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顔のない魔術師

 突然の話で恐縮だが、私は、ある日、異世界に落っこちた。


 落っこちた先はファンタジーではお馴染みの剣と魔法の世界だった。国があり、街があり、城があった。そこの騎士らはちゃんと剣を持っていて、馬も上手に乗りこなしていた。

 竜はいないが一応「魔物」と分類されるような生き物もおり、その生き物たちのおかげで、傭兵とか冒険者とか呼ばれる彼らが廃業に追い込まれることもなく、適度に人様の尊敬を集めていた。

 ただし……ここが肝心、魔法が地味だ。火や雷を操って派手にドッカンなんて、どこのお伽話だと某魔術師には鼻で笑われた。

 じゃあ何のために魔法はあるのかと問えば、「人の生活を良くするために」と、哲学者が嘯くような素敵な模範解答をもらった。

 植物の成長を促したり、薬の効果を高めたり、水がお湯になるのを少し早めたり……。それが魔法の役割らしい。


 なんだその生活感。

 ……嫌いじゃないからいいけどね。そういうの。


 そんな(若干地味だが)ファンタジーな世界に来てしまった私だが、はっきり言って、ちっとも嬉しくはなかった。

 まぁ、何というか、私はいわゆる現実主義者だったのだ。

 来た時期も悪かった。高校三年生の秋も終わりの頃だったのだ。受験シーズンたけなわ、みんな目の色を変えて参考書や過去問と睨み合っている今この時、何の冗談だ、嫌がらせか、と、心底神様と仏様を恨んだことは、信心深いこちらの住人には口が裂けても言えない事実である。


 付け焼刃だからね、しょせん受験の知識なんて。

 忘れる。忘れるよ! 早く帰らないとやばいよ!


 泣き叫んだあの日から、はや二年。

 そう。私がこの世界に迷い込んでから、既に二年近くが経過していた。


 ちなみにこの二年は語学との戦いだった。

 異世界でも言葉が通じる、は、この手の物語の揺るぎなきお約束ではなかったのか。少なくとも、向こうの世界の私はそれを固く信じていたのに、現実は無駄にシビアでリアリティ満載だった。

 異世界は、真の意味で異世界だった。こちらの住民は日本語など知るはずもなく、私もまた異界語など喋れるわけもなかった。

 毎日がヒアリングの実践授業である。受験生なのに、英語じゃなくて異界言語の勉強がメインって、どうなんだ……。


『おい、ユイカ。湯が少し足りない。沸かしておいてくれ』


 不意に声を掛けられた。

 それなりに大きな街の、とんでもなく外れの洋館に、私はひっそりと住んでいた。もちろん、私の家ではない。二年前に私を拾ってくれた命の恩人の館である。

 その恩人は名を「ナナシ」という。本名ではない。

 拾われて間もなくの頃、まだほとんど言葉のわからない私が、拙いながらも自己紹介をして、そして恩人に名を聞くと、彼――もしかしたら「彼女」かも知れないが、便宜上、彼としておく――は「名無しだ」と答えたのだ。

 当時の私は意味がわからず、額面通りに受け取った。

 そういう訳で、以後、ナナシと呼んでいる。


「あんなに沸かした。足りない? ナナシ使いすぎ」


 まだまだ発音のおかしな片言喋りとともに、私は振り向いた。

 いい加減もう慣れたが、初対面の時には悲鳴を上げて倒れてしまった恐ろしげな姿が、そこにはあった。


『仕方ないだろう。魔法薬を作るにはたくさん必要なんだ』


 まず、ナナシには顔が無い。人間の顔の部分には完璧なるのっぺらぼうの白い仮面が張り付いており、その面の縁から黒い布地がさながら髪と髭のように伸びている。

 黒い布は長く量もたっぷりで、体の全てを覆い隠して床を這っていた。黒い布の両脇にはポンチョのようなひらひらした袖があり、そこからやはり黒い長い手袋がにゅっと突き出していた。


 何というか、怪しい。

 いや、怪しい、などという一言で括ってしまって良いものなのか……。とにかくもの凄く不気味な様相である。


 ちなみに、私、この黒い布の中身はどうなっているのだろうと、めくったことがある。

 結論としては、何もなかった。中は空っぽ、空洞だった。

 見なかったことにしよう、と、私はこの記憶をすっぱりと闇に葬り去ることにした。古い洋館のどこに行ってもナナシが足音を立てずに歩くのが不思議だったが、それもそのはず。

 足が無いなら、音も立てようがない。

『頼んだぞ』

 ナナシはすーっと滑るように歩いて? その場を去った。

 のっぺらぼうのナナシが、仮面の奥か、それとも全く別の場所からか発する声は、出来の良すぎるボイスチェンジャーを通した音のように、性別の全く分からないものだった。

 いや、そもそもナナシは人じゃないのか。

 それどころか、生き物ですらないのか。……たぶん。

 こんな薄気味悪いナナシと私が一緒に住んでいる理由は、一つしかない。

 ナナシは、私を拾ってしばらく経った後、私が辛うじて日常会話をこなせるようになった頃、言ったのだ。


『二年待ってくれれば、お前を元の世界に帰せる』


 だから、私はナナシのそばにいる。

 訪れる者もほとんどいない古い洋館で、面妖な風体のわりには真面目に魔法薬師などしているナナシの手伝いをしながら、運命の日がやってくるのを待っている。

 私がこの世界に来てから、今日で一年と十一か月目。


 あと一か月で、私は、元の世界に帰ることが出来るのだ。




全四話です。

軽い読み物として楽しんでいただければ嬉しいです。

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