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愛に至る病  作者: 深津条太
忌み嫌われる意識の行方
27/32

今と嘘

「おはよ、氷雨!」

 朝、藍に起こされると、朝食のいい香りが鼻に届いた。

「桃花ちゃんのことはびっくりしたなぁ」

 藍がぽつりと呟く。昨日家に帰ってきてから、藍に明穂から聞いたことを全て話したのだ。それを聞いた藍の反応はあっさりとしたものだった。

『それだけなのかなぁ?』

 昨日、考え込んだ藍はそう呟いただけだった。

「氷雨? ご飯冷めちゃうよ?」

 ネコがプリントされたエプロンを外しながら、藍が小首を傾げた。

「あぁ。藍を待ってたんだよ」

「ふふ、嘘ばっか」

 藍がにこりと笑う。彼女には見抜かれているようだ。

「わたしは氷雨が無事ならなんでもいいの」

「……ありがとな」

 少し恥ずかしくなって、目を逸らし合う。俺達はなにをしているんだろうか。

「えっと、さ、先に外で待ってるよ」

 がたがたと騒がしく椅子から立ち上がった藍が空いた皿を片付け、外に出ていってしまう。俺も急いで食い終えて、彼女を追いかけるように家を出た。



「やっと来たね」

 教室に入ると、美香に声を掛けられた。その後ろでは桔梗が眠そうにその丸い目を擦っていた。

「少し大切な話。ほら、近くに来て」

 手招きする美香に顔を近付けると、彼女が小声で話を始める。

「死んじゃった友達の遺書に気になる噂があったのを思い出したんだ。最初はただのストーカーだと思って、アタシ達に相談してたんだけど、途中からぱったりと相談を止めちゃったんだよ。彼女はやつれていくし、どんどん周りから孤立していったの。でも彼女はね、――救われた気がするって言ってたんだって。そのあとすぐに『解放された』って書き残して、練炭で自殺したの」

「話が見えないんだが?」

「救われたって、どういうことか、引っかからない?」

 美香が得意げに唇を曲げる。

「――じゃあ、もっと詳しく聞かせてほしいわね」

 突如、俺たちの輪に無理矢理入ってきたのは、まるで魔女のように冷徹な笑みを浮かべた明穂だった。明穂が美香と桔梗を一瞥する。

「あなた達、事件とは関わらないって言ったわよね? 約束を覚えていないのかしら?」

「これは友達の自殺の問題です! それに他の友達も死んじゃうかもしれないんですよ?」

「死ぬのがあなた達になるだけよ」

 明穂が諦めるように言葉を吐き捨てる。

「大丈夫です。氷雨君が守ってくれるはずですから」

 美香が笑顔を浮かべ、俺に向けてウィンクをした。

「あら、そうなの。頑張ってね、氷雨君?」

 明穂の浮かべた笑みから、尋常じゃない殺気が放たれている気がする……。その視線を無視しながら、脱線していた話を元に戻そうと口を開く。

「時間もないし、さっさと本題に行こうぜ」

 そうね、と明穂も小さく頷いた。その顔を再び引き締め、口を開く。

「でも、このことを調べるのは避けた方がよさそうね。きっと、私達が事件に調べていることがすぐに広がってしまうわ」

「……そう、ですか」

 ぎりっと唇を噛む美香の肩に桔梗が手を置く。美香は置かれたその手に弱々しく手を添えた。

「私達が無理して怪我でもしたら、文美も悲しむよ」

 文美、何度かニュースで耳にした被害者の名前だ。この学校の生徒だとは聞いたが、この二人の友人だったというのは初耳だった。事件を調べたのも、藍を手伝うためだけではなかったのだろう。

