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魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ  作者: 歩人
Arc3: 魔王と勇者の遠足

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第30話: 孤児院

◆レオン視点




 転移門を抜けた先に——あった。




 石の壁。木の扉。割れた窓。


 屋根の半分が崩れている。壁にはひびが入っている。門の表札は錆びて文字が読めない。門の脇に、枯れかけた雑草が伸びていた。




 ——変わってない。




 9年前と、何も変わってない。


 いや——もっとひどくなっている。




「…………」




 足が動かない。




「レオンくん」




 よしこの声。




「……ここだ」




 声が、かすれた。




「ここが——俺がいた場所だ」




 門を押した。蝶番が軋んだ。錆びた音。




 中庭——と呼べるものではない。雑草だらけの空き地。洗濯物が干してあるが、布が薄くて向こうが透けている。




 建物の入り口の前に——子どもが座っていた。




 五人。


 いや、六人か。一人は柱の陰に隠れている。




 痩せていた。


 全員——痩せていた。




 服はつぎはぎだらけ。靴を履いていない子がいる。髪はぼさぼさ。


 目が——大きく見えるのは、顔が痩せているからだ。




「…………」




 俺は——あの子たちと同じ顔をしていた。


 9年前。この場所で。冷めた粥をすすって、汚い毛布にくるまって——同じ顔をしていた。




「だ、だれ……?」




 一番前にいた子——七歳くらいの女の子が、俺たちを見上げた。




「……俺は——」




 言葉が出ない。


 「ここにいた」と言えばいいのか。「帰ってきた」と言えばいいのか。




「——通りすがりや(^^)」




 よしこが前に出た。




「ちょっと寄らせてもらってもええかな?(^^)」




 女の子が——よしこを見上げた。




「……おねえちゃん、だれ?」




「よしこや(^^) おばちゃんって呼んでな」




「……おばちゃん?」




「せやで(^^)」




 よしこが——しゃがんだ。


 子どもの目の高さに。


 保育士が、子どもに話しかける時の姿勢。




「おなか空いてへん?(^^)」




 女の子が——頷いた。


 小さく。何度も。




「…………」




 よしこが——立ち上がった。






◆よしこ視点




 台所を見た。




 薄暗い。窓が小さくて、光が入らへん。


 かまどがある。鍋がある。——鍋の中に、何か入っとる。




 覗いた。




 粥。


 水で薄めた粥。具がない。色がない。




 匙ですくった。


 冷めとる。




「…………」




 冷蔵庫——はない。棚を開けた。


 粉が少し。干した豆が少し。塩。


 ——それだけ。




「…………」




 棚を閉めた。




 部屋を見た。


 大部屋が一つ。毛布が並べてある。薄い毛布。穴が開いとる。枕はない。




 子どもたちの部屋。六人分の毛布。


 ——六枚しかないのに、三枚は破れとる。




「…………」




 わては——何も言わんかった。




 何も言えへんかった。




 (^^)が出えへん。




 40年間保育士をやってきた。


 設備が古い園もあった。予算が足りない園もあった。


 でも——こんなんは初めてや。




 子どもがこんな——




 こんな場所で——




「…………」




 手が震えとる。




 怒りか。悲しみか。わからへん。




 ——いや。わかっとる。




 両方や。




 でも今は——今は、それを出す時やない。




 台所に戻った。




「ガルくん」




「は、はい……!」




 ガルくんが——泣いとった。


 もう泣いとった。台所に入った瞬間から泣いとったんやろう。




「ガルくん、手ぇ洗おか(^^)」




「……はい……っ」




「ごはん、作ろ(^^)」




「…………はいっ……」




 ガルくんが袖で目を拭いた。手を洗った。エプロンは——ない。服のまま。




「あるもんで作ろか。粉があるから——パンケーキやな。豆でスープ作ろ(^^)」




「ぼ、僕……野菜が……」




「ドルガくん」




 台所の入り口にドルガくんが立っとった。黙って立っとった。




「さっきの屋台で、野菜買ってきてくれへん?(^^) お金はメルちゃんに聞いて」




「…………」




 ドルガくんが何も言わずに出ていった。


 大きな背中。角がない——幻影のままや。でも、あの背中は誰が見てもドルガくんや。






◆ガルド視点




 野菜を切った。




 手が——震える。


 涙が止まらへん。


 止まらないのに、包丁は止めへん。




 玉ねぎ。にんじん。じゃがいも。


 ドルガさんが買ってきてくれた野菜。袋いっぱいの野菜。




「…………っ」




 涙で前が見えへん。




 でも——切る。


 よしこさんに教えてもらった切り方で。


 一口サイズに。子どもが食べやすいサイズに。




 よしこさんが隣で粉を練っとる。水と粉と——少しの塩。


 パンケーキの生地。




「ガルくん、大丈夫?(^^)」




「…………だいじょうぶ、です……っ」




「泣きながらでもええよ(^^) ちゃんと切れとる」




「…………っ」




 泣いた。


 もう我慢せずに泣いた。




 あの子たち——あの子たちの顔。


 僕と同じ顔だった。




 僕も——教会に選ばれる前、あんな顔をしていた。


 お腹が空いて。寒くて。誰も来なくて。




 でも僕には——レオンがいた。リーゼがいた。


 そして——よしこさんがいた。




 あの子たちには、誰がいる?




