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愛に至る病  作者: 深津条太
贄となる幼い希望たち
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滲む夢想

 俺の部屋にシャープペンシルの走る音が響く。

「氷雨ー?これどうやるのー?」

「確か、こうだったか?」

「おー、できたー」

 藍がコロリと後ろに倒れる。

「俺の説明、聞いてないだろ?」

「聞いてるよー。覚えてないだけ」

 藍の集中力は既に切れているみたいだ。大体、こういうときに最初に音を上げるのは藍の方だ。

 俺は最初から集中力散漫だから、結局はどっちもどっちなのだが。


「……休憩するか?」

「うん!おやつーッ!!」

倒れていた藍がガバッ!と跳ね上がった。その藍の姿はどこか懐かしかった。

「変わらないよな、お前は」

「氷雨も変わらないよ?」

 藍が屈託もなく笑う。

 用意した菓子を藍の待つ机に持っていく。藍が待ってました!とばかりに菓子に飛びついた。

 クッキーを飲むような速さで食べる藍が、突然話し掛けてきた。

「さっきの話なんだけどさ。わたしって変わった方がいいと思う?」

 少し落ち込んだように藍が俺に聞いてきた。

「いつものままでいいだろ。それが藍なんだからさ」

 俺の返事に藍は穏やかなため息をひとつ吐き、明るい笑顔を浮かべる。

「……やっぱり氷雨は変わらない」

 そう呟いた藍はどこか嬉しそうで、どこか寂しそうな顔をしていた。

「よし、もう少しやったら夕食作るよ!」

 何はともあれ、藍のやる気は出たようだ。それを確認した俺も、自分の問題集との格闘をはじめた。



 勉強が一段落すると、既に日は落ち、窓の外は暗くなっていた。

 キッチンからは、藍が奏でる包丁のリズムが聞こえている。

「氷雨ー!お皿用意してー!」

 料理は終盤に入ったようで、キッチンからはいい匂いが漂ってくる。

 彼女に言われるがまま、棚から皿を取り出す。それを藍に渡すと、慣れた手つきで料理を皿に盛り付けていく。


「さ、食べよ」

 エプロンを外した藍が席に座る。

 今日も藍の料理は文句のつけようもなく旨い。

「ん?なんだ、これ?」

 机の端に置かれていた紙切れを拾い上げる。その紙切れの最後に書かれていた文字に目を見張った。

「なに見てるの?」

 藍が夕食を突つきながら聞いてくる。


「母さんからだ、これ」

「えっ!今、ヨーロッパにいるんじゃなかったの!?」

 海外にいるはずの母さんからの紙切れが机の端に置かれていたのだ。やはり藍も驚いているようだ。

「仕事で帰ってきたらしいけど、居なかったからメモを置いてったらしい」

 両親は仕事で世界を飛び回っている。

「探検家……だっけ?」

「あぁ」

 海外旅行に行ったときに、偶然見つけた古い壺にかなりの高値がついたらしい。それに味をしめた両親はその壺を売った資金の一部を元手に探検家を始めたのだった。――俺を置いて。

「氷雨のお母さん、あんまり会ったことないんだよね。ねえ、どんな人なの?」

 目の前に餌を置かれた犬のように目を輝かせた藍が、顔を近付けてくる。

 こうなった藍はもう、どうしようもない。パタパタと振っている尻尾が見えそうなくらいである。

「……話すから離れろ」

 藍の顔がより一層輝きを増した。

「お母さん、美人さんだったよねー」

「家じゃ、一日中パックつけてたけどな」

「家事もいっぱい教えてもらったし」

「料理は殺人級だったが」

「氷雨ーっ?」

 もちのように藍が頬を膨らませていた。

「……わかった、わかった。とは言え、話すことなんてないんだけどな」

 滅茶苦茶な両親だった、としか言い様がないような親だ。いつもハイテンション、朝はベッドから落とされ起床、いつも妙に目立っている。


「藍の両親はどうなんだ?」

「え……、あっ!もうこんな時間!見たいテレビあるから、じゃあね!」

 藍が慌ててカバンを掴み出ていってしまう。

「ちょっと待てってッ!?」

 もちろん、俺が藍の俊足に敵うはずもなく、彼女を見失ってしまった。



 記憶を辿る。

 そこには藍の両親の記憶はある。だが、彼女の両親は急に転勤した、としか聞いていなかった。


 しかも、まだ小学生の藍だけを取り残して……。

 その頃から藍と俺が一緒にいる時間が増えたと思う。夕食もうちで食べていたし、両親もそれを了承していた。

 数年後、両親が海外へ行くときには、藍は完全に我が家に馴染んでいた。


 何故、俺はそれに疑問を感じなかったのだろうか? 何故、この小さい歪みを見逃したのか。

「……ダメだ、のぼせる」

 また俺はこの問いを仕舞い込む。

 何はともあれ、今の日常があるからそれでいいんじゃないだろうか。自分にそう言い聞かせて、俺はゆっくりと湯船から立ち上がった。

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