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愛に至る病  作者: 深津条太
贄となる幼い希望たち
12/32

苦いもの

『助けて、氷雨っ!』

 血濡れた手が俺の胴に回される。彼女自身にもいくつもの傷があり、血が流れていた。だが、それ以上の血が彼女を濡らしていた。

 彼女の流す涙が血を薄く滲ませていく。

『助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助け…………』

 藍の声が頭を巡り、目の前の景色がぼやける。それでも俺は、彼女の手を握り続ける。やがて、彼女はなにも話さなくなり、俺に泣きついていた。

 結局、俺は何が起きたのか、聞くことはしなかった。そして、今も藍はそのことを話そうとはしない。

 俺の両親も「大丈夫だった」としか言わなかった。

 だが、あの日以来、藍はよく家に来るようになった。前からよく来てはいたが、さらに長い間居るようになっていたのだ。



 ――今日は目覚めが悪い。

 忘れかけていた記憶が夢で流れ、俺の心は乱れていた。心臓は暴れ、肺は乱雑に空気を取り込もうと必死だ。封印しようと逃げてきた記憶は思わぬ形で俺を苦しめる。


 がちゃりとドアが開いた。

「「あ」」

 それは藍だった。

「起き、てたんだ」

 まだ、いつも起こされる時間よりも三十分も早かった。

「おまえも早いな」

「うん、今日はなんか起きちゃったんだよね」

 藍の動きは少しぎこちない気がした。

「もう朝ごはん食べた? 食べてないなら作るよ?」

「あぁ、頼む」

 ゆっくりとした足取りでキッチンへ向かう藍をぼやっと目で追う。

 どうしてもさっきの夢が頭をよぎる。

 聞くべきなんだろうか? ぼやけた頭で考えるが、無駄だと言わんばかりに結論は出ない。


 ――いや、無意識に答えを出さないのだろう。

 藍の為。そう言い聞かせて、俺は結論から逃げたのだろう。

「……着替えるか」

 俺はもやもやを振り払い、支度を始めた。



 外はしっとりと雨が降っていた。これからの時期、雨は増えていくだろう。

 水溜まりに映る、ぐにゃぐにゃと歪んだ顔を掻き消すように踏みつけながら歩く。そんなことで沈んだ気持ちはどうしようもないことも解っている。

「や、少年少女」

 通学路の花屋の店先。まだ開いていないであろう時間に、その軒先で雨宿りする月穂が小さく手を振っていた。

「迷ってるね、少年?」

 月穂の本音の読めない笑顔が俺を捕らえる。

 彼女の瞳が不気味に俺を縛る。

「いきなり、なんなんだよ?」

「ふふ、月穂お姉さんが相談に乗るよ?」

 相変わらず、彼女の言動には心が通っている気配もない。

「少年、怖い顔しないの」

 彼女の顔が緩む。

「うわっ!?」

 それと同時に抱き着いてきた。

「ちょ、ちょっと!?」

 藍もいきなりのことに驚いているようで、ただ突っ立っていた。

「人の秘密に触れるようなことなら、慎重にね」

 こっそりと、小声で月穂が囁いた。やはり、読めない人だ……。

「でも、それ以上に周りを見ることね。あなた、ひとつのことしか見えてないみたいだよ?」

彼女の手が不意に動いた。俺が反応する前に、彼女の手が胸に到達した。


「これ、とかね」

 不敵に笑う彼女の細い指の間に挟まれていたのは、昨日の白詰草だった。すでに花は萎れ、哀れな姿を晒していた。

「やっぱり気付いてなかったのね。そんなことじゃ、大切なものを知らない間に失うよ?」

 彼女の瞳はいろいろな感情が入り雑じったような色をしていた。


「自分を信じてみなさい。君が正しいことをしていると思うのなら、お姉さんが助けてあげるから」

 それだけ言うと、白詰草を俺の胸ポケットに返し、月穂は雨の中へと飛び込む。

 彼女の服に小さな斑点がいくつも浮かんでいく。

「……自分を信じろ、か」

 黒い空にいくつかの光が射した。雨も少しずつ弱くなり始めてるみたいだった。

「雨女か、あいつは……」

「氷雨、行こうよ?」

 藍が俺の腕を掴む。

「おい、藍?」

 引っ張ろうとする藍を引き留める。そして、手を伸ばした。

「ちょっと、氷雨?」

「……熱あるじゃねえか」

 かなりの高熱で、藍の顔は真っ赤だった。どうして気が付かなかったんだ……。それは言わずもがな、月穂の指摘そのものだった。

 俺は藍の手をとる。

「――帰るぞ」

「え?」

 藍に口を挟ませないように歩き出す。どうせ、藍は学校に行こうとするだろう。藍は呆気に取られているのか、黙って引っ張られている。

「……氷雨は学校行きなよ」

「そんなこと出来るかよ、行っても気になって勉強出来ねえよ」

「ふふ、いつも寝てるじゃん」

「じゃあ、家に居ても変わらないな」

 いつしか、いつもの会話をしながら帰路を歩いていた。


 突然、藍に手を握られる。

「……ありがと」

「お互い様、だろ?」

いつしか雨は上がり、空には虹の橋が架かっていた。

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