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顔のない魔術師  作者: 宮原 ソラ
日常編
13/24

赤い華の幻惑3


 爽快な目覚めだった。

 内臓が口から飛び出しそうな、あの苦しい咳が出ない。すうと深呼吸すると、肺の隅々にまで朝の清々しい空気が流れ込んできた。

 ベッドから出て、数歩歩いた。手も、足も、不自由を感じることなくよく動いた。

 鏡に映った自分の寝間着姿を見て愕然とする。なんで私着替えているんだ? 確か食堂で倒れて、その時は部屋着を身に着けていたはずで……。

 ナナシは薬師。お医者さんのようなもの。

 変な想像はするまい。いや、そもそも着替えさせたのがナナシかどうかもわからない。アイリーンさんが、見舞いに来たついでに服を替えてくれたと考える方が自然だろう。


 その時、ぐうっとお腹が鳴った。


 空腹に促されるまま、私は部屋を出て台所に向かった。

 コンロの前で、ナナシが慣れない米の煮炊きに四苦八苦しているところに出くわした。

「ナナシ、米炊いているの?」

 声を掛けると、

「火加減がさっぱりわからん」

 と言いながら、鍋の蓋を開けた。どろりとした半分液体のようになったご飯が現れた。狙ったわけではないが、上手いことお粥に仕上がったらしい。病み上がりの私には有難い料理がそこにあった。

「凄い、ナナシ。初めてお粥、こんなに上手」

「オカユ?」

「うーんと。米、たくさんの水でコトコト。柔らか」

「要は水の量と火加減を間違えたということか……」

 まぁ、食えるならいいや、と、ナナシがお粥を器に盛り付けようとして、手を止めた。

「このままでいいのか? 何も味がしないんだが」

「重病の人、そのまま食べる。でも、私、もう咳ない。……お腹すいた」

「何か入れて欲しいってことだな」

「うん。いっぱい。色きれいに」

「贅沢な病人め……」

 と、言いながら、食糧庫を漁って、ナナシが卵と干し貝柱と青菜を持ってきた。

 雑炊なんて作ったことがないだろうに、勘だけで、和食屋にも出てきそうな美味しそうな一品料理を作ってくれた。

「感動……」

「してないでいいから、さっさと食え」

 出来たて。熱々だ。

 ふぅふぅと冷ましながら、匙を口に運ぶ。ほんのりと醤油の味がする。ラスタは港町だから、魚醤は豊富にある。ナナシにとっては馴染みのない調味料だろうに、よく初挑戦の料理に使用する気になったものだ。

「幸せ……」

 あんまり美味しくて、口の中に掻き込んでいると、

「お前、もう少し落ち着いて食えよ……」

 ナナシに白い目を向けられた。

 美味しいものに幸せを感じられるのは、自慢できる私の長所だと信じている。なので、冷たい視線を真正面から受け止めて、魔術師の前に空のお椀を差し出した。

「御代わり」


「三日も寝込んでいた割には、すこぶる元気だな」


 何気ない一言に、少なからず衝撃を受けた。

「三日!?」

 ナナシが棚の上から日めくりを持ってきた。カレンダーの類はこちらの世界ではあまり一般的ではないが、薬品の調合に必要不可欠なため、ナナシは家中いたる所に普段から備え付けていた。

 私が記憶している日付から、間違いなく三日が経過していた。

「お前は丸三日意識が無かった」

「人食い屋敷の呪い……?」

「何だ、呪いって。そんなものあるわけないだろ。原因は黴だ。カビ!」

「カビ?」

「屋敷の地下で黴が大量発生していたんだ。これまでに変死や失踪が続いていたのもそのせいだ。毒性の強い黴だから、体調を崩して慌てて夜逃げしたり、中には死んだ人間もいたんだろう」

「カビ……」


 湿気の多い風呂場の、目地の奥にこびりついている、あの黒い?

 食べ残しのパンを何日も放置した時の、ぽつぽつと表面に生えてくる、あの緑の?


