捜す女
【若年層の失業率悪化】
フリーターも増加の恐れ
総務省が2011年1月28日に発表した労働力調査によると、2010年平均の年齢層別完全失業率で、大半が改善か横ばいとなる中、15~24歳の若年層は前年比0.3ポイント上昇の9.4%となり、悪化が際立った。
長引く不況による新卒者の就職率低下が影響しており、失業者に加え、10年以降はアルバイト・パートとして働くフリーターもさらに増加する恐れが強い。
政府は新卒者への就職支援を強化しているが、若年層の雇用環境は容易に改善しない現状にある。
僕がカウンターの右端で携帯を操り、ニュースを読んでいた時のことだ。
ギイと音が鳴ったので、入口へ眼を向けると、若い女性が店内を見回している。
二十代後半ぐらいだろう。一瞬、目が合ったので会釈をすると、彼女も会釈を返したが、僕には興味がないらしい。
「いらっしゃい。お久しぶりですね。お一人ですか?」
マスターが声をかけた。
「こんばんは。マスター、訊いていいですか?」
その若い女性は、カウンターの左端に座るなり、マスターに問いかけた。
「何をです?」
「表の看板だけど、前は【明日へ】だったわよね? それが今日、来てみたら【みちしるべ】になってる。あたし、経営者が変わったのかなって、ドキドキしちゃった」
「ええ、気分転換で変えてみました」
マスターは、戸棚を開けて何かを取り出している。
「まさか! 気分転換だなんて……そんな訳ないでしょ?」
「うーん。実は、ちょっとした心境の変化です」
「ほらあ、やっぱり何かあったんじゃない。教えて下さいな」
「何を作りましょうか?」
「あっ、そうじゃないの。人を捜しているの。ほら、この前あたしと一緒に、ここへ来た男。青井好太郎って言うんだけど……でも、本名は弥太郎って言うのよ。青井弥太郎」
彼女は、身を乗り出して、やや声をひそめた。
「ほほう。弥太郎とは、今の時代にしては渋いお名前ですな。でも与太郎でなくて良かった」
「どうして?」
「落語に出て来るでしょう。考える力が不足していて、トンチンカンな受け答えをする人物。与太郎とは、そんな人間の代名詞です」
「そうなの?」
「そうです」
「彼は弥太郎だから、あたしは、やっちゃんって呼ぶんだけど、本人はヤクザみたいに聞こえるから止めてくれよって……ふんっ! 気が小さいのよ」
「それは……名は体を表すと言いますからね。《青井! やったろう!》とも聞こえますね。……それで?」
「うぷっ、くくくっ……」
僕はマスターの冗談に笑い出しそうになったが、なんとかこらえた。
「あれから彼が、ここへ誰か他の女と来てませんか?」
彼女はマスターを見つめている。嘘は言わせないとの厳しい眼差しだ。
「はて……」
マスターは、顎に手をやり、天井を見上げている。
いかにも真剣に記憶を辿る仕草だ。
「来てませんね」
「そう」
彼女は、半ば安堵したような表情を見せたが、納得はしていない……と言うよりがっかりしたようだった。
マスターはコーヒーを淹れている。自分で飲む為だろうか?
彼女は僕を見て言った。
「お騒がせして、ごめんなさいね」
彼女は微笑みながら言ってくれたが、僕は緊張した。
「あっ、いいえ」
「どうぞ。カフェオーレです。魅力的な女性のお客様だけの特別サービスですよ」
「あらっ、お上手だこと。でも、ありがとう。いただきます」
彼女は、それに口をつけてから、携帯を開いて電話をかけた。
やがて彼女は携帯をたたんで言った。
「やっちゃんがね。電話に出ないのよ。この前、他の女と歩いているところを、あたしに見られたもんだから逃げ回ってるのよ」
彼女から本音が出たようだ。
「ふむ……」
マスターは、それについては応じない。
「あんちくしょう! 見つけたら、ただでは済まさないからっ! 今に、眼にもの見せてくれるからっ!」
女性は、語気を荒げて、穏やかではないことを口走っている。
僕は、一瞬びびった。
「ふむ……そういうご事情ですか。しかし余り感情的に責めても彼は逃げるばかりでしょう。ここは落ち着いて、まずは話し合いの場を作るほうが」
「そうじゃないのよ! あんな奴に未練がある訳じゃないの。許せないのよ! いいように遊ばれたまま、泣き寝入りなんて悔しいじゃないの! こっちが振るならともかく……冗談じゃないわよっ!」
マスターの言葉を遮るように彼女は言い、同時にカウンターを叩いた。
「こうなったら、何が何でも見つけ出して、とっちめてやるわ! 相手の女の前で騒ぎ立てて、正体を暴いてやるのよ! そうでもしないと気が済まないわよ!」
「いやはや……怖いですな」
「あっ、マスター、さっきの続き」
「えっ? なんでしたかな?」
「看板の名前を変えた理由よ」
「ですから心境の変化と」
「だから、その心境が変わったのは、どういう事情かって訊いてるのよ」
女性はマスターを睨んでいる。
「人生は漫然と生きるには短か過ぎる。そろそろ腰を据えて、新しい人生を追求しなければならなくなった、と言うところですかな」
「また、そんな人をケムに巻くような言い方をして。さては……誰か、いい人が出来たんでしょ!」
「うっ! これは、見抜かれてしまいましたな。その通りです。私は、男を上げる必要に迫られました。よって、心機一転、燃える闘魂を形に表そうと、看板を変えてみたのです」
「何を言ってるのよ。何が燃える闘魂なのよ。そうじゃないでしょ? あたしが訊いたのは、どんな女性がマスターの……まあ、いいわ。今日は用事があるから、この次、聞かせてね」
女は時計に眼を遣りながら立ち上がった。
「もし、やっちゃんが立ち寄ったら、ここへ電話して。お願い」
彼女は、メモを残して店を出て行った。
あの様子では、心当たりを、しらみつぶしに捜すに違いない。