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顔のない魔術師  作者: 宮原 ソラ
日常編
16/24

半魔獣オルドス2


 ラスタは冬でも雪は降らない。

 代わりに、他の季節よりも明らかに冷たい雨が降る。

 今夜はナナシがいない。一昨日、出張に出かけてしまった。詳しい内容は教えてくれなかったけど、ラスタ周辺では手に入りにくい薬草を採りに行くのだという。

 帰りは何時になるか聞くと、

「今日か、明日か、明後日か、明々後日」

 素晴らしく適当な答えが返ってきた。素直にわからないと言えばいいのに。

 とりあえず、数日のうちには戻るだろうから、その間、新しい家をピカピカに磨きつつナナシの帰りを待っていよう。死体が山と出た不気味な地下室にだけは絶対に近付かないけど。

 ……この家に一人きりって、かなり怖い。誰か泊りに来てくれないだろうか。


 いきなり、どんどんとドアを叩かれて、飛び上がらんばかりに驚いた。


 ナナシが帰宅したわけではない。彼なら鍵を持っているから勝手に入って来るだろう。

 アイリーンさんやレイフさんが遊びに来たわけでもない。彼らならドアを叩く前に呼び鈴を鳴らすだろう。それに、来たよん、とこっちの力が抜けてしまうような呑気な声を上げるはずである。

 私は壁に立てかけてある箒を手に取った。竹刀のようにそれを大きく振り被り、玄関扉に向かって、

「誰っ!?」

「すみません。こちらに小さな子供が来ておりませんか!?」

 切羽詰まった女性の声が、誰何に応えた。急いでドアを開けると、そこには若い男女が立っていた。

「こ、子供ですか?」

「うちの子が、こちらのお化け屋敷……あ、いえ、こちらのお屋敷を探検したいと、よく言っていたので。もしや、と……」

 やはり、我が家はご近所様にはお化け屋敷と認定されているらしい。……限りなく真実に近いとはいえ、少々複雑だ。

「いいえ。見てないです」

「そうですか」

 女の人が、くしゃりと顔を歪めた。傍らの男の人が、励ますようにその肩を叩いた。

 たぶん、ご夫婦だろう。子供がこんな夜更けにいなくなったのだ。それは心配だろう。近くにはまだ捕まっていないオルドスもうろついているようだし……。

 はっとした。

 そうだ、オルドス!

 三メートルの巨体を誇る、犬もどき。小さな子供がそんな獣に襲われたら……!

 夫婦は、他も探しますと言って、すぐに立ち去った。私はいったん家の奥に引っ込むと、カンテラと傘を持って外に飛び出した。

(うちの庭……)

 色々と問題のありすぎる我が家だが、特筆すべきはその建物よりもむしろ庭だ。とにかく広い。広くて深い。秘境の原生林をそのまま切り取って据え付けたような有様なのである。

 オルドスだろうが子供だろうが、もっとタチの悪い魔物だろうが、何が出てきても不思議はない。

 ……というか、この庭、もう少し手入れできないものなのだろうか。そのうち本当に妙な生物の巣窟になりそうで嫌だ。

 怖いなぁ、と、思いつつ、私は原生林の中に足を踏み入れた。






 森が深いと、雨降りでも傘が要らないと初めて知った。

 いや、森が深いと、枝葉が邪魔で傘も差せないと言った方が近いだろうか。

 何も考えずしばらく歩いたが、子供の影も獣の形も見えない。自分の着ている服が細かな雨でしっとりと水を含んで重みを増してきたころ、私はようやく捜索を諦めた。

 いるはずがない。

 こんな天気の中。こんな森の中に。

 きっとどこかの軒下で心細くなって泣いているだろう。いや、お化け屋敷を探検したいと一人で飛び出してしまうくらい活発な子だから、案外もう自力で帰宅して、親にこっぴどく叱られているかもしれない。

 私も帰ろう……。


 背中に、突然、息が詰まるような衝撃を受けた。


 何が起きたかわからなかった。気が付いたらうつ伏せに倒れていた。痛いのは勿論、もれなく前身ごろが冷たい。

 濡れた地面に這いつくばっているのだから、当然か。すぐ近くに大きな水溜まりが見えた。あの中に突っ込んだんじゃないのが、せめてもの救いだ。

 上からものすごい力で押さえ付けられていて、全く身動きが取れなかった。転がった洋灯がまだ消えないでチラチラと光を発しているので、何となく周りは見える。

 とてつもなく大きな影……オルドスが、背中に圧し掛かってきていた。

 はっはっ、という興奮した息遣い。べろりと首筋を舐め上げられた。この数日間、ろくなものを食べていなかったのだろうか、ひどい口臭がした。

 その口臭が更に悪化すること請け合いだから、人肉なんて餌にするのはやめた方が良いと思う。……誰か犬語でその事を伝えてくれないだろうか。この空腹のお犬様に。

 雨水とは違う生温かい液体を、肩甲骨の真ん中あたりに感じる。……もしかして涎?

(二十歳で逝くのか。花の命は短くて……じゃなくて!)

 人間、あまりに極限状態に追い込まれると、かえって冷静になるらしい。最後の晩餐はナナシ手作りのハンバーグが良かったと、恐ろしくどうでもいいことを考えた。

 咄嗟にハンバーグが脳裏に浮かんでしまったのは、自分がこれからミンチ肉になるからだろうか。……笑えない。


 背中から、今度もまた突然、重みが消えた。


(え?)

