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顔のない魔術師  作者: 宮原 ソラ
日常編
17/24

真夜中の訪問者1


 風呂場に幽霊が出る、と言うと、ナナシは心底馬鹿にしたように鼻で笑った。

「気のせいだ」

 いいや。気のせいではない。何しろ私は風呂場で当の幽霊本人に髪を引っ張られたのだ。しかも、細い一束を遠慮がちに摘まむ程度ではなく、ポニーテールの尻尾部分をむんずと丸ごと掴まれた。

 私は風呂掃除の真っ最中だった。壁のタイルの目地を中腰になって擦っているところだった。そんな不安定な体勢のときに、後ろから不意打ちされたのだからたまらない。どすん、と、まともに濡れた床の上に尻から落ちた。

 何が起きたかわからず、呆然と座り込む私の耳元に、


 にゃー。


 猫の鳴き声だった。

 だから幽霊は猫だ。

 そう力説すると、猫は髪を掴めないだろうと、ナナシからぐうの音も出ない正論を返された。確かに、肉球ぷにぷにの前足で髪を掴むなどという高等な嫌がらせを、彼らがやってのけるとは思えない……、のだが。

 しかし、ここが重要。

 猫好きな私が、猫の鳴き声を聞き間違えるはずがないのである。

「どうでもいいが、ユイカ。廊下に鳥のささみを置くのはやめてくれ」

「猫の幽霊おびき出す。ナナシ邪魔しない」

「幽霊ではなく、本物の生きた猫が来てしまうという発想にはならんのか……」

「そしたら嬉しい。それでもいい」

「飼ってもいいが、お前が世話しろよ。俺は猫には触れん」

「え。びっくり。ナナシ猫苦手? じゃあ犬は?」

「俺はほとんど全ての動物と相性が悪い……」


 ああ、そうか。そうだった。

 

 動物はなぜかナナシを怖がる。オルドスのような半魔獣すら例外ではない。ナナシもそれはわかっているらしく、自分から積極的に関わろうとはしなかった。

 従えることは出来る、と、以前、何かの折に言ったことがある。相手の意思を無視して、まるで機械か人形のように支配することなら可能だ、と。


 人間も使役できるのだろうか。

 ふと浮かんだ恐ろしい疑問を、私は口にすることなく意識の外に追い出した。

 わざわざ尋ねる必要もない。ナナシが絶対にそれをしない事を知っている。

 私を拾ってからの二年間、ナナシには無数に機会があったにもかかわらず、一度たりとも私の自由を奪ったことはなかった。せいぜい心配しすぎて父親のごとく口うるさく注意する程度である。

 それも最近慣れて来たのか、以前ほどああしろこうしろと言わなくなった。

 野放しになって益々つけあがる私を、ただ諦めたように見守るばかりだ。たまには首根っこを掴んでくれないと、それはそれで張り合いがない。


「猫。猫こないかなぁ~」


 ささみセットを廊下だけではなく玄関前と庭にも置こうとすると、あら不思議、ナナシに後ろ襟首をぐっと掴まれた。

 凄いな、魔術師。私の心を読んだのか。そんな能力もあったなんて驚きだ。

「ドラ猫はお前一匹で十分だ。玄関先に変な物を置くんじゃない!」

 ナナシの手により、廊下の一つを除いて、他の全てのささみセットが破棄された。

(ああ……残り一つになっちゃった)

 猫さん、上手く気づいてくれるだろうか。好物のささみはすぐそこだ。ちょっとばかし魔術師が怖いかもしれないが、虐待なんてする人ではないので、そこは怯まず遠慮せず。

 さぁ! どうぞっ!


「俺がいたら、たぶん、餌をまこうが動物は寄ってこない……」


 愛らしい小動物たちにそこまで徹底的に嫌われるなんて、前世、この人は一体どんな悪行をしたのだろう。

 その疑問を素直に口にすると、「お前の能天気な頭は国宝ものだ」と、何だかちっとも誉められた気のしない感嘆の言葉をもらった。

「俺が正体不明の人外かも知れないとか、そういうことは考えないのか」

「えー。だって今更。会ったとき既に白面黒布、中身空っぽだったし」

「……」

 正体不明も人外も、今に始まったことではないと思うのは、私だけではないはずである。






 果たして。

 廊下の片隅に置いてあったささみが、翌朝には消えていた。

 外猫が出入りしやすいように、風呂場の小さな窓を開けておいたのが功を奏したようだ。いや本当に幽霊が出没したという可能性も無きにしも非ずだが、私としては、やはり幽霊より本物の生きた猫に訪ねて来て欲しいわけである。

「信じられん……」

 驚いたのはナナシの方だ。自分がいるから、わざわざ動物の方が出向いてくることはない、と確信していたらしい。

 そんなに嫌われていないみたいだよ、よかったねぇ、と言うと、眉間に皺を寄せ、唇を不機嫌に引き結び、ナナシはそのまま押し黙ってしまった。空っぽになった餌皿を、複雑な表情で見下ろしている。

「本当に猫なのか……」

 やがて、ぽつりと呟いた。

 猫じゃなかったら何だ。本当に幽霊でも出たというのか。

 髪を引っ張る猫……なんか嫌だ。ものすごく。


 夜、寝る前、本日もささみを風呂場前の廊下にセッティングしておいた。翌朝、顔を洗う時間も惜しんでいそいそと様子を見に行くと、皿は舐めたように綺麗に空になっていた。

「やっぱり、この辺にいるんだよ! 見たいなぁ。可愛いだろうなぁ」

「そんな馬鹿な……」

 どうして、ナナシは、こうも頑なに動物の存在を否定するのだろう。好かれないって言っても、限度ってものがあるだろうに。


 深夜、こっそりと我が家に訪ねて来てはささみを美味しく頂いて帰る猫は、一体どんな子なのか。

 この世界にカメラやビデオが無いのがつくづく残念だ。もしかするとナナシなら魔法でその代用になり得る術を会得しているかもしれないが、動物嫌いを明言している彼にタイマー式暗視カメラになってくれとは頼みにくい。

 私は、一晩中起きて、ささみ皿の見張りをすることを決意した。

 



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