サムシング
「マスター、やっぱり僕は、都会生活に向いてないんでしょうか?」
僕はハイボールを呑み干した。
「んっ? 向いてないとは? 都会の空気が体に障り(さわり)ますかな?」
マスターは、グラスを磨いていた手を止めて訊き返した。
「いや、僕みたいな田舎者は、田舎で、やり直した方がいいのかなって……これ、お代わり下さい」
「はい」
僕はピスタチオの殻を割って口に入れる。
「何故、そう思うんです?」
マスターは、ハイボールを作りながら訊いた。
「だってね。ここじゃ彼女が出来ないんです。都会に住む女は、イケメンしか眼に入らないようだし……そもそも、僕みたいな泥臭い田舎者は、都会人になり切れないと思うんですよね」
「ふむ。そう感じるのなら、都会に住むことに、こだわることはないですな。ただ……」
「ただ……?」
「都会と言っても、所詮は田舎者の集まりですよ」
マスターは、ハイボールを僕の前に置いた。
「田舎者?」
「田舎者がたくさん集まる。都で色々な人間に会う。だから都会なんです」
「なるほど。そうですね」
「花の都と言うでしょう。フラワーを指すのではなくて、華やかで、刺激があって発展性のある【都会】を指して華の都と言うのです。パリや東京が、その典型でしょう。人は、特に若者は、華やかな場所に集まろうとするものです。あなたも、田舎を出る時に都会に憧れを持ったでしょう?」
「ええ、確かに」
「文字通りの花の都もありますよ。フィレンツェがそうです。英語でフローレンスと言います」
マスターはマッチで煙草に火をつけた。
「そうなんですか? なるほど。そう言えば、フローレンスなんとかって、花屋の看板を街中で見かけますよね。フィレンツェの意味なんですね。だけどフィレンツェって……」
「イタリアです」
「ふーん」
僕は、漠然と花の咲き乱れる街並みや公園を想像した。
「もし、恋人を欲しいのなら、方法はあります」
「えっ?」
僕は、グラスを傾ける手を止めた。
「教えましょうか?」
「えっ? ホントですか? ぜ……ぜひ、お願いします」
「しかし、その前に、問題の本質は、都会で何をやりたかったか? と言うことではないのですかな?」
「それは……ええ」
「例えば、モノレールの運転士や、地下鉄の運転士をやりたければ都会に住んだ方がいい。工場要員なら田舎でも構わないでしょう。私のような商売なら、都会がいい」
「そう。僕は工員です。それも期限契約の派遣社員」
「それは、やりたかった仕事ではないのですか?」
「いや、もちろん違いますよ。他に条件のいい、つまり正社員で雇ってくれる勤務先が見つからなかったから、仕方なくやってるんです」
「ふむ……こんな、ご時勢ですからね。贅沢も言えない。新卒者を採用できなくなるほど、日本企業は生産拠点を海外に移転させてしまった。しかし、それでも中国やインドの経済成長が続けば、またチャンスが巡って来るでしょう」
「マスターに取っては所詮、他人事ですからね。気楽に言いますけど、僕等のような使い捨て扱いの人間に、そんなチャンスがあるかどうか……」
こんな風に言えば少しは慰めてくれる……と僕は思った。
だが、マスターは何も言わない。僕は言い過ぎたのだろうか? 気分を損ねたかも知れない。
マスターは何かを考えながら静かに紫煙をくゆらせている。そうして、やや間を置いてから口を開いた。
「今の生活が辛いですか? 楽しい事が全く無いですか?」
「いえ、まあ、責任を負わなくていい仕事だから、気楽だし、たまに仲間と飲む時は楽しいですね」
「あなたは、まだ、お若い。本当にやりたい仕事が、見つからないのでしょう。しかし、いずれ見つかります」
マスターは煙草を消して、すぐに灰皿を下げた。
「なぜ、そう言い切れるんですか?」
「選択肢や可能性があり過ぎるからです。だから決まらない。年が行けば、もう、これをやるしか生きる道が無いと追い詰められます」
「追い詰められる?」
「そう。色々と試して、あれもダメ、コレも無理と解って来ます。それは単に適性と言うより、心から、これだと思える何かです。サムシングです」
「サムシング?」
「そう。そのサムシングは、人それぞれです。それが掴めれば迷わずに、その分野で自分の役割を果たそうと努力するでしょう」
「役割? ……ですか?」
「そう。役割です」
「考えたこともなかった……」
僕は、ハイボールを空けていた。
「自分は、このポジションで役割を果たして行こう! と腹が決まれば仕事が楽しくなります。それが生きる目的です」
「生きる目的?」
「そうなれば自信が生まれ、目標が定まる。その目標は他人から押し付けられたものではない。自分で決めた目標です」
「自分で決めた目標」
「そう。自分で決めた前向きな目標に向かって打ち込んでいる人は強い。それだけで輝いています。自分でも気づかぬ内に魅力を光らせているんです」
「あっ、はい」
その通りだと思った。確かに僕は、これだと感じるサムシングを掴めてはいない。だから自信も無いし、目標も無い。だから魅力が無いのかも知れない。
「人間としての魅力というのは、如何に自分らしく生きるか。如何に活き活きと生きているかに尽きるのです。そして、これは年齢に関係がない」
ああ、そうだ。確かにそうだと、僕は思った。
「そうなれば、自然に女性にモテるということですか?」
「もちろん、そうです。いや異性を惹きつける魅力だけでなく、誰の眼にも輝いて見えるのです。あなたも、いずれは、そうなる」
そこで、マスターは柔和な笑顔になった。
「さあ、どうぞ」
コーヒーを淹れてくれた。真剣に聞き入っていた緊張をほぐす配慮だと解った。
店の電話が鳴った。