「…………よしこさん」




「ん?(^^)」




「僕……この子たちに……ごはん、作りたいです……」




「せやな(^^) 作ろ」




「美味しいの、作りたいです……っ」




「ガルくんの作るもんは、全部美味しいで(^^)」




「…………っ」




 泣きながら——切った。


 全部切った。


 鍋に入れた。


 火をつけた。




 よしこさんがパンケーキを焼いとる。


 かまどの火で、丁寧に。一枚ずつ。きれいなきつね色。




 匂いがしてきた。


 パンケーキの甘い匂い。スープの温かい匂い。




 台所から——廊下に匂いが漏れていく。






◆レオン視点




 匂いがした。




 台所から。


 パンの匂い。スープの匂い。




 ——知ってる匂い。


 魔王城で、毎日嗅いでた匂い。よしこが作る、ごはんの匂い。




 子どもたちが——顔を上げた。




 鼻をひくひくさせて、台所の方を見ている。




「……なに、この匂い」




「いいにおい……」




「ごはん……?」




 女の子が——立ち上がった。他の子も。一人、二人。柱の陰の子も出てきた。




 全員が——台所に向かって歩いていく。




 吸い寄せられるように。




 俺も——歩いた。




 台所の入り口で——止まった。




 よしこが——パンケーキを焼いていた。


 ガルドが——スープを煮ていた。




 ガルドは泣いていた。ぼろぼろ泣きながら、鍋をかき混ぜていた。


 よしこは——泣いていなかった。無表情でもなかった。




 いつもの顔だった。




 保育園で、毎朝給食を作っていた時の顔。


 魔王城で、毎日ごはんを作っていた時の顔。




 ——あの人の、「仕事の顔」だ。




「はい、できたで(^^)」




 皿にパンケーキを乗せた。


 スープをよそった。




「みんな、座り(^^) ごはんやで」




 子どもたちが——固まっていた。


 目が大きくなっている。パンケーキを見ている。スープを見ている。




「……食べて、いいの……?」




 女の子が聞いた。


 さっきの七歳くらいの子。




「当たり前やん(^^) あんたらのために作ったんやから」




「…………」




 女の子が——椅子に座った。


 パンケーキを手に取った。


 一口かじった。




「…………」




 止まった。




 もう一口。


 もう一口。




「……おいしい」




 小さな声。




「おいしい……」




 もう一口。手が止まらない。




「おいしい……っ」




 ——泣いていた。


 食べながら、泣いていた。




 他の子も食べ始めた。黙って食べた。泣きながら食べた。笑いながら食べた。




 柱の陰にいた子が——一番最後に席に着いた。一番小さい子。四歳くらい。


 パンケーキを両手で持って、かぶりついた。




「…………」




 口の周りが粉だらけ。




「おかわり、あるで(^^)」




 よしこが——もう一枚焼いていた。


 ガルドがスープをよそっていた。まだ泣いていた。でも手は止まっていなかった。




 ——俺は。




 台所の入り口に立ったまま——動けなかった。




 9年前。


 俺がここにいた時。




 こんなごはんは——なかった。




 温かい匂いも。焼きたてのパンケーキも。具だくさんのスープも。


 「おかわりあるで」なんて言葉も。




 なかった。




「…………」




 目の奥が——熱い。


 また、か。




 泣くもんか。泣かない。俺は泣かない。




「レオンくん(^^)」




「……なんだよ」




「あんたも食べ(^^)」




「……俺は別に」




「食べ(^^)」




「…………」




 皿を受け取った。


 パンケーキとスープ。


 子どもたちと同じもの。




 食べた。




 ——美味い。


 いつもと同じ味。よしこが作る、いつもの味。




 ここで食べても——魔王城で食べても——同じ味。




 よしこの「ごはん」は、場所で変わらへんのか。




「……美味い」




「せやろ(^^)」




「…………美味い」




「まだまだあるで(^^)」




「…………」




