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愛に至る病  作者: 深津条太
贄となる幼い希望たち
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滲んだ心

「落ち着いたか?」

「……そんな簡単に落ち着かないよ」

 膝を抱えて俯いたままの藍の瞳からは、止めどなく涙が流れ続けている。

「ねえ、氷雨は平気なの?」

 藍がぼそりと呟く。

「そんなわけないだろ。……でもさ、今は嘆くときじゃないだろ?」

 あの二人は生きている。立ち直らせることだって出来る。

「……氷雨」

「どうした?」

 藍は赤くなったままの目で俺を見る。


「――わたしも氷雨と一緒にこの事件を調べたいよ」

 細い藍の手が俺の手を握る。

「それだとおまえにも危険が……」

「わたしを誰だと思ってるのさ?」

 泣き出しそうな表情の藍が、今にも崩れてしまいそうな笑顔を作ってみせる。

「――わかったよ。明穂に頼んでみるさ」

 彼女の態度の中に覚悟が透けていて、藍はどうやっても退かないだろうことは分かる。危険も十分に理解しているはずだ。

「やるとしても、絶対に無茶はするなよ」

「うん。ありがとね」

 控えめな声で藍が感謝を言い、力が抜けたように椅子に座った。


「ねぇ」

 藍が顔をこっちに向ける。

「前にも聞いたけど、氷雨はわたしの味方だよね?」

「当たり前だ。でも、いきなりどうしたんだ?」

「ううん、なんとなくだよ」

 それだけ言うと、また俯いてしまった。



 部屋にカチコチという時計の針の音だけが規則的に流れていく。やがて、小さな寝息がそれに加わった。

 病み上がりな上に、今日のあの二人のことが重なって、かなり気が張ってたんだろう。

 突っ伏した藍に毛布を掛け、テレビを点け、新たな犠牲者がいないか探しはじめた。

 しかし、ニュースに真新しいものはなく、ひとつひとつの事件をあらゆる『人間の』視点から見ながら、議論していた。明穂が見れば鼻で笑いそうな内容に、ため息が漏れる。

 そして、ふと当面の問題に気が付いた。時刻は六時前で陽が傾き、茜色に色づきはじめた時間、キッチンに置かれたスーパーのビニール袋、そして、穏やかな寝息を立てながら眠る藍……。

 つまるところ――、

「飯、どうしたらいいんだ……?」

 まず、俺が晩御飯を作るのは論外だ。最期の晩餐になるのは目に見えている。だからといって、気持ち良さそうに眠っている藍を起こすのも気が引ける。藍を置いていくわけにもいかないから、外食も却下。

 残るは――、

「ピザ頼んだの?」

 テーブルにはデリバリーのピザが二種類並んでいる。

「あぁ、俺が作った方がよかったか?」

「絶対に止めてよ?」

 藍がやっと自然に笑う。やはり、こいつにしかめっ面は似合わない。

 出来れば、藍をこの事件に関わらせたくなかったのだが、藍が望むなら止めることもないのかもしれない。

「ほら、食べよ?」

「あぁ」

 藍はいつもと変わらない笑顔を俺に向ける。

 ――事件を調べるという決断は合っていたのだろうか。そんな迷いが頭をよぎる。

 俺は結局、美香と桔梗、藍をも巻き込んでしまった。これからも俺の選択で事件に巻き込んでしまうことが無いと言えるはずもない。それでも、もう引き返せない。

 新たな犠牲者が出る前に事件に終止符を打つこと。それだけが俺に残された方法だ。



「わかってるだろ?」

「わざと心を読ませるなんて、少しは成長したみたいね」

 翌日の放課後、明穂と対峙する。明穂は悠然と俺を待っていた。

 朝、すれ違いざまに軽く手に触れ、わざと思考を読ませておいた。

「で、どうなんだ?」

 しばらく睨み合った後、明穂が小さなため息を吐いた。

「……分かったわ。個人で動かれても困るし、認めてあげる。

――だから、いい加減に出てきなさい」

 後ろのスライド扉が少しだけ開き、そろそろと藍が顔を出す。

「えへへ、やっぱりバレてましたか」

「断られたらどうするつもりだったのかしら?」

「断らないって確信してましたから」

 明穂が唐突に笑い出す。

「あなたも随分と変わってるわね。こんな事件にわざわざ首を突っ込もうとするなんて」

 その言葉に、藍が口をつぐむ。

「そんなあなたたちにぜひ、やってもらいたいことがあるわ」

 勿体ぶるような口調で明穂が告げる。

「――前回の自殺の目撃者に話を聞きに行ってほしいのよ」

 藍の表情が驚きと怒りに染まる。美香と桔梗のことだ、なんて言わなくとも分かる。明穂が彼女らのことを知らないはずもない。それを知った上で、俺と藍に話をしているのだろう。


 俺達の表情を無視するように、明穂は話を続けていく。

「目撃者もショックを受けているでしょうね。だから期限は決めないでおくから、ゆっくりとやりなさい」

 明穂が小さく笑みを浮かべる。

「……おまえも素直じゃないな」

「さあ?なんのことかしらね」

 しらばっくれる明穂に背を向ける。

「ありがとな。――行くぞ、藍」

「……うん」

 ひねくれた先輩に礼を告げ、藍を連れて教室から出た。

 教室には背に傾きはじめた陽を受けた明穂が、俺達を見送っていた。

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