第1章 不幸な日々。
−−暑い。
朝の日差しを受けて眼を覚ました熊谷誠は、シャツのべたべたした気持ち悪い感触を感じながら、ベットから起き上がった。
と、熊谷の足に何かが当たる。足下を見るとゴミ箱が倒れていた。そのゴミ箱の近くに、クシャクシャに丸められた8月分のカレンダーが転がっている。
「9月か……」
そう、昨日で八月−つまり夏休みが終わり、9月−すなわち新学期が始まる日。
「はぁ……」
溜め息が出た。この後のことなどを考えたら、肩も落ちる。彼がアンニョイな気分になっているのは、今日から学校が始まるせいでわない。
熊谷は、本棚に置いてあるエアコンのリモコン覗き込む。そこには何も表示されていない。リモコンを意味無く連打するが、反応が無かった。どうやら壊れているようだ。
(誕生日に何でエアコンが壊れるかな…毎年のことだけど)
9月1日は学校が始まる日であり、
彼が嫌いな自分の誕生日でもあった。なにも、誰からもプレゼントを貰えないと言う悲しい事実だけではこれほど落ち込まない。熊谷が誕生日を嫌う理由。それは−
(不幸な日々……今年も来たよ……)
もう一度溜め息が出る。今日から三日間のことを考えると、葬式に出席しているような、そんな気分にさせられる。
簡単な話、誕生日を含めた三日間、彼は世界中の不幸をかせられるが如く、『超不幸少年』の称号が似合う人間となるのだ。
熊谷の5歳の誕生日、父親の不注意でプレゼント(当時流行していたキャラクターの等身大ぬいぐるみ)を焼かれたり、買ったばかりの靴が犬に噛み千切られたり、6歳の時には、飛んできた野球ボールが頭にヒットひて、7歳の時には……(以下略)とにかく、奇跡としか言いようが無いほど、『不幸』がオンパレードする三日間。
(もう『不幸』は始まっているってか? 最悪……)
エアコンが壊れたのもその影響としか思えない。
部屋にあるデジタル時計を見ると、時刻は5時45分。登校するまでまだ余裕がある。二度寝しようかと考えたが、止めた。『不幸』のことが気になって寝れはしないだろうから。
「起きるか……」
『ふふっ』
「っ!?」
ぼーっとする頭をかきむしっていた熊谷の耳に、幼い少女の声が聞こえた。驚いた彼は、右確認、左確認。さらにに前も後ろ確認。だが、早朝の自室に、自分以外誰かがいるはずもない。謎の声に背筋を凍らせつつ、
「嫌だなぁ、本気で…」
呟きながら自室を出て、階段を下りる。
その時、悲劇が−−悲劇と言う名の『不幸』が彼に起こった。
熊谷の家の階段は、傾斜が急だ。それも、初めて来る友人達が恐れるほどの。さらには1段1段の幅が狭かった。ほぼ爪先立ちの状態で上り下りしなくてはいけない。だが、彼は16年この家で過ごしているベテラン(?)だ。それこそ何百回も階段を上り下りしている。
故に油断していた。その油断が命取りになった。
「へっ!?」
熊谷の体は後ろに判回転をし、美しい曲線を描きながら空中を舞った。−−簡単に言うと、ずっこけた。
「つぁぁぁあぁぁ!?」
ごんごんごん……
コミカルな音を奏でつつ、熊谷の体が階段に打ち付けられる。
(死ぬ! 死んじゃう!) どん、と1階に辿り着くと、鈍痛にしばらく悶絶した。耐え難い痛みを無理やり押さえ付け、立ち上がる。
(ちっくしょう……)
心の中で毒付いた。なぜ自分がこれほど『不幸』にならなくてはいけないのか。
よたよたと、おぼつかない老人のような足取りで歩き、リビングのドアを開けた。「おぉ誠」
そう言って挨拶をしてきた中年の男性は、コーヒーをのんびりと飲みながら新聞を読んでいた。
「あれ? 親父。今日はやけに早いじゃん」
中年男性−−熊谷の親父こと熊谷正志は朝に弱い。いつもは熊谷が正志を起こすのだが……
「何を言っているんだ?」
不信そうな眼で一瞥した後、正志は再び新聞に意識を向け始めた。
(ま、いっか)
