ)


 子供の頃、動物を飼うことに憧れていた。

 何かの物語の主人公の少年が、お供に賢い犬を連れていて、だから自分も犬が欲しかったのかもしれない。

 それを養父に伝えると、彼はわかったと一つ頷き、犬ではなく何故か子兎を連れてきた。

 正直、当てが外れたと思わないでもなかったが、どんな精巧に作った人形もかなわない生き物の持つ独特の存在感に、多少の不満などすぐに吹き飛んだ。

 兎は雪のように白く、見るからにふわふわして、子供ながらにそれを飼えることが嬉しくてたまらなかった。

 物語の少年がお供の犬にそうしていたように、俺も兎の頭に手を置いてみた。養父は耳を掴んで持ち上げてみろと言ったけど、そんなひどい真似はしたくない。

 懐いて欲しかったから、大切に、丁寧に、接してやるつもりだった。


 名前も付けて。

 もう少し大きくなったら、外に散歩に連れ出して。


 キィ、と、兎が突然鳴いた。ぶるぶると身を震わせ、ねじの止まったからくり人形のように床の上に倒れた。そしてそのまま二度と動かなくなった。

 何が起きたかわからなかった。慌てて養父を振り返ると、やっぱりなぁ、と彼は軽く肩を竦めた。兎が目の前で死んだのに、その顔にはうっすらと奇妙な笑みが浮かんでいた。

「無理だよ、ルシュメア。お前は動物は飼えない」

 養父は言った。

「お前は捕食者。全ての生き物にとっての天敵だ。この兎のように小さく弱い獣は、お前の放つ瘴気にすら耐えられない。恐怖のあまり、今みたいに心臓が止まる」


 捕食者。

 捕食者って何だろう。


 この時の俺はまだ幼くて、養父の言葉の意味がわからなかった。ただ、わからないなりに、自分のせいで小さな命の灯が消えてしまったという事実だけは、理解できた。

 犬猫のように感情が汲み取りやすい動物だったら、触れる前にその異常に気付いたかもしれないのに。

 初めて見る兎という生き物の表情が、ついに俺には読み解けなかった。心臓が止まる寸前まで、恐怖に打ち震えていたかもしれないと思うと……申し訳なさと居た堪れなさに、ただ泣いて謝ることしか出来なかった。

 可哀そうな兎。

 どれほど悔いても、もう、目を開けて元気に飛び回ってくれることはない……。


「ごめんなさい。もう欲しがらない」

「それでいい。お前はどうせ普通には生きられない。恐れられ、忌み嫌われる存在だ」

「嫌われるの? どうして?」

「どうして? 理由なんかない。お前がそういう生き物だからだ。羊は狼を無条件に恐れるだろう? 食われる側は常に食う側から逃れようとする。それだけだ」


 それは、世界の開闢の時より続く、永劫の不文律のようなもの。

 変えられないなら……せめて周りを巻き込んでしまわないように、俺の方から避け続けるしかない。






 ユイカが拾った三匹の子猫のうち二匹は、すぐに貰い手が見つかった。

 一匹はアイリーンが飼うことになった。俺の手の上でぐうぐうと寝腐っていた、大胆不敵なあの三毛だ。人魚亭の看板娘として、早くも人気はうなぎ上りであるらしい。

 もう一匹は海坊主が連れて行った。彼は実は男やもめで、三人も娘がいると聞いて驚いた。その娘たちが是非にと望んで、白い子猫が海坊主家の新たな住民として引き取られていった。

 そして、手元に残った最後の一匹。

 俺の腕と肩を縦横無尽に駆けずり回ってくれた、あの黒猫。

 黒だと思ったら、ひっくり返すと腹にかなり広範囲に白があった。ぶち猫? と俺が言うと、ユイカはなぜかムキなってこれは黒だと主張した。……別にどっちでも良いが。


 子供の頃、小さな兎は死んだのに、今、小さな猫はすこぶる元気だ。


 相変わらず、俺の足で木登りをし、俺の背中を踏み台にして棚の上に飛び移る。

 猫のふりをした、実は強力な魔獣なのではと疑ってみたが……どう贔屓目に見てもただの猫だった。なぜ「捕食者」の俺の影響を受けないのか、不思議でならない。

 もしかして、と思い、他の動物にも接してみたが、あの忌まわしい記憶のようなことは起こらなかった。


 触れただけで獣の鼓動を止めてしまったルシュメアの力。

 いつの間に消えた?

