真夜中の訪問者2
草木も眠る丑三つ時、猫は来た。
普通の猫だった。尻尾も割れてないし、羽もない。
辺りは暗く視界が悪いけれど、三毛猫だということは辛うじて判別できた。背中に四つ葉のクローバーのような変わった模様がある。
猫は小さく千切ったささみの一切れを咥えると、その場で食べることなく持ち去った。すぐに戻ってきて、また一切れ咥えた。そしてまた。
(その場で食べているんじゃなかったんだ。それなら細かく千切らないで大きいままあげれば良かった)
何度も何度も、同じ作業を繰り返し、ついに皿は空になった。が、最後の一切れを口に咥えたまま、なぜか三毛は動く気配がない。
金色の目が、じっとこちらを見つめている。私は廊下の暗闇に隠れていたのだけど、そこは鈍くさい人間のやること、とうに存在を見抜かれていたらしい。
触らせてくれないかなぁ、と、私はそろそろと物陰から顔を出した。猫は身を翻し、風呂の窓からひらりと逃げた。
思わず窓に取りすがって外を覗き込むと、近くの石畳の上で、へそを天に向けて寝転がっている姿が見えた。
おもむろに腹の上に添えられた手が動き、誘うようにちょいちょいと前後に揺れた。
(……来なさいって?)
猫好きな身としては、お誘いを受けて無下に断るわけにもいかない。
私は玄関から外に出た。追いつくと、猫は再び軽やかに駆け出した。林の手前でふと止まる。振り向いて、にゃあ、と鳴いた。
こっちよ、と、声が聞こえた気がした。
(うわー。本当に幽霊かも)
さすがに様子はおかしいとは思うが、今更引けない。
覚悟を決めて、私は猫の後に付いて行った。三毛はとても機嫌が良さそうに、終始しっぽをぴんと立てていた。
「にゃあん」
「はいはい。待って。今いくよ」
……なんて言っておいて、猫に見事に置き去りにされた。
いや、深夜、林の中で猫と競争しようとした私が間違っていたのだ。お約束のように、木の根に引っかかって転んだ。顔を上げると、そこにもう三毛はいなかった。
「ミケ! ミケ、どこ?」
仕方なくその場をうろつくこと五分。三毛よりももっと甲高い鳴き声が、私の呼びかけに応じた。
みゃあみゃあみゃあ……。
子猫の声だ。三毛はお母さん猫だったのか。藪を掻き分けると、大きな葉の裏側に潜むようにして、確かに子猫たちがいた。しかも三匹。
三毛の姿は見当たらない。三毛が持って来たささみの切れ端だけが地面に散らばっている。小さな猫たちが、生えて間もない頼りない牙で、一生懸命にそれを食んでいた。
「三毛?」
その場にしゃがみ、しばらく待ったが、母猫は現れない。
私がいるから出て来られないのだろうか。いやそれは変だ。私を連れてきたのは当のミケなのだから。
私に子猫を引き会わせたかったとも解釈できる。なのに彼女は突然消えてしまって、影も形もない。子猫を得体のしれない人間の前にさらして、母猫だけが逃げるなんて、そんな事あるのだろうか……。
「ユイカ」
「うっひゃあ!」
「変な声を出すな。こっちが驚く」
「ナナシ!」
なぜここに、と言う前に、ナナシはすっと私が持っているランプを指した。
「そんな物を持って走り回っていたら、嫌でも目に付く」
「謎の猫、追跡中。でも見失った」
ナナシが来てくれたのなら、ちょうどいい。
私は子猫たちを抱き上げた。まだ小さくて、私の両手で三匹とも抱えられる。
野良のはずなのに、丸々と太って健康そうだ。よく動き、よく鳴く。
三毛の代わりに、いったん家の中に保護するつもりだった。鴉にでも襲われたら大変だし、部屋の中に居ても、窓さえ開けていればそのうち母猫が迎えに来るだろう。
「ナナシ、一匹持つ」
「は?」
三匹のうちの黒い一匹を、私はナナシに託した。
「ば、馬鹿。俺が触れたら……!」
「触れたらなぁに?」
黒はにゃあにゃあ相変わらず元気よく鳴いている。
ナナシの左腕をよじ登り、左肩に達した。今度は左肩から右肩に渡り、そこから右腕へと降りた。満足そうにすりすりとナナシの袖に顎を擦り付いている。
「あ? え?」
ナナシの固まり具合が面白い。子猫相手に、妙な事を口走った。
「嘘だろ。なんでお前、俺に触って何ともないんだ……」
「もー。何言ってんの、ナナシ。帰ろ」
「待て。この猫、腕にしがみ付いたままなんだが。どうすれば……」
「そのうち離れる。大丈夫」
「いや安定が。このままじゃ落ちると言うか」
「ナナシ狼狽えすぎ。面白い」
「俺は動物なんてほとんど触ったことがないんだ……!」
「そうなの?」
じゃあ、いっぱい触るといいよ、と、私はもう一匹、母猫そっくりの三毛子猫もナナシの掌の上に乗せた。
三毛子猫は黒ほど活発ではないらしく、ナナシの手の中で、幸せそうに目を細め、うとうとと微睡んでいた。
「こいつ、妙に熱いぞ。病気なんじゃ……」
「猫って人より体温高いの」
相変わらず腕やら肩やらを這いまわっている黒と、手の中で眠り込んでいる三毛と、二匹をぎこちなく抱えながら、ナナシはゆっくりと歩き始めた。
妙に慎重な足運びなのは、いつもの調子ですたすた歩き、腕に取りついている小さな命が落ちたら一大事と思ったかららしい。
猫よりもナナシの方が可愛くて、笑ってしまった。
「ナナシ、猫好き」
「別に好きじゃない」
「好きじゃなかったら、そんなに気を使わない」
「加減がわからないんだ。本当に。……あんまり小さくて」
私は、寝ている子猫のぼてっとしたお尻を指でつついてみた。ふわふわで、ぷにぷにだった。体のサイズの割には立派に伸びた尻尾に、うるさいと言わんばかりに手を叩かれた。
「この子は長毛。大きくなる。立派なお尻。小さいなんて言っていられるの、今だけよ?」
次回、「真夜中の訪問者」終了です。
 