 違う。


 唐突に思い出した。

 五感を麻痺させる甘い匂い。誘い出された先に広がる、花の群。巨大な生物の心臓のように脈打つ宝石。

 瞼の奥に焼き付いているのは、黒でもない、緑でもない、血と火で染め上げたような……ぞっとするほど深い(あか)


「でも、ナナシ。花があったよ。変な石も。それに匂い。甘い匂い」

「花? そんな物なかったぞ」

 二杯目のお粥をナナシがよそってくれた。いきなり大量に食べたら体の負担になるから、と、一杯目の半分ほどの量だった。

「嘘! あったよ。赤い花。赤い石」

「夢でも見たんじゃないのか」

「そんなことない!」

 雑炊の椀をテーブルの上にどんと置き、椅子を蹴倒すようにして私は立ち上がった。


 夢のはずがない。

 幻でもない。

 私はあの化け物屋敷に食われる寸前だったのだ。

 ナナシがくれた雪のペンダントがなぜか突然霜を発して、毒花の絨毯に沈みこもうとしていた私を正気に返してくれたから、難を逃れることが出来たけど。


「じゃあ、これから見に行くか?」

 ナナシが言った。

「えっ?」

「お前の体が辛くなければ、だが」

「行く!」

 雑炊を急いで胃に流し込んだ。

 ナナシは気付いていないのかもしれない。あの不気味な地下室の存在を。

 だったら私が教えてあげなきゃ。今度は、マスクもゴーグルも完備して……。


「そんな物はいらん。あの家はもう普通の家だ」


 辻馬車を二つ乗り継いで着いた人食い屋敷の中で、私は、ナナシのその言葉の意味を知ることとなる。






 立派な玄関扉を開けて、すぐに異変に気が付いた。

 空気が冷たく澄んでいる。淀みはなく、かすかな風の流れすら感じた。纏わりつく不快な臭いもない。

 全ての鎧戸が取り払われ、室内には燦々と陽が降り注いでいた。明るく光に満ちた廊下を私はナナシの先に立って駆けたが、息が切れるほど急いでも、額や背中が汗ばむことはなかった。

「ナナシ! これ! この鉄の扉!」

 地下への入り口の鉄扉は、私の記憶と寸分違わず、そこにあった。

 鍵も勿論かかっていない。三日前、私が逃げ帰ったままの状態になっている。

 後ろからのんびりと歩いてくるナナシが追い付く前に、私はドアを押し開けた。

 階段を駆け下りる。石の壁が土の壁に変わった。ところどころ手を加えた半人工の洞窟。それがとうとう私の目の前に現れた。


「うそ……」


 何も無かった。

 赤い石も。紅い花も。

 ナナシが言った、黴すらも。


「だから言っただろう? この家はもう普通の家だ」

 ナナシが地下に入ってきた。手に洋灯を提げていたが、それだけでは光量が足りないので、小さな魔法の玉を作って天井すれすれに掲げてくれた。

 蛍光灯のように白々した光が辺りを満たす。隅々まで見渡せた。隅々まで見渡しても……そこにはただ無機質な土の壁と地面があるばかりで、血と火を振り撒いたような緋色など、どこにもなかった。

「そんな……」

「納得したか?」

「で、でも、じゃあ、黴は?」

「あんな危険なもの、いつまでも放置しておくはずがないだろう。お前が寝ている間に全部始末した」

 呆然として突っ立っている私の手を引いて、ナナシは地上へ戻った。

 外に出ると、熱を生み出す石も、赤い花も、毒黴も、何もかも夢物語のように消え失せた館の全貌を見上げ、

「数日のうちに引っ越すぞ。お前も荷物をまとめておけよ」

「は?」

「引っ越し。立地条件もいいし、ここに決めた」

「へ!?」

 いやだって。人食いの館、なんて縁起でもない二つ名を戴いている訳あり物件なわけで。

 元凶の毒黴を根絶したとはいえ、変死者が出たこともある事実は消しようもなく。

 引っ越しなんて何度も出来るものではないのだから、もう少し考えようというか、慎重に決めたいというか……。

「今更変更は出来んぞ。もう買ったから」

「は? 買った?」

「買った」

「え? 借りた?」

「いや。買い取った。安かったから」

「はいぃぃ!?」

 安かった? 化け物屋敷と呼ばれたとしても、こんな広くて立派な土地付き一戸建てを、キャッシュでぽんと? いやローンか? ローンなんてあるのか、この世界。

 え? え? 私が知らないだけで、実はナナシは大金持ち? 魔法薬師ってそんなに儲かるの? あれ? あれれ?

「少し落ち着け。たまたまこの屋敷なら買える程度の持ち合わせが出来ただけだ」

 何が何だかわからないままに、とにかく元の古家に戻った。

 その間、しつこくしぶとく新居を買った値段を聞き続けたが、ついにナナシは教えてくれなかった。


 わからない。

 何が起きた?

 何が本当?


 赤い石と赤い花。

 毒性の強い黴。

 安かったからと、私が寝ているわずか三日の間に、人食い屋敷を買い取ってしまった魔術師。


 真実は、どれ……?




次回、「赤い華の幻惑」終了です。

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