濁る感覚
「こんなに使えないとは思わなかったわ」
明穂のため息が食卓に響く。
「氷雨と料理は、混ぜるなキケンですよ」
藍が苦笑気味に応える。
「おまえが有無を言わさず連れて行くからだろ?」
「包丁くらいは使えるとは思ったのよ……」
「氷雨の料理スキルはマイナスに振り切ってますからねー」
ひどい言われようだ、反論は出来ないが。
俺の不満げな視線に気が付いたのか、明穂が睨んできた。
「なによ。あんなの食べられるはずないでしょう? 皮は剥いてないし、形もいびつだし。結局、私が全部切り直す羽目になっただけじゃないの」
不機嫌だったことも相まって、毒舌は絶好調だ。俺が反論する前に、「もういいわ」と乱暴に言葉を遮る。
そして、明穂は藍に向き直る。
「喉の負担にならないようにシチューにしてみたのだけれど、お口に合うかしら?」
「はい!とっても美味しいですよ!」
「ふふ、あなたが作った方が美味しいらしいから、今度教えてくれないかしら?」
……こいつ、無断で心読みやがった。したり顔の明穂はシチューを一口、口へ運ぶ。
「早く治して、氷雨に腕を振るわないとね」
調子に乗った藍が腕を振り回しはじめる。
「身体に障るから止めとけ……。それと、さすがに病み上がりに料理はさせないぞ?」
「氷雨のけちー、いやしんぼー」
プクーッと餅のように頬を膨らませては萎める動作を繰り返す。
「先輩は完璧ですよねー」
藍が机の下で足をパタパタと忙しなく動かしながら話す。
「ふふ、そんなことないわよ」
照れ隠しなのか、明穂が顔を背ける。
「私はただ、欠点を隠しているだけよ」
「隠せてるのもすごいことですよ」
二人が静かに笑い合う。
「そういえば、藍さん。勉強は大丈夫なのかしら?」
「えへへ、耳が痛いですね」
藍が気まずそうに笑う。やれやれという顔をしながら明穂が彼女に笑い返す。
「私は余裕があるから、少しはお手伝い出来るわよ」
「はいっ!助かります!」
藍が明穂の手を取り、目を爛々と輝かせている。
「空いてる時は面倒見れるから、連絡してくれていいわ」
明穂が机の上に置かれた携帯電話を指差した。
「そういえば、――先輩達の方は順調ですか?」
話したのか、と明穂が視線を送ってくる。俺は小さく首を振る。
「これまでの会話で大体の想像は出来ますよ」
二人とも表情ひとつ変えずに互いから目線を外そうとしていない。
「分かってて黙認してたってことでいいのね?」
「氷雨がそう決めたのなら、わたしは止めることはしません」
薄々感じてはいたが、藍は俺達が事件を調べていたことは分かっていたらしい。
明穂は何かを悟ったかのような顔をする。
「あなた達も随分、異端な事を経験しているようね」
「……分かったような話し方しないでください」
藍が不愉快そうに奥歯を噛み締めながら、明穂を刺すように睨み付ける。また脳裏に痛々しい藍の姿が浮かぶ。
「明穂、もうやめてやってくれ」
あんな藍はもう見たくない。
「わかったわ。深く詮索はしないことにするわね」
明穂は大して興味が無かったようで、すぐに話を切り上げ、立ち上がった。
「あまり病人をピリピリさせるわけにはいかないだろうし、そろそろ帰るわ」
それだけ言うと、そそくさと歩き始めた。
彼女は玄関で靴を履くと、思い出したかのように振り返る。
「あなた達も気をつけなさい。この街に安全なんてないんだから」
そんなことは重々承知していたが、改めて告げられるとその恐ろしさを感じさせられた。
「……おまえもな」
「ふふ、あなたは自分の心配だけしていればいいのよ」
クスリと笑った明穂はそのまま踵を返し、階段の先の暗闇に消えていった。




