肉に餓える命
桔梗は翌日、学校に復帰した。
「お騒がせしました……」
腰を曲げ、背の低い桔梗がさらに高さを失う。
「そんなことないよ!ほら、顔上げて?」
藍が彼女に頭を上げさせる。
「ほら、藍が困ってるからやめなよ」
彼女に付き添う美香が苦笑いを浮かべる。おずおずと顔を上げた桔梗の目には、戸惑いと後悔の色が残っている。
「遠慮するなよ。俺達は絶対におまえの味方なんだからさ」
ふわりと微笑んだ桔梗の目は俺を一直線に見つめた。
そして、俺の手を取る。
「氷雨君はこの手で一体、誰を助けたいの?」
「俺は…………」
俺は答えを出すことが出来なかった。
誰を助けるのか。その責任が俺の思考を乱れさせ、答えを出すべき口はカラカラに渇いていた。
「今、答えを出さなくてもいいけど、いつかは決めることになるよ?」
桔梗は儚い笑みを浮かべたまま、俺の手を握る手に一瞬、力がこもる。
「二人とも大丈夫みたいね」
桔梗と繋がった手を裂くように、明穂が俺と桔梗の間に割って入る。
「あなた、心弱すぎよ」
薄い笑みを浮かべる明穂にいたずらな笑みを向けられる。全て把握済みのようだった。そして、とどめを差すように、俺に囁く。
「あなたの手は自分が思っているより、細くて短いものよ。―――抱える重荷の限界は案外、少ないものだと覚えておくべきね」
彼女の指摘は耳の奥底から脳みそに絡みついていた。
それから数日、新たな被害者は出ることはなく、俺達の捜査にも進展は無かった。
夕空の下を歩いていると、藍が唐突に尋ねた。
「今日はどうするんです?」
「月穂を問い詰めるわ。姉は絶対、何かを知ってるはずよ」
「でも、どこにいるかわかるのか?」
「もちろんわからないわ」
茜空を見上げながら、明穂が吐き捨てる。
「月穂は都合が悪い時はすぐに姿を消すのよ……」
「あいつの都合がいいか、悪いかの確認ってことか」
「そういうことよ」
「それでも早くしないと、日が暮れちゃうよ?」
藍に指摘され、太陽を見上げる。太陽が何かに一瞬遮られる。
――ぐちゃり。鈍い音が間近で響く。
「……な」
地面には紅の花が咲き誇った。
その真ん中には制服を着た女生徒が、目を見開きながら踊っていた。だが、二、三回跳ねた後、動かなくなる。彼女は既に絶命したようで、大輪の中で静となる。
他の生徒も、状況を掴みはじめたのか、各所から悲鳴が上がりはじめる。
「氷雨君、あそこよ」
逃げ惑う生徒の中、明穂の視線は上を向いていた。それを辿ると、窓のひとつが開き、カーテンがはためく教室がある。
「藍さんは救急車を。氷雨君、行くわよ」
明穂が駆け出す。
藍をその場に残して、明穂を追い掛ける。
昇降口を駆け抜け、靴を履き替えることもせず、彼女に着いていく。一段飛ばしで階段を上がっていく。
追いついたとき、明穂が教室のスライド式の扉の前で扉にもたれていた。
「どうしたんだ?」
「鍵がかかっているわ」
扉に手を掛けるが、スライドを遮られている。
「……仕方ないわ」
明穂が折り畳みナイフを取り出した。それをおもむろに振りかぶり、窓へと投げる。
甲高い音が響いた。
明穂は窓に開いた穴に手を入れ、内側から鍵を開けて、教室内に侵入する。俺もそれに続いた。
教室はひどく荒らされていた。
「きっと、彼女がやったのね」
ナイフを拾い上げた彼女が呟く。
鍵がかかっていたと思っていたスライド扉はハサミや筆記具が突き刺さっていた。それが扉の稼動の邪魔をしていたのだろう。
扉に文具を突き刺すほど錯乱する状況とはどんな状況なのか。
「氷雨君、これを……」
差し出された携帯電話のヒビの入った画面には、メールが立ち上がっており、本文に一文だけ打ち込まれていた。
『たすけて。だれかにみられて』
変換もされていない書き掛けの文章を打ち終える前に、彼女の身に何かが起こり、手放してしまったのだろうか。
「なあ、明穂」
「――――!?」
俺の声は彼女に届いていないらしく、彼女の意識はひとつのもの以外知覚していないようだった。その視線を辿ると、俺も自分の目を見開いた。
野次馬の中に人型の何かが佇んでいる。力なく垂れた頭に、歪んだ振り子のように振れる腕……。それは、人と呼ぶにはあまりにも曖昧で、グロテスクだった。
「明穂!行くぞッ!!」
立ち尽くす明穂の手を掴み、走り出す。
「氷雨!?」
「くそっ、明穂を頼む!」
なぜか反応を示さない明穂を藍に任せ、さっきの人型が佇んでいた場所へ走る。
「くそっ!どこにいやがるッ!?」
着いたとき、既に人型は居なくなっていた。
それでも、まだ近くにいるはずだ。俺は休むことなく走り続け、校門を抜け、路地を曲がる。
人目のない場所にいるはずだ。細い路地を通り、人の少ない公園に出る。遊んでいる子供も、ブランコに座っている少女だけだった。
「逃げられたか……」
ギリッと奥歯を噛み締める。
逃げられたことを自覚した途端、いままで眠っていた疲労が目を覚ます。ベンチに倒れ込み、夕空を見上げる。
赤く染まる空とあの女生徒の死体がリンクし、脳裏を掠める。
「また誰か死んじゃったの?」
風邪を引いている時のような、独特のしわがれた声が俺の耳を撫でる。問題なのは声なんかじゃない。
顔を向けると、さっきまでブランコにいた少女が間近で俺を見ていた。
「さっきのは、君が……?」
鬱陶しいからなのか、前髪をちょんまげのように結った少女が、カバンから取り出したメモ帳にボールペンを走らせる。
『さっき死んだ人の声が聞こえたの』
嘘には聞こえないような、真っすぐな瞳で俺を見る少女の影が俺を蝕んでいた。




