命と大切なもの
「今日は楽しかったね!!」
桃花が満足げに微笑む。お土産の入った袋をぶら下げながら、桃花はまだ遊び足りないとばかりにくるくると回る。
美香と桔梗と別れたあと話し合って、俺と藍が桃花を送ることになった。
陽はとっくに落ち、街灯と周りの家の光が俺達の影を幾重にも作り出している。
くるりと振り返った桃花は少しだけ顔を強張らせる。一瞬の沈黙のあと、桃花が重そうに唇を動かす。
「氷雨お兄ちゃん、藍お姉ちゃん。アタシね、――『誰か』に見られてるの」
あまり言いたくなかった、そんな顔でぼそりと告白した。
「でも、アタシを殺すために動いてないと思うの……」
ゆっくりと言葉を選ぶように、ゆっくりと話していく桃花。
「なんでそう思う?」
「基本的に何も考えてないんだよ。――死んでるのに」
死んでるだって?
確かに桃花が死者の声を聞くことが出来るのだから、僅かな差異で生死が分かるのだろう。それでも、何も言わないだけで、殺意がないと断言できるものだろうか?
彼女がゆっくりとその細い腕を伸ばす。
「――今もあそこにいるよ」
顔を向けると、街灯に微かに照らされ、その赤黒い肌を晒した人型のそれが、ねっとりと粘っこい視線をこちらに向けていた。
反射的に藍が石を拾い、『誰か』に投擲する。自由落下するほどの余裕も与えられないほどの速度の石が誰かの足を掠め、暗闇に消えていく。漆黒の中でなにかが弾ける。
「少し行ってくるよ!!」
大した傷を負わせられなかったと感じた藍が後ずさる『誰か』に駆けだす。それを知ってか知らずか、『誰か』が暗闇に消える。それを追い、藍も漆黒に消えていった。
「お姉ちゃん、大丈夫かな?」
「……こんなことで死にはしないさ」
確証はないが、藍を信じるしかない。
再び静まり返る街。その中には俺と桃花だけが取り残されている。その闇に飲まれそうになりながらも、俺は藍の消えていった道の先を見つめていた。
ひたひたと生足が地面を踏む音が、次第に大きくなっていく。
「――氷雨?」
暗闇から現れたのは藍だった。彼女は靴を履いておらず、素足だった。俺を見た藍が小首をかしげる。
「なに? その心配そうな顔は?」
「おまえ、……足、どうした?」
藍がそんなことか、とばかりに空を蹴った。
「あのサンダル、紐が切れちゃったから捨ててきた。あー、高かったのになー」
まるでさっきのことなんて忘れたかのように、わざとらしくうなだれる藍。
「藍、こっち来い」
「ん? なに?」
藍を手招きする。それに答えて、藍が俺の前にとことことやって来る。
「ほら」
俺はしゃがんで、背中を彼女に向ける。その動作に疑問符を浮かべたように戸惑う藍。
「足の裏、傷だらけじゃねえか」
あぁ、と納得したようにその足を上げて、その様子を確認する。足の裏は砂利で切れたのか、小さな傷だらけで赤くなっていた。
「これっくらい、なんともないよ」
「跡になったらいけないだろ? あと靴もないし」
一声唸ったあと、藍が俺の背中に収まる。
「帰ったら消毒してやるからな」
「消毒ヤダー! 痛いもん!」
子供みたいなことを言いながら暴れる藍をおぶりながら、桃花を家まで送る。
その帰り道、おぶった藍がその腕の締め付けが少し強くなる。彼女も家に置いていこうと思ったが、俺の夕食を作ると聞かなかったので、おぶったまま折り返してきた。
「ごめんね。逃がしちゃったよ……」
「そんなことは気にしてない。それより、怪我ないか?」
一通り身体を見回したのか、一呼吸置いた藍が「うん」と頷く。
その会話の中でも、俺はひとつのことを考えていた。
『あの死んだ人、――ずっと「つきほ、つきほ、つきほ、つきほ」って、それだけを呟いてるの』
つきほ。その言葉に心当たりはひとつしかなかった。これで『誰か』と彼女の接点は明確になった。それを月穂に聞いたところで答えるだろうか。
暗闇の中で小さな疑問がぼんやりと浮かんで、俺の心の隙間をさざめき立てる。
「氷雨。あんまり一人で行動しちゃダメだからね」
藍が様子の変化を感じ取ったのか、俺の背中に頭を押し付ける。
「……、おまえに言われたくないっての!」
「いたっ!」
おでこを弾く小気味いい音が明るく響く。藍の声に口からは笑いが漏れる。
「やったなー!」
背中の肉を抓られる。その痛みが俺の心の疑心に似た疑問をこの先の暗闇へと追いやっていった。
考えるのは明日からでいい。今日はただ、背中で暴れる幼馴染の足にしみるほどの消毒液をかけてやる。それだけを考え、一歩一歩足を動かす。
この暗闇の先には何でもない、ただ俺の家があるだけだ。