正志の言っていることは意味不明だが早く起きてくれる分には悪いことは無いので、気にしないでおく。熊谷はパンを1枚オーブントースターにいれると、ソファーに座り込んだ。
「この頃物騒だなぁ。誠も気をつけろよ?」「何かあったのかぁ?」
だらけた雰囲気で聞く。熊谷が新聞を必要とするのはテレビ欄だけ。ニュースもあまり見ないため、今の総理大臣の名前もうろ覚えだし、そんな彼が近頃のニュースを知っているはずもない。
「『路上で女性の生首発見』 嫌な事件だ」
「ふ〜ん。俺だったらそんな証拠残さないけどな」
特に深い意味はなく答えた熊谷を正志は真剣な顔で見ると、
「そんなこと考えるなんて……まさか誠、お前が!?」「冗談でも息子に人殺しの疑惑かけるなよ」
「お前……いくら幼女に興味があったからって……」
「聞けよ! ってか俺をロリコン扱いすんな!」
聞き捨てならない発言に正志から新聞をひったくる。その1面を見ると、昨日未明、路上に女性の生首が置いてあったらしい。記事の下の方には、被害者であるおばさんの写真も載っていた。
「それにほら、40代のおばちゃんじゃねぇか!」
「年頃が趣味だったなんて……」
「人をロリコンだ熟女趣味だとか抜かしやがって……いい加減にしろやぁ!!」
熊谷はテーブルに置いてあった灰皿(ガラス製)をわりと本気で投げ付ける。
「うわっ!? 当たってたら洒落にならん! 父さんが死んでもいいのか!?」
「いっそ死ね! すぐ死ね! 今死ね!」
「そんなに怒ってはよくないぞ? 父さんがお前の年頃の時は、それほど短気じゃなかったって言うのに……もしかしてカルシウム不足か?」
「カルシウム不足疑惑をかけるなら親父がちゃんとした料理作れ! 毎日毎日手抜き料理ばっか食べさせやがって!」
「ちょ、待て! 父さんが悪かった! だからフォークを投げるな!」
ちなみに、正志が作る料理の定番はソーメン(茹でて盛るだけだから手間いらずじゃん? と本人談)で、夏休みの間はずっとソーメンを食べされ続けた。
「『路上で女性の生首発見』か……」
(フォークを数本投げたことで)幾分気が晴れた熊谷は、改めてその惨殺事件の記事に眼を通した。この辺はまだ平和だとか思っていたが、どうやらそうでも無いらしい。
(あいつにも気をつけろよ、とか言っといてやるか)
ある少女の顔を思い浮かべ、そんなことを考えた自分に苦笑する。そいつに手を出そうとする奴なんて、そうそうお目にかかれないからだ。
「じゃあ誠。父さんはもう行くから」
「え? 何だよ親父。早くないか?」
時間はまだ早いはずだ。こんなに早く行くということは、何か特別な会議があるのだろうか。
「何を言っているのだ?」
心底不思議そうに聞き返されても、正志が分からないのかが理解できない。理解できないまま、熊谷はテレビのスイッチを入れた。
「なぁ誠、大丈夫か?」
「ん? 何がだよ?」
5時に放送してるのはニュースくらいか? と思いながらテレビ欄を見ていた熊谷は、生返事で問いかけに答える。
「急がなくていいのか? もう8時過ぎてるぞ?」
「はぁ? 寝ぼけてるん……」
正志が寝ぼけている、と言う可能性はテレビの画面を見て否定された。テレビでは朝のニュースが流れていて、その画面の片隅には時刻が表示かれている。8時15分。確かに正志の言った通り、8時を過ぎていた。
「え? えぇぇえぇ!?」
叫ぶと同時、熊谷は階段を駆け上がり自分の部屋の時計を見上げた。時計が示している時刻は5時45分。
「まさか……」
時計が時を刻んでいない。 針が動いていない。−−つまり
「止まっ……てた?」
ここから学校までの距離は、歩いて30分はかかる。そして、学校の門が閉まるのは8時30分。
「ふ、『不幸』の力かぁ!?」
熊谷は制服に急いで着替え(約5秒)跳ねまくりの髪を直す暇もなく、玄関から飛び出した。
熊谷は死に物狂いで走る。
新学期初日から遅刻を逃れるため、ただ走り続けた。