 何が変わった?


 そういえば、ユイカと暮らすようになってから、ルシュメアの時には頻繁にあった破壊の衝動が薄れた気がする。

 

(ナナシ)


 そう呼ばれたあの日から、俺の中で何かが狂い出した。

 いや、狂っていた何かが、元の正しい位置に戻りつつあるだけなのか。

 

 俺は、もう、捕食者ではないのかもしれない。

 そうであれば……いいと思う。






 いつものように、ユイカが食堂の給仕の仕事に出かけた。

 彼女がいなくなると、途端に家の中が広く感じる。あの小さな体の何処にこれほどの存在感があるのかと、毎度のこととはいえ、不思議に思う。

 ユイカがいる時は、俺を踏み台兼木登り棒くらいにしか考えていない黒猫が、掌を返したように甘えてくる。座っていると膝の上に、寝ていると胸の上に、机に向かっていると天板の上に、図々しくも乗り込んでくる。

 何だ。その期待に満ちた眼差しは。

 俺は忙しい。お前と遊んでいる暇なんか……。


「にゃー!」


 毛糸を丸め、玉を作っている自分が何やら少々情けない。

 棒の先にひらひらした鳥の羽を巻き付けて、もう一つ小道具を作ってやると、猫だけではなくユイカまで大喜びしていた。猫じゃらし、というのだそうだ。

 それをパタパタ動かすと……凄い食い付きだ。巻いた羽があっという間に取れてしまった。

 ところで、猫の奴、自分で壊したくせに恨めしげに俺を見るのはやめてくれないか……。


「来い、クロ」


 クロ、はユイカが付けた。

 ユイカの世界の言葉で、「黒」の意味なのだそうだ。

 安易すぎる上に、こいつは黒猫ではないような気がするのだが……と突っ込むと、三倍くらいの量を言い返された。猫に関することでユイカに逆らうのはやめよう、と心に決めた。


 クロを連れて庭に出た。


 手入れしていないただの雑木林だが、奥に、一本だけルルノエという種類の聖樹がある。失明した賢人がルルノエの朝露を浴びて光を取り戻した、などという、いかにもな逸話がある。

 勿論それはただの伝説だが、ルルノエが魔力を溜めやすい特殊な樹木であることは、紛れもない事実だ。

 特に我が家のルルノエは、イグ・ヴィルス・フロウを氷漬けにした時の俺の魔力を受けているので、その傾向が顕著だった。


 この木の根元で死んでいた哀れな母猫に、短期間とはいえ、仮初めの命を与えてしまうほど。


 三毛の母猫は、先ごろ騒動を巻き起こしたオルドスに食い殺された。俺が見つけた時、死体は荒らされて酷い有様だったが、背中の四つ葉の模様だけは、なぜか綺麗に残っていた。

 それから、月のある夜半、死んだ猫はこの付近をうろつくようになった。害が無いので放っておいたら、風呂場でユイカにちょっかいを出し、やがて子猫がとり残されていることを知るに至った。


 ああ、だから。

 ルルノエの魔力を借りてまで戻って来たのか。

 人間でも、猫でも、母親ってのは凄いな。

 想いの強さが、あのままではのたれ死んでいたに違いない小さな命を、繋ぎ止めた……。


「こいつはクロ。うちで飼うことになった。三毛はイルマ。食堂で看板猫をしている。白いのはサク。海坊主の家で、大黒柱よりもよっぽど大事に扱われている」


 墓標の無い墓に、我ながら律儀だなと呆れつつ、俺は報告する。

 溜めた魔力を使い果たしたルルノエからは、もう何も感じない。あの母猫も本当の意味で逝ったのだろう。

 にゃあ、という声は、ついに返ってこなかった。


 それでいい。

 それは、もう何も思い残すことが無いということなのだから。




「真夜中の訪問者」終了です。

ペットを飼いました。

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