 私の背から飛び退いたオルドスが、少し離れた位置で、巨体を丸めて蹲っていた。

 耳はぺたんこに潰れて完全に後ろを向いていた。顔は地面を食んでしまうのではないかというくらい、低く伏せられていた。オレンジ色の目がキョトキョトと忙しなく動く。

 と、立ち上がって、その場を行ったり来たりし始めた。相変わらず頭を垂れ、ふさふさの尻尾も後ろ脚の間に入れ込んだまま。


 どう見ても犬だ。

 しかも、何かに怯えて、恐れ戦いている……臆病な犬。


(ちょっと)

 まさか私にびびっている?

 私の威厳に打たれて……なんてことはない。オルドスは私の存在など綺麗さっぱり忘れてしまっていた。橙色の獣の目は、私ではない他の何かを、闇の帳の向こうに見出そうとしているかのようだった。

 びくん、と一瞬顔を上げたかと思うと、きゃうん、と情けない悲鳴を上げて、とうとうお犬様は一目散に逃げ出した。


(助かった?)


 何が何だかわからなかったが、とにかく危機一髪で難を逃れたのは間違いない。

 ならば神様がくれたこのチャンスをありがたく活かさなければ、バチが当たるというもの。

 私は起き上がりカンテラと傘を拾った。そして、猛然と駆け出した。広い、と言っても所詮は街中の庭なので、すぐに暗い木立の闇を抜け出すことが出来た。

 モザイク石畳の上に立ち、ぜぇぜぇと呼吸を整えていた時、予想もしていなかった人物に声を掛けられた。

「何やってんだ、お前」


 ナナシ。


 何という偶然。ちょうど出張から帰ってきたところだったのだ。タイミングよくお犬様が逃げてしまった後で良かった。あの場面にナナシが鉢合わせていたら、犬も、森も、全て隈なく氷漬けにされているところだった。

 図体は大きいけれど、どう見ても犬なオルドスがナナシに八つ裂きにされるところは、私としては見たくない……。


(偶然?)


 突然怯えて逃げた獣。

 その直後に現れたナナシ。


(偶然……?)


 違う。偶然ではなかったとしたら?

 オルドスは、獣特有の鋭い嗅覚や野生の本能で、徐々に近づいてくる危険な気配を察知したのでは。


 何をどう足掻いても敵わない相手。

 圧倒的な力で、自分など容易にねじ伏せる……とてつもなく恐ろしい存在。


 オルドスは、ナナシに怯えて、逃げた……?


「なんで泥だらけなんだ? お前、一体何やって……」

 ドロドロの私の上に、ナナシは、自分が羽織っていた雨具を被せてくれた。少し歩けば、そこはもう家なのに。

 飢えた獣に襲われた、とは言わず、私はへらりと笑って、

「ナナシ、早く帰って来ないかなって。外歩いた。転んだ。水溜まりにドボン」

「馬鹿……。風邪ひくぞ」

「そしたらナナシのお粥食べる。すぐ元気」

「その前に苦い薬の方がお前には先だな。たっぷり飲ませてやる」

「それはヤダ」

 家に入ると、そのまま風呂場に直行した。

 汚れを濯ぎ、熱いお湯に浸かっているうちに、緊張感も抜けて、いい具合に眠くなった。湯船から首だけ出して歌でも歌いたくなったが、そのまま沈みかねないので我慢した。

 卸したての寝間着に袖を通し、居間に行くと、ナナシが意外そうに呟いた。


「絶対に風呂場で寝こけると思ったんだがな……」

「風呂場で寝たら溺れる。死んじゃう」

「その前に助けてやるよ」

「……」


 ナナシは凄い魔術師で。博学な薬師で。

 強いはずなのに、時々ひどく不安定に見えて。

 いつも優しい青い瞳が、ふと、稀に、悪魔めいた残忍な光を帯びる。

 まるで、幾つもの色の違う仮面を持っているかのような……不思議な人。

 

 でも。

 やっぱり普通の男なんだと、こんなセクハラめいた発言を聞くと、かえって安心してしまう。


「ナナシのすけべ」

「お前にだけな」

「えっ」

「何を焦っている」

「何でもない!」


 オルドスに襲われた時よりもドキドキしたなんて、誰が言ってやるものか。

 子供っぽいとは重々承知の上で、べえっと舌を出すと、私は居間を飛び出した。

 

(お前にだけな)

 

 その言葉は……。

 うん。少し、いやかなり、嬉しいかもしれない。






 翌日、オルドスが自衛団の手により捕らえられたと、人魚亭で聞いた。

 さすが自衛団だ、街の英雄だ、と、酒場は大盛り上がりだった。

 調子に乗った姉さんが、「私の奢りだよ!」と客たちにタダ酒を振る舞ったので、店内は、真昼間にもかかわらず酔っ払いの大宴会となった。

 どさくさに紛れて抱き付いてくる不埒な輩も出始めて、まだ酔いの回っていないレイフさんが、危ないからと私をこっそり裏口から逃がしてくれた。

「姉さんには俺から言っておくよ。酷いことになっているから、女の子はいない方がいい」

「でも、姉さんも女の人。心配」

「あの人は大丈夫だと思うよ。まぁ、一応俺が目を光らせておくから」

「レイフさんありがと」

 本当は、こんな大騒ぎするような大層な捕り物ではなかったんだけどね、と、レイフさんは、熱気冷めやらぬ背後を振り返った。


「俺たちが見つけた時、オルドスは何かに脅えて、完全に戦意を失っている状態だった」


 だから捕獲は簡単だった。

 網をかけて、麻酔剤を嗅がせただけ。眠った獣を縄でぐるぐる巻きにして檻に押し込むのは、泥棒を一人捕まえるよりも遥かに簡単な仕事だった。

 英雄なんておこがましい……そう言って、元傭兵の青年は笑った。


「オルドスは大型犬と魔獣の混血動物なんだ。頭が良くて、強い。奴があんなに脅えたところ、正直、俺は初めて見たよ」




「半魔獣オルドス」終了です。

次は猫です。

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