 ——くそ。




 泣かなかった。


 でも——ぎりぎりだった。






◆よしこ視点




 子どもたちが食べ終わった。




 六人。全員、おかわりした。一番小さい子は三枚食べた。




 食器を洗った。ガルくんと二人で。


 ガルくんはもう泣いてへんかった。目は赤いけど、手はしっかり動いとる。




「ガルくん」




「はい」




「ようやったな(^^)」




「…………えへへ」




 ええ子や。この子は——ほんまにええ子や。


 泣きながらでも手を止めへん。それは、わての背中を見て育った証拠や。




 ——子どもたちの顔を見た。




 さっきより——少しだけ、顔色がええ。


 一食で変わるわけやない。でも、目が違う。


 さっきは空っぽやった目に——少しだけ、光がある。




 ごはんの力は、そういうもんや。




 体だけやない。心も温める。




 40年間、知っとったことやけど——今日ほど強く思ったことは、ない。




「…………」




 台所の窓から外を見た。




 崩れかけた屋根。割れた窓。雑草だらけの中庭。




 ——この場所から、レオンくんは出ていった。


 8歳で。一人で。




 この場所から、何人の子どもが「勇者」に選ばれて——帰ってこなかったんやろう。




「…………」




 手が——握りしめられた。




 怒りが——来る。


 でも、今は出さへん。


 出したら——この子らが怖がる。




 今は、笑う。




「ごちそうさまでした、言えるかな?(^^)」




「……ごちそうさまでした」




 六人の声が——小さく揃った。




「上手(^^) えらいなぁ」




 女の子が——笑った。


 初めて、笑った。




「おばちゃん、また来る……?」




「…………」




 ——来る。


 絶対に来る。




「また来るで(^^) 次はもっと美味しいもん作るからな」




「……ほんとに?」




「ほんまや(^^) おばちゃんは嘘つかへんで」




「…………うん」




 女の子が——頷いた。


 信じてくれた。




 ——この子に。この子たちに。ちゃんとしたごはんを食べさせる。


 それが、わての仕事や。


 保育士の仕事や。


 魔王の仕事や。




 台所を出た。




 レオンくんが廊下に立っとった。壁にもたれて、天井を見上げとる。




「レオンくん(^^)」




「……なんだよ」




「帰ろか(^^)」




「…………ああ」




 レオンくんが——歩き出した。


 背中が、少し——小さく見えた。




 17歳の背中やない。


 8歳の、あの頃の——背中に見えた。




「…………」




 ——大丈夫や、レオンくん。




 あんたはもう、一人やないで。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


第30話「孤児院」。


書いていて、手が止まりました。何度も止まりました。


よしこが黙るシーンは、この物語で最も重い場面です。いつも「(^^)」を振りまいて、関西弁で場を和ませるこの人が——何も言えなくなった。台所を見て、冷めた粥を見て、破れた毛布を見て。


でも、よしこは泣きませんでした。怒りも出しませんでした。


台所に立ちました。


「まずごはん」。それがこの人の答えです。泣いている暇があったら、ごはんを作る。40年間、保育園でそうしてきた。園の予算がなくても、子どもが泣いていても、まず給食を作る。手を動かす。


ガルドが泣きながら野菜を切るシーンが好きです。この子は、よしこの背中を見て育ちました。泣いていても手を止めない。それは、よしこから学んだことです。自分でも気づいていないかもしれないけれど。


子どもたちが「おいしい」と言って泣いたシーン。ごはんの力は、体だけでなく心も温めます。一食で世界は変わらない。でも、一食で目の光は変わる。


レオンは泣きませんでした。この子は泣かない子です。でも——ぎりぎりでした。


次回、第31話。よしこが初めて「怒る」日が近づいています。


ブックマーク・評価・感想をいただけると、よしこと一緒にパンケーキを焼きます(^^)

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