似合い者
夢を見ていた。
水に沈み、空を眺めている。空を遮るものはなく、ただ広い空を見ていた。
水と空だけの世界。手を伸ばして、無限に広がる空を切り取ってみる。手の形に合わせて、空が切り取られていく。
『――氷雨』
どこからともなく響いた声が、ひたすらに穏やかだった水面を躍動させる。水しぶきが踊り、俺は身体を起こした。
「――氷雨っ!」
「いてっ!?」
現実に意識を戻すと、藍が片手で俺を吊るし上げていた。
「やっと起きてくれたみたいだね」
廊下から見ていた美香が、やれやれと首を振る。
「さあ、桔梗さんの家へ行きましょうか」
明穂が大げさに宣言する。
「おまえも来るんだな」
当たり前だと言わんばかりに、彼女は口許を歪めた。
「あら?ご不満かしら?」
明穂がわざとらしく首をかしげる。
「私の判断ミスで彼女を傷つけてしまったわ。何もしないっていうのも、無責任じゃないかしらね?」
明穂がにっこりと微笑む。こいつはどこか裏があるだろうが、その答えをすぐ見つけられる場所に転がしておくような人ではないだろう。
それでも一つだけ、彼女に言っておくべきことはある。
「今日は心を読むのは禁止だからな」
明穂にこっそり耳打ちをすると、わかってるわよ、と無愛想に追い払われる。
今日の空は綺麗に晴れていた。日も傾きはじめたばかりで、まだ赤が弱く、白んだ日光が降り注いでいる。
四人の先頭に立ち、呼び鈴を鳴らすのは美香だ。
やはり昨日のように、反応はない。
「やっぱり反応がないわね……」
明穂が諦めるようにため息を吐き出す。
「開けなさーいっ!!」
そんな諦めムードを吹き飛ばすように、美香が声を張り上げた。あまりにも直線的な叫び声に、この場にいた美香以外の全員が硬直する。
「……美香ちゃん?」
玄関のドアが少しだけ開き、桔梗がその顔を出す。彼女の顔は少しやつれ、瞳は虚ろだった。
「え、氷雨君に藍、先輩まで……?」
「ちょっとお話しようよ」
美香が明るい笑顔で微笑み掛ける。
「え…………」
「桔梗が学校来ないとつまんないから迎えにきたの!」
俯く桔梗に美香が近付く。手を取ろうとする美香に桔梗がビクリと身体を震わせる。
「……ごめん」
美香が彼女に伸ばした手をおずおずと引っ込める。
「ううん、私こそ……」
さらに桔梗の顔にも影が落ちる。
「でも、アタシも桔梗がいたから立ち直れたんだよ。だから、桔梗にも立ち直ってほしいんだ」
美香は再び、今度はゆっくりと手を差し出す。
そんな二人を見て、明穂が小さく微笑む。
「私達は必要無いみたいだし、今日のところは帰りましょうか」
「そう、だな」
手を取り合う二人を見届け、俺達はこっそりと立ち去った。
美香はうまく桔梗を救えただろう。そんな確信を胸にさっぱりと晴れた夕空の元を歩く。
「あの二人、やっぱり仲いいね」
「そうだな」
藍が羨ましそうに空を見上げる。
「なんか、信じあってるような感じだよねー」
わざとらしく手を振って、大きく一歩を踏み出した藍は夕陽に照らされ、赤く染まる。その反対に延びる影が、俺の影と重なる。
「氷雨はわたしのこと、信じてくれてる?」
くるりと振り返る藍の顔は少し晴れ晴れとしていて、俺の姿を真っすぐに捉えていた。
「あぁ、信じてるさ」
「へへ、ありがと。じゃあ、先行ってるよ!!」
藍は小さく笑うと、視界に入ってきた我が家に駆けだした。