「明穂、新しい情報だ。黙って聞いといた方が早く事件を解決できるぞ?」

「ふん、私は月穂が悪人だと証明したいだけで、事件には興味ないわよ」

 明穂がつんとそっぽを向いてしまう。

「あんまり周りの人間を巻き込みたくないんだろ?」

「そんなことないわ。私以外の人間がどうなろうと、知ったことじゃないもの」

 そっぽを向いたままの明穂が毒づく。

「それなら二人が事件を調べようと関係ないんじゃないのか?」

「変に動かれて月穂に逃げられたら困る、それだけよ」

 唇を尖らせた明穂が、じとりと俺のことを睨んだ。俺はため息を吐いて、明穂に聞こえないように呟く。

「――ホント素直じゃねえヤツ」



 放課後、いつもの三人に美香と桔梗を加えた五人で話しながら帰っていた。その内容は格安のデザートやファッションなんかのあまりにもたわいない話だった。もちろん俺は蚊帳の外だ。最後尾で何かをするでもなく、頭の後ろで腕を組みながら、その様子を眺めている。

「お兄ちゃん、暇そうだねー」

「あぁ、すげぇ暇だ。――って、いたのか?」

 後ろからの声に振り返ると、桃花がとことこと後を着いてきていた。俺と話す幼女に気付いたらしく、美香が声を上げる。

「なに―? そのかわいい娘はっ!?」

 明らかに振り切れたテンションのまま、美香は桃花を抱きしめる。

「ぐるじい……」

 元々かすれた声をさらにかすれさせながら、美香に抗議する。だが、美香にはそんな言葉は聞こえていないようで、頭を撫でたり、頬をこねくり回したり、やりたい放題やっている。

「美香? 迷惑かけちゃダメでしょ?」

 ため息を吐きながら、桔梗が桃花に抱き着く美香を引きはがす。美香はまだ物足りなさそうに下唇を突き出している。

 桃花はおびえた目でその様子を眺めている。これは明穂みたく嫌われただろうな。

「ごめんねー。かわいい娘に目がないんだよー」

 落ちついたのか、美香が桃花に謝る。

「お姉ちゃんも悪気があったわけじゃないだろうし、もう気にしてないよ」

 かなり大人な対応をする桃花。この中で桔梗に並ぶくらいに常識人じゃないだろうかと思うくらいだ。

「それで、お前はなんでいるんだ?」

「そうそう! 氷雨お兄ちゃん、遊園地行こうよ!」

 桃花がどこで手に入れたのか、パンフレットを掲げる。なんでいきなり? そう聞こうとしたが、それより早く藍が反応した。

「楽しそう! 行こうよ、氷雨! ねぇ、行こうよ!」

 藍が年甲斐もなくはしゃぎはじめる。彼女がこうなったらどうやっても止められないのは、長い経験から嫌というほど思い知らされていることだった。

 すぐににぎやかに騒ぎ出す。どうやらみんな乗り気のようで、なにに乗りたいかなんて会話が始まってしまう。

 その輪に入らずにいる明穂の顔を覗くと、『なによ』と訴えるような視線を向けられる。

「お前は来ないのか?」

「……そうは言ってないでしょう」

 恨めしい視線が俺に刺さる。そのまま腕を組み直してからはしゃぐ輪を見る明穂。俺はそんな彼女にこっそり近付き、その背を押した。

「俺はシューティングの奴やりたいな!」

「えー? ジェットコースターの方が楽しいじゃん!」

「コーヒーカップも落ち着いてていいよ」

 少し驚いた表情の強情な先輩を連れ、みんなの輪の中へ割り込んでいく。

「明穂は何に乗りたいんだ?」

 俺の質問にふっと笑った彼女が、先輩をつけなさい、と俺の鼻を弾いてから答える。

「私は観覧車とか乗りたいわね」

「先輩ロマンチックですね!」

 そんなことないわよ、と顔を背けた明穂と何故か目が合う。すると当然のように俺の腕を抓ってきた。俺が何をしたというんだ?

「うるさいわよ」

 心の声を読んだであろう彼女が腕を抓る力をさらに強めてきた。

 腕の痛みを感じながら、白から紅に染まりはじめる太陽をぼんやりと眺める。この日常が死者達の腕で支えられているようで、少しだけ罪悪感が生まれていた。

「そんなことないわよ。何も行動しない人達よりは、君はそれなりにやってる。それは誇るべきことよ」

 だだ漏れだった思考に、明穂の慰めの言葉が微かな痛みを伴って溶けていく。

 伝わっているんだろうと思いながらも少しだけ優しい表情の明穂に、ほんの少しだけ感謝しながら、遊園地を楽しみに思った。

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